コラム

「最強F1チームを支えるホンダのF1フィロソフィー」【自動車業界の研究】

今回は、「世界最高峰のモータースポーツ」のひとつであるF1について、そもそもF1とは? から70年以上の長い歴史の中で圧倒的に速くて強さを発揮したチームやドライバーのご紹介、そして、2023年に歴史的勝利をあげてダブルタイトルを獲得したレッドブル(オラクル・レッドブル・レーシング)とそのチームをパワーユニットで支えてきた日本のホンダレーシング(HRC)、さらにホンダがエンジンを供給して伝説的勝利をおさめた1988年マクラーレン(マールボロ・マクラーレン・ホンダ)との比較なども交えて、これまでにF1で数々の栄光をつかみとってきたホンダで受け継がれる「ホンダのF1フィロソフィー」、F1に関わる人々がいつの時代も常に競争して切磋琢磨しているからこそ魅力的であることを中心にコラムをお届けします。

F1について

そもそもF1とは国際自動車連盟[the Fédération Internationale de l’Automobile(FIA)]のモータースポーツカテゴリーであるフォーミュラワン世界選手権[Formula One World Championship]の略称でグランプリ[Grand Prix(GP)=フランス語で大賞という意味]と合わせてエフワングランプリ[F1 Grand Prix]と開催される各国の名称と共に称され、例えば「F1日本GP」といった具合に表現されています。
わかりやすく言うとドライバー、チーム、マシン、サーキット、規模といった全てが「世界最高峰のモータースポーツ」です。

F1は1年間のシーズンにおいて各GPのレースで「チャンピオンシップ・ポイント」が順位などに応じて付与される形で行われ、ドライバーの「ドライバーズ・ワールド・チャンピオン(ドライバーズタイトル)」とチームの「コンストラクターズ・ワールド・チャンピオン(コンストラクターズタイトル)」が競われます。
ちなみに元来、コンストラクターとは製造者を指していて、車体製造者とエンジン製造者が別の場合は車体製造者を指しますが、現在は製造委託者も含めチームを指しています。

F1が初開催されたのは1950年のイギリスGPで既に70年以上の歴史があり、かつては有名なアメリカの「インディ500」もF1に組み込まれていました。
そんな中、1950年の第2戦モナコGPから現在に至るまでフェラーリはチームとして唯一、継続してレースに参戦していて「F1の歴史はフェラーリの歴史」とさえ言われる所以はここにあります。

F1において圧倒的速さと強さを誇った伝説の数々

F1においては、これまで数々の名勝負が繰り広げられてきましたが、伝説として語り継がれるほどに圧倒的に速くて強いドライバーやチーム、マシンが存在しており、今回はその中のいくつかをご紹介します。

先ずは、F1が始まった年である1950年のアルファロメオです。
当時は年間全7戦で内1戦はアメリカが誇るレース「インディ500」が組み込まれていましたが、アルファロメオは出走しなかった「インディ500」を除いた6戦を全勝、当時はまだコンストラクターズタイトルが存在していませんでしたが(コンストラクターズタイトルは1958年から)、年間3勝を挙げた「ジュゼッペ・ファリーナ」選手がF1初のドライバーズタイトルを獲得しています。

1950年F1初開催イギリスGPでアルファロメオ158に乗りチェッカーフラッグを受ける「ジュゼッペ・ファリーナ」選手(Alfa Romeo)

その後、1950年代にアルファロメオ、メルセデス・ベンツ、フェラーリ、マセラティにて、5度のドライバーズタイトルを獲得した伝説のドライバー「ファン・マヌエル・ファンジオ」選手は2003年に「ミハエル・シューマッハ」選手に記録が破られるまでの実に50年にもわたってドライバーズタイトル獲得回数の最多記録でした。

1954年メルセデス・ベンツW196に乗る「ファン・マヌエル・ファンジオ」選手(Wikipedia)

次に、1969年の「フォード・コスワース・DFVエンジン(Ford cosworth DFV engine )」はマトラ(MATRA)、ロータス(LOTUS)、ブラバム(BRABHAM)、マクラーレン(MCLAREN)の4チームに供給、搭載されて年間の全11戦を全勝(マトラが6勝、ロータスとブラバムが各2勝、マクラーレンが1勝)していて、マトラの「ジャッキー・スチュワート」選手がドライバーズタイトルを獲得しています。
V型8気筒、排気量3.0Lリッター自然吸気の「フォード・コスワース・DFVエンジン」は実に1968年から1974年まで7年連続でチャンピオンエンジンとして君臨していて、1969年の全勝はその強さを象徴するシーズンであったと思われます。

