応募総数130名から5名を選出
この記事の公開日は2023年7月23日。今から60年前の今日――すなわち1963年7月23日、日本の自動車業界において大変重要な審査会が行われたのをご存じだろうか? 「ミスフェアレディ」(第一期生)の最終審査である。
ミスフェアレディとはもちろん、銀座の日産ギャラリー(現在では横浜の日産グローバル本社ギャラリー)に勤務し、商品やブランドの魅力を来場者に直接伝えるPRスタッフのこと。正式名称は「日産PRスペシャリスト」へと改められたが、通称としての「ミスフェアレディ」は今も健在。国内のモーターショーや各種イベント会場でのナレーション、新型車発表会の司会、報道関係の取材対応などでも活躍している。
今から60年前の1963年にミスフェアレディが創設されたのは、この年の日産ギャラリー(銀座4丁目)開設に合わせてのものであった。同年8月にオープン予定であった銀座ギャラリーに勤務するメンバーを、全国から広く募集したのである。総数130名の応募があったとのことだが、書類審査、個人面接などを経て候補者は15名に絞られ、その最終審査が1963年7月23日に行われたという訳だ。
審査員にはあの”小森のおばちゃま”も
この最終審査は同日午前11時から、東京・芝高輪のプリンス会館で実施された。審査員は日産自動車の取締役や宣伝課長、人事課長のほか、「サンデー毎日」の宮編集部次長、「女性セブン」の豊田編集長、映画評論家の小森和子、美容家の大関早苗、写真家の尾崎三吉など11名。ミスフェアレディ5名、準ミスフェアレディ5名を選出し審査会を終了したのは、午後5時過ぎのことだったという。
このとき選出された5人のミスフェアレディの身分は、1年契約の嘱託社員という形であった。日産ギャラリーは同年8月1日に無事オープンしている。この時から数えて60年の歴史を持つミスフェアレディは2022年体制の21名が活躍中、現在2023年度募集中とのことである。