1974年からライセンスはamtへと移るが、1977年にはふたたび(訳あって……)MPCの許へ戻るという複雑な経緯をたどる。NASCARキットに強いモノグラムというイメージは、じつは1982年以降の話なのだ。画像は箱の側面、この頃のマシンは現在の分類でジェネレーション2にあたり、市販車とは全く異なるフレーム、シャシーが使用され始めた時期である。「FULL NASCAR CHASSIS」という一言でそれが表現されている。 写真:畔蒜幸雄、羽田 洋、秦 正史 記事にもどる