1969年マトラ・フォードMS80に乗る「ジャッキー・スチュワート」選手(Wikipedia)

続いて、日本の企業として初めて1986年にチャンピオンエンジンとなった「ホンダエンジン」は圧倒的パワーと信頼性、デジタル技術でF1をリード、ウィリアムズ・ホンダ(1986年、1987年)とマクラーレン・ホンダ(1988年、1989年、1990年、1991年)で6年連続コンストラクターズタイトルを獲得してチャンピオンエンジンとして君臨しました。

1987年のイギリスGPでは1位から4位を独占という快挙も成し遂げており、1位はウィリアムズ・ホンダの「ナイジェル・マンセル」選手、2位は同じくウィリアムズ・ホンダの「ネルソン・ピケ」選手、3位はロータス・ホンダの「アイルトン・セナ」選手、4位は同じくロータス・ホンダで日本人F1ドライバーの先駆者である「中嶋 悟」選手で、さらにウィリアムズ・ホンダの2台は他の全てのチームを周回遅れにするほどの圧倒的速さでした。

「ホンダエンジン」は他のエンジンに比較して燃費が良くて、過給圧規制がなかった時代には瞬間的に最高出力1500馬力とも言われたV型6気筒、排気量1.5Lターボの時代に最強エンジンの称号をほしいままにしていて、その後、過給がレギュレーションで禁止された1989年以降もV型10気筒やV型12気筒の排気量3.5L自然吸気エンジンで参戦を続けた1992年まで最強エンジンとして君臨し続けました。
しかし、1992年は車体や空力といったマシンの総合性能で上回るウィリアムズ・ルノーにコンストラクターズタイトルもドライバーズタイトル(「ナイジェル・マンセル」選手)も奪われ、エンジンで勝てる時代の終焉とも言われましたが、逆にそれほどまでに「ホンダエンジン」が強かったとも言えるのではないでしょうか。
その後も日本企業でエンジンやパワーユニット(ハイブリッド)をF1チームに供給してチャンピオンを獲得した企業はホンダ以外に存在していません。

「ホンダエンジン」1-2-3-4フィニッシュ〔1987年イギリスGP〕

日本企業として他には、タイヤを供給するブリヂストンが1998年に(マクラーレン・メルセデスでコンストラクターズと「ミカ・ハッキネン」選手のドライバーズのダブルタイトルを獲得、後にフランスのタイヤメーカーであるミシュランとタイヤ戦争とも称されるほどの名勝負を重ねて、参戦を続けた2010年までに通算175勝しています。

そして、世界最高峰のレースとして名高いモナコGPにおいて、1984年から1993年までの10年にもわたって「アイルトン・セナ」選手(6勝)と「アラン・プロスト」選手(4勝)がライバル2人で全勝(10勝)しています。
10年という年月はとても長くて、日進月歩があたり前のF1の世界において、ドライバーにとって最も難易度の高い究極のレースとさえ言われるモナコGPにおいて、如何に2人が速くて強かったかを伺える極めて偉大で尊敬される戦績であると思います。

1991年モナコGPでマクラーレン・ホンダMP4-6に乗る「アイルトン・セナ」選手(Wikipedia)

近年では、メルセデス[メルセデス・AMG・ペトロナス(Mercedes-AMG PETRONAS)]がコンストラクターズタイトル連続獲得の史上最多記録として2014年から2021年まで何と8年連続を成し遂げています。
8年にもわたってチャンピオンになるためのアドバンテージを保つことがどれほど難しいか? は想像を絶する世界ですが、チーム力の源である「人」はドライバーやメカニック、エンジニア、スタッフなどの移籍も多いF1の世界において、「トト・ウォルフ」代表やメルセデスのチームとしての求心力、ガソリン自動車を発明した「メルセデス・ベンツ」としてのブランド力などがあってこその偉業ではないでしょうか。
また、マシンへのレギュレーションの関係から2020年メルセデス「W11」は2023年時点においても歴代最速と言われ、F1が開催されるサーキットのコースレコードも保有しています。

そして、歴代F1ドライバーとして最多7度のドライバーズタイトルを獲得している「ミハエル・シューマッハ」選手と「ルイス・ハミルトン」選手、それぞれがフェラーリとメルセデスの黄金期とも重なっていて、とてつもない記録です。
さらに「ルイス・ハミルトン」選手は2024年も現役ドライバーとしてメルセデスからの出走が予定されていますので、さらなるドライバーズタイトル獲得も期待されます。

