
並み居るライバルを抑えて、現在の愛車を手元に
原体験がその後のカーライフに大きな影響を及ぼすように思えてなりません。今回取材した柳澤一郎さんも、ふとしたきっかけで日本におけるポルシェの世界で名の知られた人との出逢いを通じてポルシェの世界を知り、やがて憧れの存在だった現在の愛車をたぐり寄せることとなります。憧れの存在を手元に引き寄せるには強い引力が必要なんだと、今回の取材を通じて改めて実感しています。
【画像23枚】オーナーの柳澤さんの思いが詰まった「1955年式ポルシェ356スピードスター」の詳細を見る
最初のポルシェはナローの911T

――クルマが好きになったのは何才頃でしたか?
今でも覚えているのは幼稚園に通っていたときには先生から「一郎くんはクルマ博士」みたいことを言われたと親から聞いています。幼稚園に入園する前、おそらく3歳くらいのときにはクルマ好きだったんじゃないかと思います。その後、もう少し大人になってから1969年に上映された『ミニミニ大作戦』や、1976年に上映された『激走!5000キロ』にも夢中になりましたね。
――柳澤さんのこれまでの愛車遍歴を教えてください
運転免許を取得後、チェリーX1やローレルといった日産車を中心に乗り継ぎました。ノーマルでは飽き足らず、シャコタンに改造したりして。やがて輸入車にシフトしていくんですが、その動機が不純でして(苦笑)。
20歳頃だったか、仲間のひとりがアメ車に乗り換えて、サイドマフラーに交換したり、ホットロッドにカスタムしてたんです。なぜか「ガイシャ」だと警察に捕まらないんですよ。
「ガイシャなら思い切り改造しても捕まらない(らしい?)」とのことで、学生時代の先輩からフォルクスワーゲン・ビートルを譲り受けたのがきっかけですね。ビートルで通学して、学校の近くに行き着けのショップがあったのでほぼ毎日入り浸りでした。他のお客さんが来るとお茶出ししたりして、半分スタッフみたいになっていました。
――そこからポルシェに興味を持つきっかけとなった「原体験」へとつながっていくのですか?
そうです。学校を卒業後、社会人になってからも暇さえあればショップに通っていたんです。そのショップのオーナーと、ポルシェの世界では有名なメカニックの方が仲良しで。すでに亡くなってしまった方なんですが……、Mさんとしておきますね。
ショップのオーナーが「Mさんはポルシェにまつわるすごい人なんだよ。もしポルシェが欲しいなら、ビートルから乗り換えてMさんに面倒を診てもらえば?」という展開になり……。その流れで初めて手に入れたポルシェが1973年式のポルシェ911Tでした。日本では「ナローポルシェ」と呼ばれる年代のモデルですね。いまと違って、当時ナローポルシェって、200万円そこそこのクルマがゴロゴロあったんです。
ただ、この911Tが「ハズレ」で、よく壊れました。それでも6年〜7年くらい乗ったかな。しかし、当時の安月給でポルシェの修理代を捻出するのが大変で、1968年式のポルシェ912に乗り換えました。このクルマは故障知らずで、ビートルのときもそうだったけれど、6発より4発の方がシンプルで壊れにくいのかなと思うようになったのも912の影響かもしれません。その後、結婚したのを機に912を手放し、いったんクラシックの世界からは距離を置いていました。
ポルシェに復帰できたのは、両親が高齢になり、所有していたクルマを整理したことで、実家の屋根付きの駐車スペースが確保できたことが大きいです。このときに手に入れたのが1964年式のポルシェ356Cでした。この356にも6年〜7年乗りましたね。
