
常識を覆した「米国製メルセデス」。Mクラスを振り返る
メルセデス・ベンツ初の米国製SUVにして、プレミアムSUVのパイオニアとして歴史に名を刻む「Mクラス」。それは、オフローダーが独占していた市場に、メルセデスならではの上質感と先進性で挑んだ、ブランドの新たな挑戦の象徴でもあった。現行モデル「GLE」の元祖として今なお語り継がれるこの名車の、開発の背景から技術的な革新性までを改めて紹介しよう。
【画像31枚】これがオフローダーの常識を覆したスタイリング。貴重なコンセプトカー「AA Vision」から辿る「Mクラス」進化の系譜
Gクラスとは異なる価値の創造へ。メルセデスアメリカでSUVを造った理由
メルセデス・ベンツのMクラスは、1997年に初めてアメリカのアラバマ州タスカルーサ工場で生産された車両である。すでにメルセデス・ベンツには、SUVとしてGクラスがあったが、元来軍用車両を基本としそのコンポーネンツをほとんど変えることなく、別格扱いとされていた。
そこで、1997年5月21日、メルセデス・ベンツは、ドイツで開発しアメリカ市場を主なターゲットとしてファミリーユース向けにクロスオーバーSUV「Mクラス」をアメリカ生産すると発表した。つまり、このMクラスはプレミアムSUVのパイオニアとして、オフローダーから派生したクロスカントリー的な4WDが独占していたアメリカ市場にメルセデス・ベンツの上質感や先進性を持ち込んだのである。
時は1992年、メルセデス・ベンツの主導で開始したエンジニアリングの研究は「Gモデル」を含めた未来への多角的な方向性を決定した。そのヘッドにいたのが管理委員会の若いメンバーであるアンドレ・レンシュラー。1992年3月、メルセデス・ベンツは、新しいSUVを造るべきか否か、造るとすればどこで造るかを決めるプロジェクトの責任者に、この若い34歳のレンシュラーを任命した。
1992年10月、レンシュラーとその委員会は取締役会に基本プランを提出した。それは、メルセデス・ベンツの新しいSUVのデザインと生産はアメリカで行うというものであった。この新しい4輪駆動SUVのアメリカ工場を建設するという決定は1993年、、当時メルセデス・ベンツ社の会長であったヴェルナー・ニーファーによって発表された。
1996年1月にデトロイトで開催された北米国際自動車ショーで発表されたメルセデス・ベンツのコンセプトスタディ「AA Vision」は、1997年5月からアラバマ州タスカルーサの新工場で生産されるMクラスとほぼ同じ生産レベルにあった。つまり、この4輪駆動のコンセプトスタディ「AA Vision」は、将来のMクラス/W163(1997年~2005年)のデザインの特徴を先取りしていた(ベスト・オフ・ショーに選出された)。この「AA Vision」は、数週間後のジュネーブモーターショーでヨーロッパデビューを果たし、メルセデス・ベンツはこのモデル名を「Mクラス」と発表した。
この初代Mクラス/W163の開発は、1994年に設立された新会社「メルセデス・ベンツ・ユナイテッド・ステイツ・インターナショナル(MBUSI)が担当し、社長にはアンドレ・レンシュラーが就任した。アラバマ州タスカルーサに土地を購入し、工場が建設された。81万平方メートルの土地の新工場は、9万3000平方メートルの屋根付きエリアを持ち、ホワイトボディアッセンブリー、塗装工場、アッセンブリー、トレーニングセンター、カスタマーセンターを収容していた。当時のダイムラー・ベンツ社は、3億ドル超を投資し、Mクラスの開発には約7億ドルの費用がかけられた。結果、1997年5月にタスカルーサ工場の操業が無事開始された。
オフローダーの常識を覆した革新技術。Mクラスが示した新たなSUVの形
まずテスト車が生産され、すぐに成功を納めた1か月後、アラバマ州バーミンガムでこのメルセデス・ベンツの新しいSUVである「Mクラス」がメディアに紹介された。当時、ここで完成したMクラスの半分はアメリカ市場向けで、もう半分は世界各地に輸出された。特筆すべきは、メルセデス・ベンツの乗用車を全世界市場向けにアメリカで生産したドイツ国外初の生産拠点ということであった。
当時のSUV市場はまさにブームの最中にあり、アメリカでは60万台の市場が1997年には200万台の市場になっていた。メルセデス・ベンツにとって当時の高級SUVの2つの競合車は、ランドローバーとジープ・グランドチェロキーであった。