他にもたくさんの伝説とされる凄まじいF1の戦績があるかとは思いますが、今回はその中からいくつかをご紹介しました。

2002年フェラーリ F2002 に乗る「ミハエル・シューマッハ」選手(Ferrari)

2020年メルセデス W11 に乗る「ルイス・ハミルトン」選手(Mercedes-Benz)

2023年チャンピオンチームのレッドブル

レッドブル(オラクル・レッドブル・レーシング)のチーム構成は、ドライバーが「マックス・フェルスタッペン」選手と「セルジオ・ペレス」選手、リザーブドライバーとして控える「リアム・ローソン」選手、「デニス・ハウガー」選手、「ゼイン・マロニー」選手、テストを担うサードドライバーに「ダニエル・リカルド」選手、シミュレータードライバーとして「ルディ・ヴァン・ビューレン」選手といった錚々たる体制です。

チームはオーストリアのエナジードリンクメーカー「レッドブル有限会社(Red Bull GmbH)」を母体とする「レッドブル・レーシング社(Red Bull Racing Limited:RBR)」がチームのマネジメントや運営を担い、技術部門である「レッドブル・テクノロジー社(Red Bull Technology Limited:RBT)」が法人上は別に車体製造を担い、「レッドブル・アドバンスド・テクノロジーズ社(Red Bull Advanced Technologies Limited:RBAT)」がエンジニアリングと商用技術を担い、「レッドブル・パワートレインズ社(Red Bull Powertrains:RBPT)」と日本の「本田技研工業株式会社(Honda Motor Co., Ltd.:HM)」のモータースポーツ会社である「株式会社ホンダレーシング(Honda Racing Corporation:HRC)」が連携してパワーユニットを担い、タイトルパートナーにアメリカのソフトウェア企業「オラクル社(Oracle Corporation)」といったところが概要です。
少し複雑ですが、おおまかに括れば「ドライバー×レッドブル×ホンダ×スポンサー(オラクル他)」といったチームです。

レギュレーションの関係もあって一部ではありますが、レッドブルと同じく「レッドブル有限会社」が母体で姉妹チームのスクーデリア・アルファタウリにもレッドブル・テクノロジー社からリアサスペンションやギアボックスなどが供給されています。

2023年レッドブルRB19に乗る「マックス・フェルスタッペン」選手(HRC)

2023年日本GPでアルファタウリに乗る「角田裕毅」選手と「リアム・ローソン」選手(HRC)

歴史的勝利を収めた2023年のレッドブル

F1史上稀にみる戦績を収めた2023年レッドブル(オラクル・レッドブル・レーシング)は、チームとしてダントツの速さと強さ、優位性を誇りシーズンを通して他チームを圧倒する全22戦で21勝を挙げて、コンストラクターズと「マックス・フェルスタッペン」選手のドライバーズのダブルタイトルを獲得しました。

レッドブルの強さは、速くて安定して走れるドライバーの「マックス・フェルスタッペン」選手と「セルジオ・ペレス」選手、ほぼ全てのサーキットで他チームを凌駕するマシンのパッケージング、シャシーと足回りや空力といった性能、高出力と高燃費を生み出すパワーユニット、高度に制御を行うシステムなどで、それらを実現するのは優れたエンジニアやメカニック、スタッフといった関係者、チームプリンシパルの「クリスチャン・ホーナー」によるマネジメント力といった総合力の高さに他なりません。
さらにひとつずつ大事に勝っていくというチーム全体の集中力と「マックス・フェルスタッペン」選手のずば抜けた決勝レースでの強さは本当に凄いです。

HRCが関与するパワーユニットは、何と言っても壊れないことをベースにエンジンの軽量高強度、低フリクション、高速燃焼といったトップレベルの性能にエネルギー回生側のデプロイメント(Deployment)の最適化、つまり、MGU-K(Motor Generator Unit Kinetic)によるブレーキング時の運動エネルギーからの電気エネルギー変換や駆動アシストを最適化すること、さらにMGU-H(Motor Generator Unit Heat)による排気ガスからの電気エネルギー変換、ターボコンプレッサーの駆動の最適制御といった全体のエネルギーマネジメントが高度に実現され、パワーユニットとしてトップレベルの実力がチームを支えていたと考えられます。

