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そこにはすでに全てがあった!60年以上前のメーカーお手製”プラモのお供”【アメリカンカープラモ・クロニクル】第14回

1962年・特別編 amtモデルカーハンドブックを読む

本連載はこれまで、現在まで続くアメリカンカープラモの発祥といえる1958年から1962年までの状況を概観してきた。わずか5年ほどのあいだにアメリカンカープラモをかたちづくる諸々のフォーマットが急速に出揃い、巨大な市場が形成され、一番槍をつけたamtがほとんどすべてを寡占するまでの軌跡であるが、そうした状況が翌1963年、不可逆的な変化を迎える前にamtが100ページほどの冊子を出版している。

【画像43枚】amtの熱気が今も伝わるハンドブック、その中身を見てみる!

今となっては残存部数もわずかなamtモデルカーハンドブック(AMT MODEL CAR HANDBOOK)と題されたこの小冊子は、amtのみならずこの5年間を総覧するに最適な、とても貴重な時代の証言を備えている。今回は連載の一回を割いて、このハンドブックをひもといてみたい。

オーセンティック・モデル・ターンパイクというamt独自規格のスロットカーコースのようすを表紙見開きにあしらったこのハンドブックは、その表紙に反してスロットカーにそこまで遊びの中心的な重きをおいていない。カープラモの工作・塗装を愉しみの中心に据えた「飾る」方向性と、自慢のモデルカーをスロットカーとして「走らせる」方向性はこのときまで架橋されたふた通りの愉しみ方であった。

アメリカンカープラモ固有のフォーマットのひとつとして今では賛否あるスクリューボトム(ボディーとシャシーをネジ留めする仕組み)は、細部まで精密に工作・塗装されたカープラモを「飾る」愉しみと、スロットカー・シャシーにそのボディーを移し替えて「走らせる」愉しみとをつなぐためになくてはならない構造でもあった。スロットカー遊びがこのあと急速に廃れていき、作り込みとディスプレイがモデルカー趣味の中心となるにしたがってこのスクリューボトムも過去のものとなっていったのは周知のとおりだが、ハンドブックではまだこうした愉しみの両輪について、バランスよく「うまくやるコツ」を惜しまず開陳している。

それでもなおハンドブックが「飾る」愉しみをより積極的に推しているかのように見えるのは、この頃ジョージ・バリスを中心とした名うての実車カスタムビルダーとのコンサルタント契約を積極的に交わしていたamtの事情によるものだ。この時代、市販車もしくは公道の一線を退いた古い車をベースとしたカスタマイズ(改造)は当時もっともかっこいい娯楽であり、カープラモの改造がその前哨線上に位置づけられていたことはこのハンドブックの随所にみられる「トレーニング」という表現にもあらわれている。

もうひとつこのハンドブックには「モデラー」という表現が一切登場しないことは注目に値する。ハンドブックはamtというカープラモに特化した会社の販売促進用メディアでありながら、カープラモを積極的に消費する年少者はあくまで実車とそのカスタマイズを趣味とする大人たちの予備軍、育てていくべきノービスと捉えており、そこに教え施される手ほどきは、あくまで実車カスタマイズのチャンピオンであるジョージ・バリスによるものなのだ。

ハンドブックも大きな紙幅を割き、ジョージ・バリス自身の解説によるカープラモの実践的なカスタマイジング・レクチャーを詳細にわたっておこなっている。「カープラモはなにごとにおいても実車さながらである」というのが今に到るまでアメリカンカープラモの価値の本質なのだ。

amt社内のスタッフも登場
とはいえ、アメリカンカープラモの主要な消費者層である年少者が成長することで興味の対象が実車そのものに移っていくのは避けがたい危機でもあり、amtはハンドブックにその緩衝材となるべき存在を巧みに織り込んでいる。amtのミスターキャット(Mr.KAT from amt)ことバド・アンダーソンの存在の強調である。バド・アンダーソンについては本連載第7回もぜひ参照されたいが、ハンドブックでは2ページを割き、このバド・アンダーソンというエージェントにインタビューを試みるかたちで、彼の役割・位置づけをより明確化している。

実態はamt社員でありアメリカンカープラモ趣味の宣伝広告担当者であった彼は、連載第13回でも軽くふれたとおり、ホットロッド/カスタムカーをメインとした実車の人気雑誌カークラフト誌にアメリカンカープラモについて連載記事を執筆していてすでに名の知れた存在ではあったが、加えてハンドブックの記事では

「模型制作歴じつに20年以上」「24歳に見える33歳」「中華料理とメキシコ料理が大好物」「カープラモを売りつけることで子供たちのなけなしの小銭をふんだくる悪党」「全米各地のカープラモ販売拠点をつねに渡り歩き、いつ眠っているのか皆目わからない男」

であると前置いたうえで、彼を「北ハリウッドのプールで捕まえ」「そのベールを引き剥がし、真の姿を白日のもとにさらす」ことを目的として綴られていくのだが、記事はつまるところ彼を「ミニチュア界のジョージ・バリス」「プチ・スタイリング界のエド・ロス」であるとさりげなくも大きく定義づけている。

他ならぬアメリカンカープラモ趣味の提供者であるamtにこうした「顔」を貼りつけることによって、ビジネス全体を親しみやすいものとして可視化する試みであると同時に、貴方の手にしているものはおもちゃではない、実車に負けずとも劣らない創造的な愉しみに身をおいているのだ、事実この世界にはエキスパートがおり、貴方は彼らに導かれるその途上にいることが強調される。

amtハンドブックは他にも、amtが魅惑のアメリカンカープラモを世に送り出すプロセスを時系列だてて紹介し、この中でアル・ボースト(ケネス・ボースト、Kenneth “Al” Borst)の存在をさりげなく紹介している。1950年代はじめ、ゼネラルモーターズのデザイン部門に所属していた彼は、コンセプトカーを中心とした数々の夢の車、未来の車を、第一線級のデザイナーたちのアイデアをもとにエアブラシで活き活きと描き出すレンダリングのプロフェッショナルだった男で、彼こそはamt製品全体のアートワークのほぼすべてを手がけていた。

GMをはじめ巨大自動車会社においては慣例上その名はほとんど日の目を見ることはなかったが、消費の最後の瞬間までイメージと戯れる遊びであるアメリカンカープラモの世界では、パッケージアートはその何倍も大きな価値を持ち、その描き手が何者であるかは消費者の強い関心の的だった。同様にamtの主任設計者であったフィル・シェルドン(Phil Sheldon)もまた真剣な表情で新製品の最終チェックに余念がないようすを紹介されている。

ハンドブック誌面のより詳細については写真キャプションに譲ることとしたいが、いまや世界中のあちこちに星の数ほどあるプラモデルメーカーの中で、製品のむこうにいる送り手の「顔」が見える会社は驚くほど少ない。趣味の世界が一定の成熟をみた現在でこそ、日本のバンダイやタミヤなどの例を数えることはできるが、amtはあきらかにその先駆者であった。

製品づくりに真摯に打ち込み、そして思いっきり遊ぶ大人の姿が、より若い消費者の心を揺り動かす、そんな「物語」のモデルケースが1962年のこの小冊子には克明に記録されているのだ。

photo:秦 正史、畔蒜幸雄

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