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900ポンドの「DB5」が100万ポンドの至宝へ──アストン・マーティン・ワークスによる「50年越しの奇跡」

1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5
1965年式アストン・マーティン DB5

半世紀の所有、そして聖地での再生──あるオーナーとDB5の物語

アストン・マーティンの歴史が息づく英国ニューポート・パグネルで、半世紀にわたる一人の男の夢が結実した。1970年代初頭にわずか900ポンドで購入され、長きにわたり眠りについていた1965年式アストン・マーティン「DB5」が、アストン・マーティン・ワークスによる徹底的なレストアを経て、完全なる復活を遂げたのである。オーナーと愛車の深い絆が織りなす物語を紹介しよう。

【画像27枚】塗装は剥げ、錆に覆われた姿からの劇的変化。100万ポンドの輝きを取り戻した「DB5」のビフォーアフターを見る

19歳の決断。残業で貯めた「900ポンド」で掴んだ夢

物語は1972年、ウェールズの溶接工ジョン・ウィリアムズ氏が18歳の時に始まった。彼は自身のドリームカーであるDB5を手に入れるため、1年以上もの間、残業を重ねて資金を貯めた。そして1973年9月、19歳になった彼はロンドンへと向かい、現金900ポンド(現在の価値で約1万5000ポンド=約300万円)で憧れのクルマを手に入れたのである。『モータースポーツ』誌で見つけたその車は、ヴァンテージ・エンジンを搭載した理想的な一台だった。

ジョンはこのDB5を4年以上日常の足として愛用したが、1977年に中東での仕事を得たことを機に、クルマは自宅の私道で保管されることになった。「人生にはいろいろなことがあります」と語るジョンの言葉通り、時には売却の誘惑もあったが、妻のスーの「二度と手に入らないわよ」という助言もあり、彼は手放すことなく所有し続けた。

しかし、長い保管期間は車体を確実に蝕んでいった。近所の子供たちが遊び場にし、ボンネットの上で跳ねたり、エキゾーストパイプに乗って折ってしまったこともあったという。ジョンは、愛車を荒廃させてしまったことに恥じ入りながらも、「いつかレストアして、再び走らせる」という目標を胸に秘めていた。

聖地ニューポート・パグネルで費やされた「2500時間」の熱量

2022年後半、ウィリアムズ夫妻はついに愛車の再生を決意し、アストン・マーティンの「聖地」であるニューポート・パグネルのワークスにクルマを託した。到着時の状態は極めて深刻だったが、職人たちはそれを挑戦として受け入れた。

レストアには約3年の歳月と、2500時間以上の作業時間が費やされた。パネル、塗装、トリム、機械系の各専門チームが結集し、老朽化した車体はベアメタルの状態から再構築された。ウィリアムズ夫妻も頻繁に現場を訪れ、アルミパネルが一枚一枚手作業で成形され、往年の姿を取り戻していく過程を見守った。ジョンは「昔ながらのクルマ作りの技が、若い世代に継承されていることに感動しました」と語っている。

今回蘇ったDB5は、歴史的価値も極めて高い。1963年から1965年に生産されたDB5サルーン887台のうち、ジョンのクルマと同じ「ヴァンテージ・エンジン」「右ハンドル」「シルバー・バーチ塗装」の組み合わせで製造された個体は、わずか39台しか存在しない。アストン・マーティン・ワークスのポール・スパイアーズ社長は、その希少性と来歴、そして完璧な仕上がりから、市場価値は最大で100万ポンド(約2億円)に達すると推測している。

1ペニーたりとも無駄ではなかった」。半世紀の愛が報われた瞬間

レストアが完了し、新車以上の輝きを放つ愛車と対面したジョン・ウィリアムズ氏の喜びはひとしおだった。「長い道のりでしたが、1ペニーたりとも無駄ではありませんでした。約50年ぶりの運転体験は驚異的で、信じられないほどです。『私の少女』が、かつての栄光を纏って帰ってきたのです」

【ル・ボラン編集部より】

ニューポート・パグネル。アストン・マーティンの魂が宿るこの聖地で、また一つ美しい物語が紡がれた。かつてル・ボランWebで報じた「DB5コンティニュエーション」の新造に4500時間を要した事実を鑑みれば、今回のレストアに費やされた2500時間という熱量は、単なる修理の域を超えた「再生」の儀式である。

市場価値の暴騰もさることながら、評価すべきは50年間手放さなかったオーナーの情熱と、それに応えるワークスの「真正性」だ。最新のDB12が放つ現代的なGT性能も魅力的だが、歴史という時間を味方につけたDB5の佇まいには、数値化できない色気が漂う。これは単なる旧車趣味ではなく、文化遺産の継承である。

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