「世界最高峰のモータースポーツ」のひとつであるF1で1勝するのは想像を絶する至難の業ですが、全22戦でチームとして21勝、そして、「マックス・フェルスタッペン」選手はその内の19勝を挙げており、コンストラクターとしてもドライバーとしてもF1史上最多の年間勝利数です。

2023年オランダGPの「マックス・フェルスタッペン」選手(HRC)

2023年アゼルバイジャンGPの「セルジオ・ペレス」選手(HRC)

2023年コンストラクターズタイトルを獲得したオラクル・レッドブル・レーシングチーム(HRC)

近代F1最強と言われてきた1988年マクラーレンと2023年レッドブル

伝説として語り継がれる1988年マクラーレンは、当時、既に2度のドライバーズタイトルを獲得していた最強ドライバーの「アラン・プロスト」選手、最速ドライバーの「アイルトン・セナ」選手、圧倒的パワーでレースを支配していた最強の「ホンダエンジン」、トップレベルの車体と稀代の名将「ロン・デニス」監督による高いチームマネジメントが実現しており、その組み合わせはジョイント・ナンバー1と提唱されていました。

シーズンの結果は圧巻で、もちろんコンストラクターズとドライバーズのダブルタイトルを獲得、圧勝の戦績は凄まじく、イタリアGPを除き全て優勝(1位)「16戦中15勝で勝率=93.8%」、同じくイギリスGPを除き全てポールポジション(予選1位)「16戦中15ポールポジションでポールポジション率=93.8%」、獲得ポイントは「199ポイント」で2位フェラーリの「65ポイント」の3倍以上と圧倒して、その後も時代でF1のポイント制度は異なるものの、ここまで他チームを圧倒する結果を残した例はありません。

ちなみに当時のドライバーズタイトルには上位11戦の有効ポイント制が採用されていたため、獲得ポイントでは下回るものの日本でもとても人気が高かった「アイルトン・セナ」選手(獲得94ポイント、有効90ポイント)がチームメイトでライバルの「アラン・プロスト」選手(獲得105ポイント、有効87ポイント)に競り勝ち、初のドライバーズタイトルを獲得しました。
2人のドライバーによる激しい競い合いは「セナプロ対決」と称されてF1を牽引、たくさんのファンを惹きつけてF1の人気が盛り上がり、その後における日本はもちろん世界のF1人気に拍車をかけ貢献しました。

一方、2023年レッドブルは1988年マクラーレンと同じくシンガポールGPを除き全て優勝しており、さらに1988年の年間16戦に対して2023年は年間22戦(予定は23戦であったがエミリア・ロマーニャGPが豪雨災害で中止)であっため「22戦中21勝で勝率=95.5%」と1988年マクラーレンを僅かですが勝率で上回るという偉業を成し遂げました。

そして、1988年マクラーレンも2023年レッドブルも日本のホンダがエンジン、パワーユニットに関わっていることが共通しています。

では、どちらが凄かったのか? について、本来は時代が異なるので両者の比較はできませんが、今回はチームとして、それぞれの時代において他チームと比較して相対的にどちらが速かったか?強かったか? についてできるだけ客観的に記憶と記録から比較をしてみました。

記憶からの印象では2023年レッドブルは抜群の安定感を誇り、他チームが速さを見せたりアクシデントがあったりしても、最後は確実に優勝するという強さと凄みを持ち、特にドライバーとして史上最多の年間19勝を挙げた「マックス・フェルスタッペン」選手の圧倒的パフォーマンスと勝利への執念、「セルジオ・ペレス」選手の堅実で安定した走りとトップレベルのマシンパフォーマンスから素晴らしい結果をもたらしたと思います。

2023年レッドブル・RBPTホンダ(HRC)

対して1988年マクラーレンは、「アラン・プロスト」選手と「アイルトン・セナ」選手によるチームメイト同士による熾烈で研ぎ澄まされた別次元の戦いが毎回のレースで繰り広げられ、2023年レッドブル以上に他を圧倒する凄まじい速さで他チームを大差で引き離していたと記憶していますが、客観的、定量的に比較するために改めて記録から分析してみました。

1988年マクラーレン・ホンダ(Honda)

結果として、あくまでもひとつの見方ではありますが、やはり、1988年マクラーレンは2023年レッドブルでさえも比較して圧倒的パフォーマンスの結果を残していたと考えられます。
理由として、先ず評価にあたって「フォーミュラワン世界選手権」と同様にポイントで比較するため、2023年レッドブルの結果に1988年のポイント制度をあてはめて(逆だと加点等で複雑であるため)、GP数を1988年と同じ年間16戦としてポイントを換算すると「188ポイント」であることから「199ポイント」であった1988年マクラーレンには及びません。