久しぶりのクラシックカー、久しぶりのポルシェだったこともあり、楽しくて仕方なかったです。そのうち、356を通じていろんな人と友だちになっていくんですけれど、そのなかに現在の愛車となるスピードスターとの出逢いがありました。
知人が遺した356スピードスターを引き継ぐ
――現在の愛車の存在を知ったきっかけを教えてください
あちこちのイベントに顔を出しているうちに、この356スピードスターのオーナーさんと知り合ったんです。それが16年くらい前のことです。このオーナーさんがちょっと変わっていて、大切な愛車のはずなのに、いろんな人に運転させてしまうんですね。「乗ってみなきゃわかんないよ」って。そのうち妻にも運転を勧めてきたほどです(苦笑)。妻は運転免許を持っていますが、大切なクルマを壊してはいけないと思い、丁重にお断りしました。
知り合ってから少し経って、その方が亡くなってしまい……。356スピードスターを処分するらしい。そして、譲って欲しいという方が何人もいるという話が人づてに聞こえてきました。
当時、もう少し古い356、できればスピードスターなんて買えたらいいなと思っていたとはいえ、手が届く存在ではないだろうなと、半ば諦めていました。とはいえ、こんなチャンスは2度とないかもしれない。このとき私は40代半ば。私も356スピードスターが欲しいということをご遺族の方にお伝えしました。
ある共通の知り合いの方が、ご遺族の方に「柳澤さんなら大切に乗ってくれるはずだから間違いない」と進言してくれたこともあり、引き継げることになったんです。何しろ、私としては誠意を伝えるしかありませんから「買える範囲内で頑張るので、お好きな金額をおっしゃってください」と伝えたところ、想いが通じたんでしょうね。
所有していた356Cやバイク……などなど、さまざま愛用品を必死に売却して資金を作りました。あとで聞いたんですが、なかには安く買い叩こうとした人もいたそうで……。ご遺族の方にも「この人なら大切に乗ってもらえそう」だと思ってもらえたみたいです。
――356スピードスターが納車された日のことを覚えていますか?
覚えています。いまから15年前。東日本大震災の直前でした。
356スピードスターが不動の状態だったので、友人がレッカー車を借りてきてくれて2人で引き取りに行ったんです。前オーナーさんの住まいが降雪地帯だったこともあり、残雪がないか心配でしたが、このときは大丈夫でした。
356スピードスターの引き取りがもう少し後だったら、東日本大震災の影響でレンタカーが借りられなかったそうです。こうして無事356スピードスターを引き取り、そのまま主治医のところに直行です。
――主治医のところに預けてから動くようになるまでどれくらい掛かったんですか?
それがね。思いのほか早かったんです。動かせるようになるまでだいたい10日くらいでしょうか。「とりあえず動かせるようにしたから、この状態で乗ってもらって、ダメ出ししながら直していこう。そんな状況なのであんまり遠くには行かないで」ということで引き取ったんですが、この手のクルマの割には比較的大きな故障もなく、15年が経過し、現在にいたります。もちろん、細かいトラブルはあります。その都度直してもらっているので、何ヶ月、ましてや年単位での入院はこれまで一度もありません。
――愛車を手に入れてからご自身のカーライフにどのような変化がありましたか?
何しろ”Speedster”ですから、屋根を開けて走る機会が増えましたね。あと、911Tや912、356Cのときより皆さんの食いつきがすごいです(笑)。エッ!? スピードスターなの? という感じで。以前に増してマニアックな友だちが増えた気がします。
――愛車はどのような場面で乗っていますか?
