旅&ドライブ

関東平野の縁にそそり立つ中山道でも屈指の難所(長野県/群馬県・碓氷峠)【絶景ドライブ 日本の峠を旅する】

上って下るのではなくひたすら上り続ける峠道

広大な関東平野を縁取るように、そそり立つ上信国境の山々。その少しでも低いところを探るように開かれてきたのが碓氷峠である。律令時代の官道から現代の高速道路や新幹線にいたるまで、時の流れとともに移り変わる人の営みが深く刻み込まれている

上信越道・碓氷軽井沢ICと軽井沢の町を結ぶ県道92号。新和美峠(通称)からは妙義・荒船の奇岩群を一望にすることができる。

ご存じのとおり、『峠』という字は山偏の右に『上』と『下』の二文字が並んでいる。まさに山道を上り下りするのが峠というわけだが、この碓氷峠の場合、東京方面から走って行くとルートの大半は上りばかり(当然、長野方面からは下りばかり……)である。
群馬県の横川から長野県の軽井沢までは国道18号(旧道)で約15kmの道のり。このうち碓氷峠までの約14.5kmが急カーブの続く上り坂で、その先、標高958mのピークを越えたあとは、500m足らずの直線路を軽井沢駅前までゆったり下っていくだけなのだ。全行程の95%以上が上り区間という典型的な片峠である。

旧中山道の碓氷峠にある熊野神社。群馬/長野県境のラインをはさんでふたつの賽銭箱が置かれている。国道18号の2kmほど北にあり、標高はこちらが200mほど高い。

北陸新幹線の開業で廃止となった信越本線の横川?軽井沢間は、駅間の標高差が552mもあった。トンネルを掘っても山の向こう側には出られないから、電車もこの峠を登ることになる。
明治26年(1893年)の開業時から昭和38年(1963年)の新線開通まで、横川-軽井沢間には、アプト式の蒸気機関車や電気機関車が走っていた。
その後、新線となって少し勾配は緩くなったものの、それでも普通の電車では登り切れず、専用の電気機関車を2両増結して急勾配を引っぱり上げていた。この機関車の付け替えで停車時間の長い横川駅で売り出されたのが名物駅弁『峠の釜めし』。国道18号沿いに残る通称『めがね橋』はアプト式鉄道時代の橋梁跡である。

4連のアーチが美しい信越本線(旧線)の碓氷第3橋梁(通称『めがね橋』)。近くに駐車場が作られたので気軽に散策を楽しめる。

関東平野の北西には、谷川岳、草津白根山、浅間山、甲こ ぶし武信岳といった日本百名山としてもおなじみの山々が、まるで行く手をさえぎるように連なっている。そこを走っているのは、日本列島を太平洋側と日本海側とに隔てる中央分水嶺の稜線だ。上信国境(群馬/長野県境)でいうと、標高1000mを切る鞍部(稜線の低い部分)は利根川水系の碓氷川源流域しかなく、だからこそ碓氷峠は古くから東西交通の要衝、そして、難所となってきたのだ。

熊野神社から徒歩5分ほどのところにある碓氷峠見晴台。南に向かって大きく開けた絶景スポットで、条件が良ければ、八ヶ岳や南アルプス、富士山も遠望できる。
碓氷峠の名物・力餅を味わえる元祖しげの屋(0267-42-2402/冬季休業)。向かいの熊野神社同様、この店も群馬/長野県境をまたいで建っている。

バイクブーム華やかなりし1980年代には、184ものコーナーが連続する碓氷峠はローリング族のメッカだった。その後、しげの秀一の漫画『頭文字(イニシャル)D』の舞台にもなるなど、走り処として名を馳せてきた碓氷峠だが、若者が速さとスリルを求めることを忘れてしまった(!?)昨今、往時の面影はまるでない。一般のクルマは快適な上信越自動車道や碓氷バイパスを行くので、マイペースでのんびりと山道の走りを楽しむことができる。

碓氷峠を越える旅人が熊野神社にお参りした際、道中のお守りとして与えられた餅が『力餅』の起源。しげの屋ではあんこ、ごま、くるみ、大根おろし、きなこ、味噌の6種類を用意(1皿500円)。いつでも作りたてをいただける。

街道、馬車道、高速道路……時代ごとの碓氷峠がある

旧軽銀座から見晴台までの区間は、旧中山道の道筋としては比較的新しいもので、明治天皇の北陸巡幸の際に整備されたルート。

国道の碓氷峠を越えたら、次は軽井沢のアウトレットモール……ではなく、旧中山道の碓氷峠も訪ねてみたい。
軽井沢は中山道69次における江戸から18番目の宿場。明治以降、欧米人向けの避暑地として開発が進み、町並みはすっかり様変わりしてしまったが、最盛期には100軒近くの旅籠が建ち並び、数百人もの飯盛女(遊女)が働いていたという。現在、『旧軽銀座』と呼ばれるメインストリートが昔の宿場街で、その東に延びる山道を登っていくと、昔の碓氷峠にもクルマで行くことができる。

