人跡未踏の稜線地帯を越えてゆく知床横断道路
羅臼を結ぶ国道344号・知床横断道路。そのピークに位置する標高738mの知床峠からは、オジロワシの舞う大空とヒグマの闊歩する原生林、根室海峡の向こうに浮かぶ国後島を一望にする大パノラマが広がる。
峠の取材でいつも気になるのは空模様である。もちろん、お天道様が相手なので思い通りにはいかないのだが、しかし、思い通りにいかないだけに、思いもよらない風景と出会えることもある。知床峠を訪ねた時がそうだった。
早朝、ウトロの宿で目を覚ますと空は分厚い雲で覆い尽くされていた。前日の予報では降水確率は0%だったというのに、国道344号・知床横断道路を走り出しても、路面のアスファルトと周囲の芽吹いたばかりの新緑を霧のように細かな雨がしっとりと濡らしていた。ところが、標高580mの五合目看板を過ぎたあたりから急に空が明るくなり、まるで魔法のように青空が広がっていった。雲の上に出たのである。
残雪の残る羅臼岳の脇を抜け、知床峠まで来ると、東側の眺望が大きく開けた。眼下には羅臼の町や根室海峡を覆い尽くす一面の雲のじゅうたん。そして、雲海の上には北方領土、国後の山々がまるで離れ小島のように浮かんでいる。学生時代にオートバイで旅して以来、この知床横断道路は10回近く走っているが、もちろんこんな風景と出会うのは初めてである。
知床という地名は、アイヌの言葉、「シリエトク」に由来する。その意味は「大地の突端(行き詰まり)」というもので、まさに最果てのイメージそのもの。ただし、海産物の豊かな知床半島の沿岸には、アイヌ民族より遙かに古い時代から人間が暮らしてきた。いわゆる続縄文人とか、オホーツク人と呼ばれる人々である。
一方、半島の稜線地帯はジャングルのようなハイマツに覆い尽くされているため、人が足を踏み入れることを永らく拒み続けてきた。深田久弥の『日本百名山』によれば、羅臼の町から羅臼岳への登山路が拓かれたのは昭和29年(1954年)。それまで一般の登山者が羅臼岳に登れるのは、一面雪に覆われる冬だけだったという。
そんな秘境の地に知床横断道路の工事がはじまったのは、その約10年後。18年の歳月と88億円の事業費をかけ、知床峠を抜ける国道334号が全線開通したのは昭和55年(1980年)9月のことである。