佐藤恒治新社長のもと、新たな経営体制で活動をスタートしたトヨタ自動車。そこで、本誌では自動車のリーディングカンパニーであるトヨタの未来へ向けたロードマップを、さまざまな分野をリードするキーマンへのインタビューを通して解き明かしていくことに。第一回目は、豊田章男前社長から新たな舵取り役を任された佐藤恒治新社長への単独インタビューをお届けしよう。
佐藤新体制が掲げる「継承と進化」とは
岡崎 佐藤さんと初めてお話したのは、チーフエンジニア(開発責任者)を務められたレクサスLCの発表会でした。その後、京都での試乗会の夜、遅い時間までLCのこと、クルマのことをあれこれ話したことをいまでも覚えてます。
佐藤 あれは楽しい時間でした。クルマ好き同士でクルマ話をするのは最高ですね。
岡崎 あれから6年。ついに社長の大役に就かれたわけですが、率直にどんな印象ですか。
佐藤 まず章男さんのバトンタッチでのスピード感に驚いてます(笑)。私の正式な社長就任は4月1日。なのに1月26日の社長交代発表の翌日には「俺はもう会長だ。社長業は託したから頑張れ!」みたいな感じで、早々と会長の名刺を作って配り始めてしまった。というわけで、それはそれは刺激的な毎日を送っています(笑)。
岡崎 いきなり社長やれって言われたって大変ですよね。正直いって、引き受けたい人は誰もいないのではないかと。
佐藤 そうなんですよ……と言ってはいけないですけど、でも実際「おめでとう」と言ってくれる人はあまりいなくて、「大変ですね」とばかり言われます(笑)。まあ章男さんの13年があまりに大きかったので、自分らしくやるしかないなとは思っています。
トヨタはフルラインの量産メーカー。だからこそ、多様なソリューションを持たなくてはいけない
岡崎 自分らしく……まさに今回お聞きしたいテーマはそこで、佐藤新体制が掲げている「継承と進化」を因数分解して、トヨタが今後どんな取り組みをしていくかに僕はものすごく興味があります。そこでまずは、これはおそらく継承する部分だろうと思うのですが、企業としてのフィロソフィーからうかがっていきたいなと。いろいろな自動車メーカーの方とお話ししていて感じるのは、トヨタは特異な会社だってことなんです。皆さん、営利企業なので利益を追求するという部分は同じですが、トヨタの場合、利益追求の先にあるのが日本の自動車産業の繁栄、ひいては日本のためだったり、世界のユーザーの幸せだったりする。実際、最近のエネルギー価格や資源価格の高騰で苦しんでいる取引先に対し、トヨタは5000億円もの補填を実施しました。また、自社のベースアップを非公表にすることで取引先の「遠慮賃上げ抑制」をなくし、結果として多くの企業でトヨタを上回るベースアップが行なわれた。そうやってよくよくウォッチしていくと、世間でよく言われている「下請けいじめ」とは正反対の事象がたくさん出てくる。これ、章男さん流に言うと「550万人の仲間」とか「幸せの量産」なんですが、佐藤さんはそこをどのように捉えていらっしゃいますか。
佐藤 そこは、トヨタの創業の理念である産業報国(産業を通じて世の中のお役に立つ)が染みついているんだと思います。具体的には、フルラインの量産メーカーとして1人でも多くのお客様にクルマの利便性や喜びをご提供し、また雇用や納税を通して社会や国に貢献したいというのがわれわれの行動原理です。働いた労働の対価って、もちろん金銭的対価もあるでしょうけれど、誰かが喜んでくれる喜びってあるじゃないですか。利益はあくまでそういった積み重ねの結果ですし、そのための原資なんだよという想いは常にもっていますね。
