コラム

巨匠ジウジアーロが「かなり失望した」真意とは。25年の時を経て語る「マセラティ3200GT」プロジェクト【ル・ボラン番外編】

アストンマーティン2020コンセプトと、ジョルジェット・ジウジアーロ(右)、ファブリツィオ・ジウジアーロ(左)。
ジョルジェット・ジウジアーロ(右)とファブリツィオ・ジウジアーロ(左)の親子。
食事をしながら、インタビューに答えるジウジアーロ親子と筆者(左から2番目)。
ジョルジェット・ジウジアーロが、ガレッシオの教会のために描いた絵画。この中にジウジアーロ家にまつわる実在の人物も描かれているのには笑った。
教会画のプロジェクトを説明してくれるジョルジェット・ジウジアーロ。後ろで見守るのはファブリツィオ・ジウジアーロ。
イタルデザインによる3200GTのプレゼンテーション・スケッチ。
特徴的なLEDコンポーネントを採用したテールライト。
ブーメランスタイルのテールライトが廃された後継スパイダー。
アストンマーティン2020コンセプトと、ジョルジェット・ジウジアーロ(右)、ファブリツィオ・ジウジアーロ(左)。

巨匠の故郷ガレッシオにて、3200GTの記憶を紐解く

現在発売中の『ル・ボラン』2025年8月号では特集「ヤングタイマーに乗らずに死ねるか!」の中で、1999年式マセラティ3200GTと最新グランツーリズモの新旧比較を掲載。同記事を執筆した、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表を務めるエンスージアスト、越湖信一さんに、誌面には収まらなかったジウジアーロの想いを綴ってもらった。

【画像8枚】巨匠ジウジアーロ親子の「今」。コンセプトカーと過ごす故郷ガレッシオでの姿、そして若き日の傑作を振り返る

天才ジウジアーロの「神業」的仕事術

ジョルジェット・ジウジアーロ(以下GG)はトリノ近郊の美しい山間の地、ガレッシオに生まれた。父は教会のフレスコ画職人であり、画家であったことはよく知られている。ガレッシオは温泉でも有名で、イタリアへ行ったことのある方なら、水滴がボトルに埋め込まれたユニークな“サンベルナルド”のミネラルウォーターを飲んだことがあるかもしれない。このサンベルナルドこそ、このガレッシオで今も汲みだされているミネラルウォーターであり、そのボトルをデザインしたのもGGなのである。

GGは今も生家のあるガレッシオを大切にして、スタジオを構え、週末は当地で絵を描いたり、トライアルバイクを(恐るべし87歳!)楽しんでいる。今回、筆者はGGの息子であるファブリツィオ・ジウジアーロ(以下FG)が「GFGスタイル」のコレクションからピックアップしてくれた「アストンマーティン2020コンセプト」に乗り込んで、画家GGをガレッシオに訪問した。

このコンセプトモデルが発表されたのが、2001年であるから、本題たる「マセラティ3200GT」と比較的近い時期にイタルデザイン・ジウジアーロ(以下イタルデザイン)でスタイリング開発が行われたことになる。本稿ではイタルデザイン時代にどのようなスタイリング開発が行われたのかということも含めた、マセラティ3200GTの番外編をお贈りしよう。

アレッサンドロ・デ・トマソの夢と、GGが味わった「失望」

毎年のように新しいコンセプトカーを発表していた当時のイタルデザインだが、自動車部門のデザイナーは多くて10人くらい。それらが並行して多数のプロジェクトを進め、かつ毎年、オリジナルのコンセプトカーを発表するのだから、とんでもない仕事量である。GGやFGプロデュースのもと、各デザイナーたちがプロジェクトを仕上げていく。

GGは外部との折衝も多く、日中何回も外出するのが常であった。作業を行うデザイナーたちの作画をちらっと横目で見ては通り過ぎ、帰ってくるときには「そこのキャラクターライン1mm下げて」なんて通り過ぎながら指示を出すという日常だった。それらGGの指示が毎回、あまりに適切であったと当時のデザイナーたちは口をそろえる。凄腕デザイナーたちも、GGの天才ぶりにノックアウトされていたようだ。

3200GTは、量産車開発としてFGが手掛けた最初のモデルであった。20歳そこそこで英才教育を受けた彼はマセラティのスタイリング開発をまとめるという大役を授かったわけだ。もちろんGGも大いに関与しており、この時期、以降発表するコンセプトカーは、隔年でGGかFGが手掛けた。この事実を知る人は少ない。ちなみに前述のアストンマーティンはFGの仕事であった。

