Roundup:16 葡萄の味
ほとんど意識されない小さな問題だが、われわれ1/25アメリカンカープラモ愛好家は、’55フォード・サンダーバードそのものを手にすることができない。
【画像108枚】「パーカー、初代サンダーバードの資料とプラモデルの画像を見せて頂戴」「はい、お嬢様」
プレミアやアイデアル・トイ・カンパニーといったメーカーには、かつて1/25スケールを謳うキットが存在したが、対象を忠実に写したスケールモデルと呼ぶにはいささか無理がある。これらはあくまで鷹揚な雰囲気をさっと組み立てる玩具であって、こうしたキットを媒介に’55サンダーバードそのものを味わおうとしても、それはブルーベリーを思いながらアサイーを噛むようなものである。
’55サンダーバードのスケールモデルと呼びうるものは、1970年代も後半、amtから登場した1/16スケールキットしか見当たらない。
なぜこんなことになってしまったのか——あるいは、こんなことになってしまっているのに、なぜわれわれはこの事実をさほど深刻なものと受け止めることなく、’56や’57のキットをもってリトルバードは事足れりとしてきたのか。アメリカンカープラモ・クロニクル第66回は、’55フォード・サンダーバードをめぐるこの奇妙な困難に迫ってみたい。
All-steel body needs no bright work.
サンダーバードの誕生は、思いのほか純粋ではない。フォードがこの新しい車を説明しようとした第一声——1954年2月、フォードの発表では「オールスチール製ボディーは耐久性にすぐれた一般的な構造」(Its all steel body is of durable, conventional construction)であることがまず訴求された。

160馬力、YブロックV8、オールスチールボディー、2種類のトップ、ワイドアングルのウィンドシールド、ボールジョイント・サスペンション——きわめて具体的な要素をフォードは、サンダーバードをアメリカンロードでユニークにするものとして列挙する。そのかたわらにはミニチュアプードルが描かれる。1950年代半ば、アメリカで大流行した犬種であり、そこには都会的で洗練され、少しフランス的なコードも読み取れる。コンチネンタル・アメリカ。
さらに同年10月21日付で全国展開された新聞広告には「新しい魅惑のオールスチール・ビューティー」(a bewitching new all-steel beauty)とある。1954年のうちに発行されたサンダーバードの独立したセールスブローシャーに到ってはさらに露骨に「これまでのアメリカ製スポーツカーとは異なり」ボディーはオールスチール(unlike conventional American sports cars, its body is all-steel)と書かれていて、モデルイヤーにしてわずか2年先行するのみとはいえ、たとえばシボレー・コルベットのFRP構造との違いにフォードはくり返し言葉を尽くしている。
まったく「新しい」車を印象づけるために、オールスチール製であることを起点に、耐久性にすぐれ(durable)、信頼性が高く(dependable)、時の試練を経た(time-tested)従来型(conventional)といった「古さ」の表現をたたみかけるフォードの時間の取り扱い方はいささか奇妙にみえる。
フォードがここで補おうと試みているのは、通常の乗用車に較べてはるかに小さく、オーナーを含め運べる人員がずっと少ないにもかかわらず、はっきりと割高である車についての安心材料である。ホイールベースわずか102インチの2座、サンダーバードは間違いなく軽快なロードカーだが、1954年10月22日に告知されたベース価格は2,695ドル、ほどなく2,944ドルに値上げされている。
オプションを挙げれば、オートマチック・トランスミッション(Ford-O-Matic)が178ドル20、3速マニュアル・トランスミッション用のオーバードライブが109ドル70、パワーステアリング(Master-Guide)が91ドル40、パワーブレーキ(Swift-Sure)が40ドル、パワーウインドウ70ドル、ヒーター(Magic Aire)が71ドル43、ラジオが99ドル50、ホワイトウォールタイヤに30ドルの追加料金がそれぞれかかるため、概ねサンダーバードは3,000ドルをたやすく踏み越えてしまう車だったとみてよい。
同じ1955年式のフォード・フェアレーン・サンライナーのベース価格が2,224ドルだったことを考慮すると、サンダーバードの価値の数え方は、そもそも他のフォード車とはまったく異なっていた。
特別な車なのだから当たり前だろう、とする見方は、じつは遡及的である。当たり前のことをわざわざ言うようだが、’55フォード・サンダーバードには、参照すべき「前年のサンダーバード」がなかった。もちろんサンダーバードは、フォードの商品体系において特別な地位を占める前提で作り出されたものだが、そのすべては「ひとまずこのようになった」ところからのスタートだった。
興味深い資料をご紹介したい。フォードから’55サンダーバードの図版提供を受けて制作された、オハイオ州トレドのチャンピオン・スパークプラグの2色刷り雑誌広告である。量産された’55サンダーバードの身体には存在しない、ボディー側面のクローム装飾が描かれたままになっている。