岡崎 キーワードはフルラインの量産メーカーですね。プレミアムブランドだったらお金持ちだけに焦点を合わせたクルマを作ればいい。実際、レクサスは2030年までにBEV(バッテリーEV)でフルラインナップを実現、を打ち出しました。でも世界中のありとあらゆる地域のありとあらゆる人のためにクルマを作っているトヨタは違うと。実際、昨今のカーボンニュートラル絡みの世界動向を見ても、トヨタは自分たちがハイブリッドで成功してるからBEVに後ろ向きなんだと散々な言われっぷりだったじゃないですか。でも、「誰1人取り残さない」ためにもBEV一本槍にはできないというのがトヨタの考えなんですね。
佐藤 そのとおりです。インフラやエネルギーの状況、経済状況、国土の広さ、お客様のクルマの使い方、税制など世界は多様です。だとすれば、トヨタは多様なソリューションを持たなきゃいけないよね、というシンプルな発想です。
クルマ好きの想いを商品に込める
岡崎 トヨタは「敵はエンジンではなく炭素」という考え方のもと、「BEVもやるけどハイブリッドもPHEVも水素も全部やる」というマルチパスウェイ戦略を主張してきました。ただ、マルチパスウェイ戦略には手間もお金も時間もかかる。生き残るだけで精一杯の企業にはできない芸当であって、トヨタの理想を具現化していくためには利益を出し続けることが重要になってきますね。
佐藤 もちろんです。ただ、そこには落とし穴があって、常に襟を正していなければ台数や利益ばかりを追い求めるようになりがちです。過去を振り返ったとき、トヨタにも量的拡大こそが企業の成長だと考えていた時代がありました。2000年以降、会社の事業規模はどんどん大きくなっていって、世界中に生産工場を次々につくりました。そこで起こったのがリーマンショックと米国での品質問題、それに伴う赤字転落です。
岡崎 章男さんが社長に就任したのはまさにそのタイミングでした。
佐藤 あのときトヨタは一旦潰れたんです。そのどん底で豊田章男という経営者が現れ、13年かけてトヨタは何を大事にしなくてはいけないのかということを行動で示してきた。経済原理だけを追求していった先に待っているのは決して幸せな未来ではないんだと。そういうリーダーの姿を見ながら育ってきたのが私や新体制の経営チームです。なのでこの軸は絶対にブラしません。
岡崎 章男さんの影響は想像以上に大きかったんですね。
佐藤 と思います。ただ僕自身、社長室で章男さんと話したことはほとんどなくて、話すのはいつも開発現場でした。自分の想いは商品に込めるんだと言って現場に来て、クルマに乗り、エンジニアと話し続ける。そのキャッチボールでクルマがどんどん良くなっていく実感がありました。そしてクルマが完成し、お客様が笑顔になってくれた瞬間に、「あーやってよかった」ということになる。あれは何にも代えがたい喜びですよ。ただそうなるには、クルマが好きというのが条件です。これが仕事ですから、という気持ちでやっていたらお客様の笑顔がご褒美にならない。章男さんが13年間やってきたことを煎じ詰めれば、「俺たちクルマ屋なんだからクルマ好きでいようよ。好きでしょ? 楽しいよね? だからもっといいクルマをつくろう」です。
岡崎 佐藤さんが後継者として選ばれたのは、そういう想いを共有できていたことが大きかったと思われますか?
佐藤 だと思います。これは謙遜でもなんでもなく、今のトヨタには僕以外にも社長をやれる人間はたくさんいるんです。そんななか、いまトヨタに必要なフォーメーションに僕がたまたま合っていただけ。今後の戦局次第では、別の人がストライカーをやって、僕が違うポジションを守った方がいい局面が出てくるかもしれません。
岡崎 ただ、副社長だった人が降格させられたみたいな記事を読むと、そういうことが十分に理解されていない感じはありますね。
佐藤 ですね。むしろ旧副社長の3人が新たに担当するアジア、ウーヴン、電動化の3つは会社としての最重点戦略領域で、大きなミッションを引っ張れる人間だから抜擢された。つまり徹底した適材適所を貫いているだけなんですが、そこはなかなか伝わらないですね。
最近のトヨタ車が面白くなってきた理由
岡崎 佐藤さんは、社長として今後クルマ作りにどのように関わっていくおつもりですか?