1988年マクラーレンと2023年レッドブル戦績比較〔1988年マクラーレン〕

1988年マクラーレンと2023年レッドブル戦績比較〔2023年レッドブル〕

続いて、チームとして1ー2フィニッシュ(1位と2位)率の比較でも1988年マクラーレンは「62.5%」と2023年レッドブルの「27.3%」に対して倍以上で、その速さを端的に表しているのがレース決勝や予選の他チームとのタイム差です。
決勝では1988年マクラーレンの「アイルトン・セナ」選手が何とチームメイトの「アラン・プロスト」選手以外、他の全てのチームを周回遅れ(1ラップ以上の遅れ)にしたレースが2つ、さらに1-2フィニッシュの際にチームとしての下位である2位と他チームでは最上位の3位とタイム差が30秒以上もあったレースが前述の周回遅れの2レースも含めて7レースも存在しておりますが、2023年レッドブルには同様の見方でタイム差が30秒以上あったレースは1レースもありません。

また、予選でも1988年マクラーレンは、ポールポジション率が「93.8%」と2023年レッドブルの「63.6%」を上回っており、ポールポジションと2位の独占もマクラーレンの「75.0%」が2023年レッドブルの「4.5%」を圧倒していて、さらに1988年マクラーレンは予選でポールポジションと2位を独占した際にチームとしての下位である2位と他チームでは最上位の3位とタイム差が「2.5秒以上」が1回、「1.5秒以上」が1回、「1.0秒以上」が3回、「0.8秒以上」が2回、「0.2秒」以上が3回、「0.2秒未満」が2回と2023年レッドブルの「0.2秒未満」が1回を遥かに凌ぎます。

1周1.0秒の差は極めて大きいとされるF1で、予選での2.5秒差と言うのは凄まじい差で計算上は40周で100.0秒にも至るため周回遅れも必然です。
しかも、当時の過給機付き(ターボ)エンジンにはレギュレーションで燃料タンク容量が150ℓに規制され燃費が厳しかったこともあって、何と他の上位チームでさえ、決勝では1988年マクラーレンより周回遅れで1ラップ少ないことを予め計算して作戦に取り入れていたという逸話も存在するほどです。

そして、時代でポイント制度が異なるため本来は比較できませんが、各々の時代における実際の獲得ポイントによる2位チームとの差異といった見方においても1988年マクラーレンは2位フェラーリの3.1倍と2023年レッドブルの2位メルセデスの2.1倍を上回ります。

もう一つ、勝つための速さという点において1988年マクラーレンは全てのレースで他を圧倒しており、コース特性も含めて優勝する速さがなかったレースは1レースも存在せず、唯一、優勝を逃したイタリアGPもトップを独走する「アイルトン・セナ」選手が病気で欠場したウィリアムズの「ナイジェル・マンセル」選手の代役で走っていた「ジャン=ルイ・シュレッサー」選手と接触して優勝を逃しており、速さとしては十分に優勝できるポテンシャルを持っていました。
一方、2023年レッドブルは1戦だけですがシンガポールGPにおいてフェラーリや他チームに速さで負けていて(市街地サーキットでバンピーという特殊と言っても良いコースにマシン特性が合わなかったのが要因と言われています)、これはまたF1の奥深さを物語っていると感じます。

もちろん2023年レッドブルも異次元の速さと強さで、特に「マックス・フェルスタッペン」選手の年間19勝は未だかつてない大記録です。

1988年マクラーレンと2023年レッドブル戦績比較〔まとめ〕

興味深いこととして、1988年マクラーレンも2023年レッドブルも唯一、優勝できなかったレースで優勝しているのがF1の代名詞と言われるフェラーリであるということです。
優勝したドライバーは、1988年は「ゲルハルト・ベルガー」選手、2023年は「カルロス・サインツJr.」選手です。
1988年はフェラーリの地元イタリアGPで1-2フィニッシュ、さらにフェラーリの創業者である「エンツォ・フェラーリ」氏が亡くなられてから日にちもたっておらず、その日のモンツァ・サーキットの熱狂と興奮は今日まで語り継がれています。