’55フォード・サンダーバードにあり得たかもしれないサイドモールディング。この図版を公式に借り受けて広告を制作したチャンピオン・スパークプラグは、車をしかと名指ししたうえで「スポーツカーの風格をまとった新しいパーソナルカー」(The new personal car with the sports car flair)というフォードの言葉をわざわざ復唱している。そこに残ってしまった不都合なクローム。
このクローム装飾は他の’55フォードを特徴づけるもので、2トーンのボディーカラーを顧客が選択した際には塗り分け線(ディバイダー)としても機能するモールディングだったが、これを装着したプロトタイプのサンダーバードをめぐっては、経営・マーケティング側の賛成(当時フォード部門を率いていたルイス・クルーソーははっきり支持を表明し、当のプロトタイプをしばしば乗り回していたとされる)とデザイン側の反対(スタイリングに関与したウィリアム・P・ボイヤーはチームの総意を「死んでも御免だ」という論調だったと述懐している)という対立があり、結局デザイン側のフランク・ハーシー、ジーン・ボーディナットらの強い説得によって、土壇場で量産型への不採用が決まったとする証言がある。
プロトタイプに基づいた図版を用いてすでに印刷が済んでいたブローシャーなどには破棄が命じられたが、このチャンピオン・スパークプラグの広告のように、差し止めの手が及ばなかったケースもあった。
必ずしも取り払われたサイドモールディングを原因とするものではないが、’55サンダーバードには、他のフォードには用意された2トーンのボディーカラーは設定されなかった。
ふたつの年式の区別を一筋縄ではいかぬものにした複雑さ
サンダーバードに「いかにも50’sらしい」2トーンカラーが公式に用意されたのは1956年からだった。1955年のレイヴンブラック、トーチレッド、サンダーバードブルー、モデルイヤー途中から追加されたスノーシューホワイトとゴールデンロッドイエローの5色展開はほぼ全面的に見直され、コロニアルホワイト、レイヴンブラック、ナバホグレー(ソリッド)、サンダーバードグレー(メタリック)、フィエスタレッド、ピーコックブルー、サンダーバードグリーン、バックスキンタン、さらにシーズン途中からゴールデングローイエローとサンセットコーラルが追加され、顧客の目移りを誘うようなパレットになった。
デビュー時に争点となったサイドモールディングは復活することなく、サンダーバードの2トーン塗装は、’55から引き継がれたグラスファイバー製の着脱式ハードトップを、ボディーカラーと異なる色にするかたちとして落着した。「選べる2トーン」としては13通りの組み合わせが追加料金の必要とともに提示された。
’56に到ってサンダーバードの着脱式ハードトップには、デザイン上のアイキャッチが盛り込まれた。LPレコードより大きな直径14インチのガラスを嵌め込んだ丸いポートホールである。ハードトップ装着時のリアサイドの視界だけではなく、手狭な2シーターの閉塞感をかなり改善する実用的な窓でありながら、道行く人の眼には最新型のサンダーバードをことさら強く印象づける変更でもあった。

