パイクカー第3弾は優雅なクーペ
この記事の公開日は2024年2月14日。今から33年前の今日――すなわち1991年2月14日に発売された名車をご存じであろうか? バブル期を象徴するパイクカーの1台、日産フィガロである。
フィガロは、1980年代後半から日産が進めていたパイクカー戦略の1台として誕生した。「パイク(pike)」とは、槍や鉾、ひいては「尖ったもの」という意味である。とんがったクルマ、つまり時代の最尖端を行く自動車ということになるが、その結果として生まれたフィガロは、実に丸い。丸くて尖ったクルマ、それがフィガロであると言えるだろう。
パイクカーの第一弾は、1987年に発売されたBe-1である。これは当時の日産マーチをベースに、すこし丸みを帯びた、どこかノスタルジックなボディを架装したモデルであった。前年・1986年の東京モーターショーで発表され、翌年に限定販売。あまりの好評に台数枠を拡大したほどで、これを受けてパイクカー第二弾としてPAO(パオ)が登場。これは1987年にやはりモーターショーで発表、1989年に発売されている。そしてパイクカー第三弾のフィガロは1989年の東京モーターショーで発表され、1991年の今日、発売されたという訳である。
フィガロのコンセプトは「日常の中のちょっとしたお洒落、優雅な気分を気軽に楽しめる個性的なパーソナルクーペ」。Be-1、PAOが2ボックス・スタイルを採っていたのと対照的に3ボックスのクーペ・スタイルであったが、ただのクーペではなく、キャビンのサイドを残してルーフ(布地)からリアウィンドウにかけてが開閉する、フルオープントップとなっていたのが特徴である。またクーペであるため、後席は完全に+2として割り切られている。
樹脂外板で構成された味のあるデザインのボディに、1Lターボを搭載
そのボディスタイルは、Be-1やPAOよりも強くレトロ感覚を打ち出したもので、多用されたクロームメッキがそれを強調している。1930年代のダットサン・ロードスターやアール・デコがその発想源となったとも言われているが、日産では「精神的な満足感と、オープンエアの楽しさを気軽に味わえる」、「おおらかな曲面と自然なラインで構成」された、「味のあるデザイン」などと述べていた。
一方、このボディにはリサイクル可能な樹脂外板のフレックスパネル(ポリアミド変性PPOアロイ樹脂)が使用されているのも特筆すべき点である。これは成形の自由度が高く軽量、錆びないといった利点があるほか、軽衝突時には形状の復元性があるのも特徴で、Be-1以来パイクカー・シリーズで採用が継承されたものであった。
Be-1とPAO同様フィガロもベースはマーチで、エンジンは1Lの直列4気筒OHCターボであるMA10ET(最高出力76ps)。変速機は3速オートマチックが組み合わせられた。インテリアはもちろんマーチと異なる専用のもので、エクステリア同様にレトロかつ高級感のあるもの。シートにはアメリカ製の本革が用いられていたが、そのカラーはオフホワイトのみの設定。一方、ダッシュパネルはボディカラーの同系色で仕上げられていた。
フィガロの販売にあたっては、限定総台数の20000台を3回に分けて抽選するという方法を採用。1回目:8000台、2回目および3回目:各6000台の販売とされ、それぞれ販売台数を超える申し込みがあった時点で抽選を行う、という方式で合った。そのため2月14日は、厳密に言うと第一回の販売における申し込み受付開始日ということになる。希望小売価格は187万円(東京・名古屋・大阪・福岡の各地区共通)であった。