受け継がれる「ホンダのF1フィロソフィー」と将来

世界最先端の技術が研究開発され続けて惜しみなく投入されるF1に、ホンダが世間から無謀と揶揄される中で初めて参戦したのは1964年で60年ほど経ちますが、その間に自動車、F1の世界は進化と変化を続け、研究開発においても物理モデルを材料、機械、電気、電子、制御など鑑みて自身で検討、実際にテストしてという従来からの研究開発のみならず、ソフトウェアを駆使してシミュレーションやモデルベース開発(Model Based Development:MBD)、モデルベースシステムズエンジニアリング(Model Based Systems Engineering:MBSE)を実現するべく、如何にIT、AIといったツールを上手く使えるか? も研究開発で競う時代に突入しています。
つまり、研究開発のスタイルは大きく変化していて従来は物理学や機械工学、電気工学、ハードウェアといった分野の力が問われていましたが、現在はシステム、IT、AI、ソフトウェアといった分野も非常に重要になってきています。

そんな中、ホンダがF1に初めて参戦して以来、脈々と受け継がれる技術的知見やノウハウなどはもちろんのこと、「ホンダのF1フィロソフィー」や思想、スピリットが受け継がれていくことは、いつの時代においても有効でマネージャー、エンジニア、サポートスタッフなどにとって唯一無二のホンダしか持ち得ない価値でアドバンテージですが、これらはF1に参戦しているからこそ持ち得る宝であると考えられます。

今回、ご紹介した1988年マクラーレンから2023年レッドブルに至るまでも技術の伝承、「ホンダのF1フィロソフィー」が脈々と受け継がれてきたからこそ、時代が移り変わり現場を担う「人」が変わっても他を圧倒する戦績を残せているのだと思います。

ホンダは2026年にアストンマーティン・アラムコ・コグニザント・フォーミュラ・ワン・チーム(Aston Martin Aramco Cognizant Formula One® Team)へのパワーユニット供給でチャンピオンを目指すことを発表していますが、かつてはカーボンニュートラル対応に専念するため撤退としていたものの、FIAが2030年のカーボンニュートラル実現と2026年から100%カーボンニュートラル燃料を義務付け電動出力の比率も現在の3倍に引き上げることから参戦へと方針転換したとのことです。
F1においてはチームとしての総合力が結果に結びつくため、現在の最強チームであるレッドブルとの連携に比べて困難で厳しい状況が想定され、さらにライバルであるフェラーリやメルセデス、他チームの台頭もあって、チャンピオンへのハードルは一段と高いと思われますが受け継がれる「ホンダのF1フィロソフィー」によって技術者が成長して、きっと「チャンピオンパワーユニット」サプライヤーという時代が来るのではないでしょうか。

そして、安全で世の中をHappyにするエキサイティングで人々を魅了させてくれる将来のF1であることを願います。

F1試作車と本田宗一郎氏(Honda)

ホンダ本社に展示されるレッドブルRB19のショーカー〔フロント〕

ホンダ本社に展示されるレッドブルRB19のショーカー〔リア〕

参考リンク)
© 2003-2024 Formula One World Championship Limited
https://www.formula1.com/en.html

F1 2023(HRC)
https://honda.racing/ja/f1/season/f-1-2023

レッドブル・レーシング
https://www.redbullracing.com/int-en

スクーデリア・アルファタウリ
https://scuderia.alphatauri.com/ja/

“STORIE ALFA ROMEO” EPISODE 4: ALFA ROMEO BECOMES THE FIRST CONSTRUCTOR TO WIN THE FORMULA 1 CHAMPIONSHIP(ALFA ROMEO)
https://www.media.stellantis.com/uk-en/alfa-romeo/press/storie-alfa-romeo-episode-4-alfa-romeo-becomes-the-first-constructor-to-win-the-formula-1-championship

ファン・マヌエル・ファンジオ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%AA

マトラ・MS80(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BBMS80

モナコグランプリ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%82%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA

Ferrari F2002(Ferrari)
https://www.ferrari.com/ja-JP/history/garage/2002/f2002

70th Anniversary Grand Prix 2020 – Sunday(Mercedes-Benz)
https://media.mercedes-benz.com/article/20967d1b-c08a-4809-9585-bbd45652c0d7

ヒストリー(Honda)
https://global.honda/jp/brand/history-digest/?from=navi_local_global_jp

 

この記事を書いた人

橋爪一仁

自動車4社を経てアビームコンサルティング。企画業務を中心にCASE、DX×CX、セールス&マーケティング、広報、渉外、認証、R&D、工場管理、生産技術、製造等、自動車産業の幅広い経験をベースに現在は業界研究を中心に活動。特にCASEとエンジンが専門で日本車とドイツ車が得意領域。

橋爪一仁

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