マセラティ3200GTは当初、アレッサンドロ・デ・トマソから、マセラティ久方ぶりのフルサイズGT復活というキーワードでスタイリング開発の依頼が入っていた。1970年代にGGはアレッサンドロ・デ・トマソからクアトロポルテIIIのスタイリング開発を受けて完成させたが、その後のビトゥルボにおいて訴訟合戦となり、しばらく両者の関係は途絶えていた。しかし、アレッサンドロ・デ・トマソの何とも言えない人懐っこさでGGは丸め込まれ(笑)、3200GTプロジェクトを引き受けることとなったという。

しかし、1993年にアレッサンドロ・デ・トマソは心筋梗塞でビジネス生命を絶たれ、マセラティブランドはフィアットグループへと移管されてしまった。そして、開発要件は大きく変わった。当初、かつての初代ギブリやボーラのようなセグメントが想定されていたものが、ビトゥルボのプラットフォーム・ベースのかなりコンパクトなものへと計画変更されてしまったのだ。あまりネガティブな表現を見せないGGであるが、この件に関しては、かなり失望したと語っている。彼はマセラティが往年の本格的GTを創るというアレッサンドロ・デ・トマソのロマンに共鳴してプロジェクトを受けていたのであるから……。いずれにせよ、3200GTプロジェクトは1990年前後から動き始めていたことになる。

あの「ブーメランテール」に、巨匠は乗り気ではなかった?

件のブーメランスタイルのテールライトに関してだが、ル・ボラン本誌(2025年8月号)の記事に補足しておくなら、イタルデザインとしてはかなり初期よりブーメランスタイル他、幾つかのリアエンドに関する提案をしていたということだ。そして特にブーメランスタイルに固執したのは、フィアットグループのボスであったパオロ・カンタレラであった。彼は非点灯時にブラックとなるようなスタイルを希望したというエピソードもあるが、それはLEDの構造上、当時としては不可能であった。

いろいろと話をまとめていくと、このLEDテールライトとブーメランスタイルを強く推したのはカンタレラであって、途中から3200GTプロジェクトを引き継いだモンテゼーモロはそれほど乗り気でもなかったようだ。とにかく、この二人が絶えず揉めていたことは周知の事実であり、一方、GGとしては自らの提案である両案の決断をメーカー=マセラティにゆだねていた。GGのスタンスとして、ブーメランスタイルは悪くはないが、さほどセンセーショナルなものでもないと冷静に眺めていたというのが結論であろう。

一方で、カンタレラ推しのブーメランスタイルが採用されたことに、モンテゼーモロは快く思っていなかったようだ。カンタレラのフィアットグループ内での影響力が低下すると、モンテゼーモロは「あのブーメランスタイルはイタリアン・エレガンスに欠け、北米マーケットでは受け入れられない。日本車のようなイメージを感じるに違いない」と、けんもほろろであった。

結果的に後継のマセラティ・スパイダー&クーペに関して、北米の安全基準適合の問題はあったものの、オーソドックスなスタイルへと変更されたのはご存じのこと。だが、ふたを開けてみれば、北米マーケットから、なんでブーメランスタイルをやめたのかと不満続出であったという。ちなみにスパイダー&クーペのリスタイリング作業はピニンファリーナで行われ、当時在籍していた奥山清行氏が担当したというのも、知る人ぞ知るトリビアである。いずれにしても、筆者はテールライトに関してこれだけ語られるモデルを他に知らない。

おっと、このあたり語っていくときりがないので、このあたりで一旦筆を置きたい。ガレッシオでは、GGやFGからこのようなよもやま話を聞くのもさることながら、GGが父の後を追って新たに息吹を吹き込んだ、ガレッシオの教会画製作の説明を受け、作品を堪能した。まさにジウジアーロファンとして至福のひと時を過ごしたのであった。

* * *
本編にあたる3200GTと現行グランツーリズモの新旧比較は、発売中のル・ボラン2025年8月号「ヤングタイマーに乗らずに死ねるか!」でぜひお楽しみください!

タイトル:ル・ボラン568号 2025年8月号
定価:1500円(本体1364円+税10%)
発行年月日:2025年6月26日
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【画像8枚】巨匠ジウジアーロ親子の「今」。コンセプトカーと過ごす故郷ガレッシオでの姿、そして若き日の傑作を振り返る

フォト=越湖信一/S. Ekko、Maserati S.p.A.
越湖信一

AUTHOR

イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。前職であるレコード会社ディレクター時代には、世界各国のエンターテインメントビジネスにかかわりながら、ジャーナリスト、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表として自動車業界にかかわる。現在はビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。著書に『Maserati Complete GuideI~Ⅲ』『Giorgetto Giugiaro 世紀のカーデザイナー』『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング』などがある。

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