佐藤 社長は商品化決定会議の議長なので、トヨタが出す商品の最終判断は今後僕がやっていくことになります。でも出来上がってから議論しても遅いと思うんです。そういう部分で、いままでチーフエンジニアとしてやってきた経験が活かせる部分、つまり企画の初期段階から入ってアイディアを育てていきたいと思っています。章男さんよりはむしろチーフエンジニア側に少し寄るというイメージでしょうか。
岡崎 チーフエンジニアをまとめる総大将みたいな感じですかね。
佐藤 ですね。ただ過剰に関与するとチーフエンジニアが嫌がるので(笑)、そこは上手な距離感を持たないといけないとも思っています。開発者を立てながらも、トヨタの向かっていくべき方向はこうだから商品はこうあるべきだよね、というのをうまく示していく。なので企画を練り込んでいく場面でのチャンバラはたぶん増えると思います。
岡崎 それは面白いことになりそうですね。でもトヨタの場合、社長の意見が必ずしも鶴の一声にはなりませんよね? 章男さんが次期プリウスはタクシー専用車にしたほうがいいんじゃないかと言ったのに、出てきたプリウスはぜんぜんタクシーじゃない(笑)。
佐藤 クルマ作りに本気だからです。トヨタには「技術の前では平等」という大原則があって、相手がどんな肩書きを持っていようが、技術論のなかでは平等。だからクルマ作りの中では想いの深さで意見を交わす。挑戦をするときって、意見がぶつかり合うことがすごく大事で、誰かの言うことを聞いて作るクルマなんて絶対面白くならない。意見がぶつかっているものほど面白いクルマになるんです。
岡崎 ご自身もレクサスGSは終わりだと会社から言われながら、粘り強く開発を続けて商品化にこぎつけた経験をお持ちですね。
佐藤 ええ。でもあれは僕のなかでは大きな挫折でした。あの頃Eセグのセダン市場がだんだんシュリンクして、Fセグ(LS)、Eセグ(GS)、Dセグ(IS)全部をマネージする力がレクサスにはないからGSは終わりにすると言われました。でも僕は意地を張ってやめない活動をやった。最後に章男さんが根負けしてプロジェクトは生き残ったんですが、いざ新型が世に出てジャーナリストから言われたのは「退屈」というコメントだったんです。甲子園で優勝して、自分はプロで通用するぞと思ったらぜんぜんダメだったようなものです。いまの執行役員全員、そういう失敗の経験がある。だけどそれを飲み込んでくれる懐の深さ、もの作りに真摯かどうかを見てくれる会社ではあると思います。たとえば今度レクサスのトップになった渡辺君(渡辺剛氏プレジデント)ですが、彼は僕の言うことなんか聞いたことなくて(笑)、なんなら佐藤さんより面白いクルマを作ってやる! くらいの勢いです。そういう人物の存在によって面白いものが生まれるっていう文化は、外から見てるよりもトヨタにはあると思います。僕と中嶋(中嶋裕樹副社長)なんて意見が合わないことが多くて喧嘩ばかりしてます。でもそれはお互いの想いがあるからできるし、そうすることでアイディアが深まっていくんです。
岡崎 最近のトヨタ車がどんどん面白くなってきている理由がわかったような気がします。ところで佐藤さんはエンジニア、それも商品開発責任者の経験をお持ちの社長ですが、それが有利に働く点と、逆に邪魔になる点はあったりしますか?
自動車業界で働いている550万人を守るためなら絶対に手間は惜しみません
佐藤 自分の想いを入れながら事業戦略を商品主体でやっていくんだという意味では、クルマづくりができる人間がリーダー役をやっている方が早い。これが有利な点です。一方で、クルマが好き過ぎるゆえにクルマ屋的発想から抜けきれないリスクは常に意識しておく必要があるなと。たとえばコネクティビティに関して、今あるソリューションで言うとそんなに繋がりたいものが自分にはまだなくて、男は黙ってクルマを走らせるだろとか(笑)。でもそこは冷静に、「自分にはわからない」というスタンスを持ってないとダメだと思ってます。
岡崎 たしかにそうですね。
佐藤 もう一点、これは弱点かどうかはわかりませんが、サプライヤーさんとの関係で、仲間意識というか、いろいろなことを知りすぎていることです。たとえばエンジン系部品メーカーさんに対して、これからBEVの比率が増えていきますよ、と単純に事実だけを伝えるようなことは僕にはできません。じゃあどうするのか。たまたまエンジンにしか使わない部品をつくっているメーカーさんでも、それをつくるのに使っている素晴らしい技術がある。その技術を使ってBEVのこのパーツをつくったらどうですかと一緒に考えて探しだせばいい。非常に回りくどいというか、ウェットな経営方法ですが、自動車業界で働いている550万人を守るためなら絶対に手間は惜しみません。
岡崎 その言葉を聞いて、きっと多くの方が勇気づけられたと思います。今回は「継承と進化」の継承の部分をメインにお話をうかがってきましたが、次号では進化にスポットを当てて佐藤流経営のお考えをうかがっていこうと思います。ありがとうございました。