遠藤イヅルが自身のイラストともに1980年代以降の趣味車、いわゆる”ヤングタイマー”なクルマを振り返るという『ボクらのヤングタイマー列伝』です。今回は国産スーパーカーがいいなあ、と思った編集担当はピンと来ました! はい、ヤマハ初の4輪車、OX99-11ですヨ!
ボクらのヤングタイマー列伝第44回『アルファロメオ33』の記事はコチラから
OX99 -11は、まさにフォーミュラーカーに近い設計。市販車とは桁外れの”公道を走れるレーシングマシーン”です!
スーパーカーブームが日本を席巻していた時代、ボクの手元にある大百科系の本では、日本車でスーパーカーの仲間に入っていたのはマツダ・サバンナRX-7(SA22C)などでしたので、子供心に”130psじゃ、スーパーカーじゃないよなあ”と思ったものでした。その後、1980年代末から規制値280psの大パワーを持った国産車たちが続々と登場。日本車も世界の高性能車に比肩するようになりました。そんな中、ホンダがNSXをデビューさせ、日本車も本格的なスーパーカーの仲間入りをしたのは誇らしい事実と言えます。
と前置きが長くなってしまいましたが、今月のお題は、ヤマハ初の4 輪車として1992年に登場したスーパーカー『ヤマハOX99-11』です! CFRP製のモノコックに、当時F1に供給していた3.5リッターV12エンジンをデチューンして搭載したOX99-11は、まさにフォーミュラーカーに近い設計。ステアリング位置はセンター、2名分のシート配置はタンデム型、由良拓也氏によるグループCカーを思わせる流麗なデザインのボディはアルミもしくはFRP製……などなど、一般的な市販車とは桁外れな”公道を走れるレーシングマシーン”でした。もっと驚きなのは、OX99-11が市販前提で発表されていたこと。予定価格は100万ドル(邦貨1億円超!)とも言われていましたよね。しかし1992年は、残念ながらバブル経済の最末期。結果として発売されることはなく、3台を製造したのみで計画は終了してしまうのです(涙)。
国産スーパーカーと言えば童夢零ですが、OX99-11の3年前にも衝撃的なスーパーカーが誕生していたことをご記憶でしょうか。はい、『ジオット・キャスピタ』です! 1989年のデビューで、同じく量産を見越したクルマでした。キャスピタもF1用の3.5リッターエンジンを積んでいますが、こちらはスバル(=モトーリ・モデルニ)のフラット12。それを包み込むボディのデザインは、伊藤邦久氏が手がけていました。
しかしこちらも市販モデルのパイロット的な存在だった2号車が出たのが1992年で、時すでに遅し。OX99-11同様、市販化の夢は潰えてしまうのです……(涙)。OX99-11の発売価格、ジオットの設立自体が服飾会社のワコールのブランディングの一環だったことなど、どちらもバブル期でなければ考えられないようなクルマたちでしたよね。
1980、1990年代の国産スーパーカーといえばこれも市販に至らなかった『日産MID4』が思い出されますが、最後に1台だけロードバージョンが作られた『日産R390』で話を締めましょう。ル・マン参戦に向け、ジャガーXJR-15をベースに作ったレーシングカーです。往年のR38X系の名前を継いだことで、当時興奮しました!
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。