碓氷峠の東の麓にあった碓氷関所。写真の西門は幕府が直接管理する門で、「天下の門」と呼ばれた。

峠には日本武尊の伝説に由来する熊野神社が鎮座している。県境にまたがるこの神社の面白いところは、神様を祀る社が中央にひとつ、群馬側と長野側にそれぞれひとつずつの計3つあること。見た目にはひとつの神社なのだが、熊野神社(群馬側)と熊野皇大神社(長野側)という2つの宗教法人に分かれていて、中央の社殿の前には2つの賽銭箱が仲良く並んでいる。さらに山門の石段を下ってくると道路脇の側溝に印がしてあり、「ここに流れ込んだ雨水は太平洋と日本海に分かれていく……」とある。筆者のような“分水嶺マニア”にとっては、堪えられないスポットなのだ。

アプト式鉄道の線路跡は、遊歩道『アプトの道』として整備されている。総延長は約7km。途中、いくつものトンネルを抜け、橋を渡っていく。

明治11年、明治天皇の北陸巡幸に際して、中山道の碓氷峠は大がかりな改修が行なわれた。ところが、当日は生憎の雨で馬車が立ち往生。明治天皇ご自身もずぶ濡れになって険しい山道を歩くことになったという。
「いまの時代なら、役人の首がいくつも飛んでいたでしょうね」
匿名希望の安中市教育委員会の方は愉快そうにこんな逸話を教えてくれた。国道18号の元になる馬車道が軽井沢-横川間に完成したのは、その6年後、明治17年(1884年)のことである。

めがね橋も遊歩道の一部になっていて、橋上からの眺めを楽しめる。

時代ごとにさまざまなルートが開かれてきた碓氷峠のなかで、最も古いとされるのは律令時代の官道・東山道である。隋や唐の交通網にならって建設された官道は、道幅がたっぷり取られ、できるだけ最短距離で直線的に道筋が拓かれていたのが特徴で、「古代のハイウェイ」と呼ぶ人もいる。
さまざまな調査から推定されている東山道のルートは、現在の碓氷峠よりかなり南寄り、上信越道や碓氷バイパスのあたりを抜けていたらしい。古代のハイウェイが現代の高速道路やバイパスの近くを通っていたというのも、実に面白い話である。

碓氷峠3Dマップ

◎所在地:群馬県安中市/長野県軽井沢町◎ルート:国道18 号(旧道)◎標高:958m◎区間距離:15km(横川-軽井沢駅)◎高低差:563m◎冬季閉鎖:なし

【A】峠の釜飯本舗おぎのや 本店

廃線になっても人気の駅弁
おぎのやの『峠の釜めし』は昭和33年(1958年)以来、半世紀以上にわたり愛され続けてきた名物駅弁。鶏肉・ごぼう・椎茸・ウズラの卵などが入った炊き込みご飯で、容器は益子焼の土釜。単品1,080円(セットメニューも豊富)。●027-395-2311

 

【B】碓氷峠鉄道文化むら(うすいとうげてつどうぶんかむら)

電気機関車の運転に挑戦!?
JR横川駅の西に作られたテーマパーク。碓氷峠を行き来した機関車などを展示しているほか、学科実技講習(約1日、30,000円)を受講して終了試験に合格すれば、本物の電気機関車の体験運転(1回5,000円)もできる。ここを起点に『めがね橋』を経由して廃線跡を歩く遊歩道も人気。●入場料500円/027-380-4163

【C】中山道69次資料館(なかせんどうろくじゅうきゅうつぎしりょうかん)

江戸から京への旅を体験
『中山道69次を歩く(信濃毎日新聞社刊)』の著者、岸本豊氏が奥様とともに運営している資料館。軽井沢の西、追分宿の外れにあり、江戸時代の浮世絵や現在の写真などで中山道の道中をわかりやすく紹介している。●入館料500円/0267-45-3353

【D】かぎもとや

浅間山麓の霧下そば
中軽井沢駅前にある老舗そば店。もともとは中山道・沓掛宿の旅籠兼飯屋だったという。人気はボリュームたっぷりの大天ざる(1,650円)。けんちん汁や山菜、とろろなどと組み合わせたセットメニューも豊富に用意。●9:00-20:00/木曜定休/0267-45-5208

アクセスガイド

碓氷峠に最も近い上信越自動車道の松井田妙義ICから峠までは約20kmの道のり。長野方面からアプローチする場合は、碓氷軽井沢I Cが最寄り(インターから軽井沢駅前までは約10km)だが、その手前の佐久ICで降り、浅間山や追分宿などを見ながら走るのもおすすめだ。

峠まで184ものタイトコーナーが延々と続く国道18号の旧道。

軽井沢宿の西隣、追分宿は中山道と北国街道の分岐点。ここには小説『風立ちぬ』の作者、堀辰雄の文学記念館もある。

横川駅正面にあるおぎのや本店。昔の雰囲気を味わうなら、国道沿いのドライブインよりこちらがおすすめ。

かつての東山道は、上信越自動車道や碓氷バイパスのあたりを通っていたと考えられている。横川SAの北にある自然公園『山吹の郷』も通過点のひとつとされ、毎年5月には防人の行進を再現する『東山道古代まつり』を開催。

掲載データなどは2016年7月末時点のものです。実際におでかけの際は、事前に最新の情報をご確認ください。

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