コラム

「ふとした気の迷い」から始まった45年間の“楽しいレストア地獄”! BMWイセッタと2台まとめて個人輸入した英国製3輪バブルカー「ハインケル・トロージャン200」【愛車群像】

1963年式ハインケル・トロージャン200
1963年式ハインケル・トロージャン200
1963年式ハインケル・トロージャン200
1963年式ハインケル・トロージャン200とオーナーの小泉勝美さん

1963年式ハインケル・トロージャン200

1945年、人類に未曾有の惨禍をもたらした第二次世界大戦が終わると、人々の生活はそれまでと一変。多くの一般市民は復興に向けて長い窮乏生活に汲々とすることとなる。そして、状況が一変したのはさまざまな製造業も同様。特に戦勝国によってその製造・開発を禁じられた敗戦国の航空機メーカーは、新たな事業を模索せざるを得なくなった。そして敗戦国の航空機メーカーの多くがモーターサイクルや自動車製造に転身していった。我が国では中島飛行機の流れを汲むスバルやプリンスがよく知られている例だろう。

【画像16枚】正面から乗り込む独特のキャビン! ドイツ生まれ英国育ちの3輪バブルカー「ハインケル・トロージャン200」の愛らしい全貌を見る

ドイツ生まれ英国育ち! 3輪の優遇税制で愛されたミニマムトランスポーター

黎明期のジェット機やロケット機の開発にも大きな足跡を残したドイツの航空機メーカー、ハインケルは、有名なメッサーシュミットやフォッケウルフなどと同様、戦時中には数々の軍用機を開発・生産したが、やはり敗戦後は航空機の製造を禁止されている。

そんなハインケルが1956年にデビューさせたのがハインケル・カビーネである。これは同時期のメッサーシュミットやイソ・イセッタ/BMWイセッタと同じく、「バブルカー」「キャビンスクーター」などと呼ばれる軽便なマイクロカーで、スクーターに代わるミニマムトランスポーターとして生み出されたジャンルのクルマだ。

ドイツ本国でハインケル・カビーネが生産された時期は1956年から1958年までだが、1960年にはそのライセンスを取得した英国のトロージャンが製造を開始。ドイツの本家が生産から手を引いた後も、ハインケル・トロージャン200として1966年まで生産が続けられた。イギリスではスリーホイーラーに課せられる税金がサイドカー(=モーターサイクル)と同じで安価であることから根強い需要があるが、これがドイツ本国で生産が終わった後も彼の地で長く生きながらえた理由かと推察される。

スウェーデンの青年から「ふとした気の迷い」で2台まとめて引き取って45年

そんな氏素性を持つユニークな「英国車」、ハインケル・トロージャン200に出会ったのは新潟県糸魚川市で開催された、上信越・北陸エリアを代表するヒストリックカー・イベント「日本海クラシックカーレビュー」の会場内でのこと。本家ドイツ版も英国のライセンス版も、まず我が国では目にする機会はない。そんな貴重な出会いを逃すまいとオーナーさんを見つけお話を伺うことに。

「このトロージャンの他にBMWイセッタも所有しています」と語ってくれたのは、JAPAN BUBBLE CAR CLUBのメンバーでもある小泉勝美さん。手に入れたきっかけを伺うと「仕事の関係で一時期スウェーデンにいたのですが、そこで知り合ったお金持ちの青年が好きもので、このトロージャンとBMWイセッタも所有していたんですよ」とのこと。

その後、小泉さんは帰国することになるのだが、その際「ふとした気の迷い」からその2台をお金持ちの青年から譲り受け、個人輸入してしまう。時に1981年、今から45年前のことである。ちなみにBMWイセッタの方はちゃんと走る状態だったが、トロージャンの方は実は不動車。それでも惚れた弱みで2台まとめて引き取ったのだそうだ。

国内にそれなりの台数が現存するBMWイセッタはともかく、トロージャンの方は資料などが乏しく、車検場をはじめとする関係各所に足繁く通うなど、日本のナンバーを取得するまでには並々ならぬ手間暇がかかったとのこと。その甲斐あって輸入から何年か後に無事ナンバーを取得、現在はイベントなどにも元気に参加している由。

ご本人いわく「入手から現在に至るも、終わりのないレストア地獄の毎日です」とのことだが、恐らくその「地獄」とやらは、とても楽しく居心地の良い場所なのでありましょう。

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フォト=長尾 循/Jun Nagao

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