’56サンダーバードのグラスファイバー・ハードトップはポートホールの有無を選ぶことができた。ハードトップそのものを不要としてファブリックトップのみとすることも、その両方を所有することもできた——この選択肢を包み、顧客がどう決断しようとそれを正当化するのは、「良い趣味」(good taste)という安心であり、サンダーバードを選ぶお客様はすでに「良い趣味」をお持ちだ、とするフォードの見解である。
この年フロントフェンダー後端に追加され、走行時に新鮮な外気を取り込むカウルサイドベンチレーターも、やはりハードトップ装着時の息苦しさを改善した。
改善は本質的に、同じ身分にあるものどうしの比較を前提としている。サンダーバードは1956年を迎えて初めて「前年のサンダーバード」を同じ身分の比較対象として獲得した。この限定において、量産にあたりプロトタイプにあったサイドモールディングを撤去するか否かは改善とは呼びがたい。しかし改善は、容易に以前の仕様を後年の解釈上でプロトタイプ化する。
‘56サンダーバードの改善を指折り数えるほど、’55サンダーバードは「まだ丸窓がないサンダーバード」「まだ換気が不充分だったサンダーバード」にされてしまう。
カースポッターが’55と’56のサンダーバードを見分けようとするとき、とりわけ目立つのは、ボディーから独立したスペアホイールキャリアの有無である。’56サンダーバードで標準装備となり、コンチネンタルキットないしコンチネンタルスペアと俗称される装置だ。’55サンダーバードにとってスペアホイールは、トランクスペースの約半分を占拠してしまう厄介な荷物であり、これを問題視するかのような写真がいまもヘンリー・フォード・ミュージアムのアーカイブに残されている。

ここではスペアホイールキャリアではなく、リアバンパー左右両端に開いた「穴」を見てほしい。ここが排気口である。’55デビュー時のジェットノズル風処理をやめ、デフレクターを介してひっそりと逃がす——’56は排気を飾り立てない。いまも’56を大切に乗り継ぐ愛好家の多くが、クロームバンパーの汚れや変色、腐蝕を嫌って、さらに別の目立たないところへ真の排気口を移設していると聞く。かくしてリアバンパーの穴は、’56であることを証するために残される。(作例制作:周東光広)
サンダーバードへのスペアホイールキャリア装着をめぐっては、興味深い事実がいくつかある。フォードが公式にこの問題の解消を果たしたのは’56モデルが登場してからとされているが、サードパーティーによるサンダーバード専用を謳ったスペアホイールキャリアは、’55サンダーバードの発売から1か月ほどで市場に広く出回っている。この分野の大手であるヒューデルソン・ホワイトボーンによるきわめて迅速な対応だが、この商魂のたくましさ自体はさほど驚くにはあたらない。
しかし、このヒューデルソン・ホワイトボーンの出自が、イリノイ州シャンペーン(ダナ・ヒューデルソン)とカリフォルニア州サンフランシスコ(セシル・A・ホワイトボーン)それぞれの有力なフォード・ディーラーによる合弁であったこと、後者は1951年5月22日に成立した「リアトランクへのアクセスを妨げないスペアホイールキャリアの可動機構」の技術的特許を、発明者のローランド・W・ストロンバーグから譲受していること、さらにはこの社外品が1955年の段階で、フォード・サンダーバードの組立工場を出る前に装着されたことを示すインボイスが少なくとも1枚、後年の調査によって発見されていること、さらに——
フォード部門を当時率いていたルイス・クルーソーがよく乗っていたとされる’55サンダーバードに、社外品と思われるスペアホイールキャリアが装着されていたという証言が、やはり後年の調査によって判明していること——これらを挙げていくと、フォードとヒューデルソン・ホワイトボーンの距離はいかなる関係がそこに生じたとしてもおかしくない近さに見える。
さらに踏み込めば、同社は1952年にパッカードが公開したショーカー、パッカード・パンアメリカンを華やかに飾ったスペアホイールキャリアの供給元として大いにその名を売っており、「コンチネンタルキットといえばヒューデルソン・ホワイトボーン」との認識を広くアメリカに印象づけ、ビジネスを大きく拡大していく途上にあった。

特許番号2553686、外付けスペアホイールキャリアを後ろへ倒し、隣接するトランクスペースへのアクセスを妨げない機構——ヒューデルソン・ホワイトボーンの「コンチネンタル・ビジネス」を成功に導いたのはこの特許と、同社製品を取り入れたショーカー、パッカード・パンアメリカンがインターナショナルモータースポーツショーで勝ち取った栄冠の威光だった。彼らは製品を終始一貫して「コンチネンタル」と呼んでいた。これは1952年の広告である。
外付けスペアホイールの豪華な記号性は、名門パッカードの威光を借りながらもヒューデルソン・ホワイトボーンがかなりの程度まで育てていたもので、誕生まもないフォード・サンダーバードがいきなり抱えた収納問題の解決策は、まさに前述した「近さ」のうちに存在していた。それを後世のわれわれは「コンチネンタルキットといえば’56サンダーバード」という見たままのイメージへと、ついつい単純化してしまう。
ここで’56サンダーバードの雑誌広告を見てみよう。スペアホイールキャリアを当然のように背負ったサンダーバードたちが、自然さを装いながら蝟集している。手前に置かれたピーコックブルーの1台こそトップオープンだが、後景の3台は幌を展張し、あるいはハードトップを装着しているように見える。
レイヴンブラックの1台は幌を展張した状態であることが明瞭だが、注目すべきはさらに後景のフィエスタレッド、バックスキンタンの2台で、どちらにもボディーと色違いの白いハードトップが載っており、どちらにもポートホールらしきものが見当たらない。
1956年にはポートホールのないハードトップも正規に選択できたのである。はっきりとボディー側面をこちらに向けたタンの1台にはカウルサイドベントが見てとれる。ここで眼を泳がせてしまうのは、むしろ「’56サンダーバードとはこういうもの」と後年になって決めつけるようになった、われわれカースポッターである。