特に、初代Mクラス/W163の4輪駆動、高い最低地上高、ゆったりとした室内空間は、クラシックなオフロード車の重要な特徴であった。それは、高いオンロード速度でも優れた乗り心地、快適なインテリアを備え、バランスの良いデザインに仕立てあげられた。特に、リアクオーターウィンドウが注目に値する。Cピラーを寝かしてDピラーをブラックアウトし、斜め後方の安全な視界を確保しているのはMクラスの伝統である。
洗練されたサスペンションが、新たなレベルの快適性を可能にした。多くのライバルとは対照的に、このMクラス/W163はフロントとリアが独立したサスペンションを備えていた。フロントはダブルウィッシュボーン式独立懸架、リアは5リンク式リジッドアクスル(初期型。後期型で一部独立懸架)を採用。
永久的な4輪駆動も従来のシステムとは異なり、ディファレンシャルロックを廃止し、代わりに電子トラクションシステムETS(Electronic Tractoin System)の改良版を採用。滑りやすい路面でホイールが回転し始めた場合、ETSは所定の速度に達するまでそのホイールにブレーキをかける。これにより、路面の密着性が良好なホイールへの駆動トルクを増加する。独立懸架とETSが一体となって、Mクラス/W163のオンロード/オフロードの両方でのハンドリングの安全性と安定性を高めている。
2005年から生産されたMクラスの第2世代/W164で、メルセデス・ベンツは高剛性モノコックボディ、フルタイム4WDの4MATICを採用した。2011年には、Mクラスの第3世代/W166が公開された。その開発の焦点は、燃料効率の向上、オン/オフロードでの乗り心地の向上、革新的なプレセーフなどの安全システムであった。そして2015年10月のマイナーチェンジに伴い、GLEクラスに移行され、現代に至っている。
【画像31枚】これがオフローダーの常識を覆したスタイリング。貴重なコンセプトカー「AA Vision」から辿る「Mクラス」進化の系譜
日本市場における歴代Mクラスの歩み
このMクラスは特にフルモデルチエンジ・マイナーチェンジ・特別仕様等が多いので整理してみる必要がある。そこで、筆者が主に日本市場のモデルを下記の通り整理してみた。
初代Mクラス/W163(1997年~2005年)
1997年5月に発表された。日本では1998年からML320で販売開始(3.2L V型6気筒/218ps)。その後、2000年にML430(4.3L V型8気筒/272ps)と、ディーゼルエンジンのML270CDI(2.7L 5気筒ディーゼルエンジン/163ps)が追加、そして2002年の自動車NOx-PM法でML270CDIとML320は輸入終了。ML320は排気量をアップしML350(実際の排気量は3.7L V型6気筒/235ps)となり、ML55 AMG(5.4L V型8気筒/347ps、左ハンドル)も追加。
2代目Mクラス/W164(2005年~2011年)
2005年のフルモデルチェンジを機に、高剛性モノコックボディを採用し質感や快適性を向上。日本では2005年からML350/ML500が、販売当初からフルタイム4WDの4MATICを採用。ML350(3.5L V型8気筒/272ps)、ML500はマイナーチェンジされML550(5.5L V型8気筒/387ps)となる。2006年にML63 AMG(6.3L V型8気筒/510ps)を追加。ML350クリーンディーゼル「ブルーテック」が復活導入(3.0L V型6気筒ターボディーゼル/211ps)。
3代目Mクラス/W166(2011年~2015年)
2011年6月に発表。日本では2012年から販売開始。ML350 4MATICに新開発3.5L V型6気筒エンジンを搭載し306psを発揮。ML350ブルーテック4MATIC(3.0L V型6気筒ターボディーゼル)に可変エンジンマウントを採用し静粛性と低振動性を向上。この2モデルには7G-TRONICプラスを採用。ML63 AMGは5.5L V型8気筒ツインターボを搭載し525psを発揮するトップクラス。特別仕様/限定販売も多くなった。
2015年10月のマイナーチェンジに伴い、GLEクラスに移行され現代に至っている。
【画像31枚】これがオフローダーの常識を覆したスタイリング。貴重なコンセプトカー「AA Vision」から辿る「Mクラス」進化の系譜