amtによってつねに手厚くキット化のなされたフォードに較べ、マーキュリー車の展開はいつも地味なものにとどまり続けてきた。しかし1970年はマーキュリー自身にとってもアグレッシブな変革の年であり、MPCの手でキット化されたこのサイクロン・スポイラーこそは、実質ポンティアックGTO "ジャッジ"への挑戦でもあった。マーキュリーもMPCもこの年は熱く燃え上がっていたわけだ。 写真:羽田 洋、畔蒜幸雄、隠善 礼、梅花百十楼、秦 正史 記事にもどる