万葉集にも詠われた山里にゆったりした時が流れる
「ヤマトタケルが東征に向かうとき、この道を通ったという言い伝えもあるが、まぁこれは神話だから当てにはならんだろうなぁ(笑い)。しかし、あの歌碑の歌が、このあたりで詠われたことは確かなことのようだよ」
こんな話を聞かせてくれたのは、先祖から8代にわたって花沢で暮らしている山竹嘉人さんである。
やきつべに吾ゆきしかば 駿河なる
安倍の市道(いちぢ)に 逢いし児らはも
よほどかわいらしい娘さんだったに違いない。「焼津の方に出かけたとき、安倍の市場へ続く道で出会った娘たちは、いまどうしているだろう」と万葉の歌人、春日蔵首老は詠っている。
昭和6年生まれの山竹さんにも、この集落の正確な成り立ちはわからないらしい。しかし、ずいぶんと昔から人が住み続けてきたことだけは確かなようだ。村はずれにある真言宗の寺は、聖武天皇(在位724-749年)の勅願による国分尼寺が起源といい、戦国時代の古文書にも、すでに『花沢三十三戸』という記述が出てくる。
それにしても、花沢の里があるのは日本坂トンネルから直線距離にしてわずか1kmほどのところ。東名高速と並行して新幹線と東海道本線、国道150号が走り、3kmほど北には国道1号も通っている。まさに日本の大動脈の真っ只中である。ところが、道路や鉄道の騒音はまったく聞こえてこない。平日は人通りさえほとんどないので、あたりは時の流れが停止してしまったかのような静寂に支配されていた。
「なぜ花沢だけが昔のままの姿で残ったのでしょうか?」と訊ねると、山竹さんは「昔はみんな貧しかったから、家を建て替えられなかっただけよ」と愉快そうに笑いながら答えた。