近隣に356やナローポルシェのオーナーさんがいるので、ツーリングに出掛けたり、イベントに参加していますね。木更津にあるポルシェエクスペリエンスセンターにも行きます。雨の日はさすがに乗りませんが、この手のクルマとしては比較的乗る頻度が多い方だと思います。
――愛車とのカーライフでいちばんの思い出をぜひ聞かせてください
納車後、初めてドライブしたときですね。もちろんオープンにして走りました。356スピードスターって、屋根が開くだけでクーペとはこんなに印象が違うんだ! と驚いたことを覚えています。その後、車庫に止めてからしばらく眺めていましたね。まさか買えると思っていなかったので、嬉しくて。
――愛車とのカーライフで困ったこと、大変だったエピソードを教えてください
出先で雨に降られたこと、ですね。これまで3〜4回、大雨のなかを走行しましたが、幌を被せていても雨漏りしてくるんです。ポタポタ……どころじゃないです。あらゆるすき間から雨水が浸入してきて、妻にタオルで拭き取ってもらうんです。拭き取った水をゴミ袋に入れてまた拭き取って……の繰り返しです。常にタオルで拭き取っていないと、あっという間に車内が水浸しです。
何か対策を講じるべきなのかもしれませんが、これもスピードスターならではの味かなぁと思い、敢えてそのままです。要は雨の日に乗らなければいいんですから。
――今後、愛車に対して手を加えてあげたいポイントを教えてください
ボディに手を入れてあげたいですね。あちこち錆があるでしょうし。ただ、356って、フェンダーやドア、といった具合に部位ごとにボディパネルが分けられていなくて、1枚のパネルなんですよね。
主治医からも「やるときに全部いっぺんにやった方がいいよ」と言われています。それってつまり、レストアのことなんでしょうけれど、周りを見ていても、一度預けると年単位で戻ってこないじゃないですか。
周りの皆さんも3年とか5年とか、レストアが完成して戻ってくるのを待ちわびているんです。気がつけば私も還暦を過ぎましたし、向こう3年〜5年乗れない(かもしれない)ってことを考えると、なかなか決断できないんです。
主治医からも「柳澤くんの356はもう恥ずかしくて乗れないとか、そこまでひどくないんだから、とりあえず今これで乗っていればいい。何か起きちゃったときについでに直せばいいんだよ」と言われたまま15年経っちゃいましたね(笑)。
――この年代のポルシェ356って部品の入手には困りませんか?
欲しい部品がちょうど欠品で少し待たされたことはありましたが、意外と何とかなっていますね。タイミングが合わなかったのはタイヤくらい。本当はミシュランにしたかったけれど、ちょうど欠品で、ミシュランの次に好きなコンチネンタルにしました。
――ご自身の愛車に関することで、自慢できるポイントをぜひ聞かせてください
先ほどと重複しますが、この手のクルマにしてはちゃんと走っているということですね。
――愛車を維持するうえで気をつけていること、意識していることを聞かせてください
「何かあったらすぐ主治医に連絡」です。若いとき、特にビートルに乗っていたときはDIYでずいぶんと作業をしました。自己流で修理して壊したこともありましたね。この356スピードスターを自己流で直して壊してしまうと辛いし、悲しいので、メンテナンスに関しては主治医に託しています。
あとは、エンジンの回転数とか、高速道路の巡航速度とか、ブレーキの踏み方・・・などなど。常にゆとりを持った運転を心掛けています。
――この先「このクルマだけは手に入れたい」というモデルはありますか?
しいていえば「550スパイダー」ですね。ただ、私はこの356スピードスターが手元にあるだけで大満足なので、買い換えてまで乗り換えようと思いませんし、考えたこともありません。
――柳澤さんが愛車に「伝えたいメッセージ」をぜひ聞かせてください
この356スピードスターは、日本に来る前はアメリカのオレゴン州にいたみたいなんです。「愛車に伝えたいメッセージ」ではありませんが、アメリカ時代のオーナーさん、そして亡くなった前オーナーさんにも「元気に走っていますよ。できるだけの自分に置かれたなかで、ベストな方法で今乗ってますよ」と伝えたいです。
――最後に・・・。柳澤さんにとって「愛車」はどのような存在ですか?
「人生や日々の生活に彩りを添えてくれる、なくてはならない存在」でしょうか。テスト走行を兼ねて近所をぐるっとひとまわりしたり、ワックスを掛けている時間も、私にとって特別な時間なんです。
また、このクルマがきっかけとなり、さまざまな方との交流を深めることができました。日本だけではなく、海外の友人も増えました。現地を訪れた際には自宅に招待していただき、ポルシェのイベントを一緒にッ楽しんだこともあります。356スピードスターを所有していなければこんな経験はできなかっただろうし、人生において得がたい体験ができたことも356スピードスターのおかげだと思っています。
このクルマがきっかけで色々な方々と交流を深める事が出来ました。又このクルマを通して知り合った海外の友人宅にお招き頂き一緒にポルシェイベントに参加する等楽しむ事も何度かありました。英語が堪能ではない私にとって、このクルマがなければそのような経験は出来なかったかもしれません。
――オーナープロフィール
・お名前:柳澤 一郎 さん
・年齢:61才
・職業:無職
・愛車:ポルシェ356スピードスター
・年式:1955年式
・トランスミッション:4速MT