平時忠の子、時国が源氏の追討を逃れるため『平』の苗字を捨てたことが時国家の興りと伝わる。時国家は庄屋(農民)の身分ながら回船業や製塩業で財をなし、上 時国家と下時国家として現在までいたる。 ※掲載データなどは2011年9月末時点のものです。実際におでかけの際は、事前に最新の情報をご確認ください。 記事にもどる