水鳥がコロニーをつくるように、新型’56サンダーバードが集っている。人々はカップルがほとんどだが、黒いサンダーバードのそばには幼い女の子が見える。彼女が手にした赤い輪は、時期を考えるとフラフープではなく、走りながら転がして遊ぶ、より古典的なフープかもしれない。だとすればこれは木製ないし金属製の、軽くとも幾分かさばる荷物である。トランクには余裕が生まれたのだから、このたびの水辺の行楽には必需品と彼女が判断したのかもしれない。
求めても得られないもの
おそらく本稿の読者は、「’55サンダーバードにはキットがない」という理解を手がかりに、では’55サンダーバードとはいかなる車なのか、明快な説明が引き渡される瞬間を待っていることと思う。模型ビルダーはかなりの程度、カースポッターを兼ねているのだから当然である。しかし’55サンダーバードは、「より完成された’56」の前段階であると読まれてしまう条件をこれほどまでに抱えている。
「その都度アニュアルキットが出る」という親切な時代は、サンダーバードがまだ温かくも揺れていた時間には間に合わなかった。ここに模型メーカーの「裁定」が入り込んで、ポートホールとサイドベント、コンチネンタルキットを備え、2トーン塗装を愉しめる’56に、あるいは’57に完成度や最終形という言葉を添えて、「リトルバードはこれ」という代表権を与えようとしているかに見える。
事実、1/25アメリカンカープラモの歴史は21世紀の4分の1を終えてなお、’55サンダーバードへの最短ルートを閉ざしたままである。

1955年から1957年にかけて存在したサンダーバードというテーマに対し、発売時期がもっとも近いスケールモデルはamt製の’57だった。1962年発売、品番T2257-200。’62サンダーバード・アニュアルキットのすぐとなりで「古い方のサンダーバード」として販売された、トロフィーシリーズのキットである。箱サイズの大小、品番違い、発売時期への異論(1960年説)など、多くのことが語られてきたキットだが、「なぜ’57が?」とはほとんど問われない——そうした意味でも「はじまりのキット」だ。
厄介な事実の束が、模型ビルダー/カースポッターを困惑させる。あるいはごくまれに、「テーマの稀少性を上げる」ことにビルドの意味を見出す者が、’55サンダーバードを作ってみたいという欲望を困難とともに掘り当てるだろう。なんて面倒なんだ、と面喰らってサンダーバードというテーマ自体と距離を取ろうとするのもまた自然なふるまいである。
だからといって、’55フォード・サンダーバードはこうした困難によって少しも損なわれない。模型メーカーとわれわれ模型ビルダーがさしたる自覚なく支えている制度もまた、’55サンダーバードの影響をほとんど受けつけない。
しかし、根気強くここまで本稿を読みすすめてきた者には、’56も’57も「’55の役割を果たし得ないもの」に見えはじめているはずである。距離が少しも縮まらないまま、それでもあなたを追ってくるかに思えるサンダーバードがあるのなら、それは’56ではなく’55の可能性もある。
※今回、amt 1/25「’57 Tバード」、「1957サンダーバード」、「’57 Tバード フロム・ザ・TVシリーズ・ベガス」、「’57 Tバード」(ラウンド2版)、AMTアーテル1/25「1957フォード・サンダーバード・ハードトップ/コンバーチブル」、「1956フォード・サンダーバード」、モノグラム1/24「’56 Tバード」、同ダイキャストボディ版の画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。ありがとうございました。
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