百名山のひとつに駐車場から10分で登れる!
風返峠という名前は、このあたりを境に風の向きが変わることに由来するものだという。北関東から吹いてくる山風も、鹿島灘からの海風も、平地からせり上がる山塊によって行く手を遮られ、吹き分かれていくのである。
ところで、関東では冬の北風を筑波おろしと呼ぶ地域も多いようだが、もちろんこれは筑波山から吹き下ろしてくる風のことではない。北西の季節風が吹く頃になると、筑波山を遠望できる日が多いためで、いつでも山が見える地元では筑波おろしといういい方はしないのだそうだ。
筑波スカイラインの終点、つつじヶ丘からロープウェイに乗れば山上駅までの所要時間は6分。そこから整備の行き届いた登山道を歩くと5分足らずで山頂に立つことができる。おそらく……というか、間違いなく日本でいちばん簡単に登頂できる百名山だろう。
『日本百名山』の著者、深田久弥は『高さ千米にも足りない、こんな通俗的な山を……』といい訳しつつ、名山に選んだ理由として、その歴史の古さを挙げている。
奈良時代のはじめ、和銅6年(713年)に編纂された『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』にはこの山の謂われが詳しく記されているし、『万葉集』にも筑波山を詠んだいくつかの和歌がある。これらによると、春や秋、近郷の男女は山上に集まり、ご馳走を広げ、歌を掛け合いながら、相手を求めたという。筑波山は歌垣の舞台、いま風にいえば合コン会場だったのである。
普段着のまま、気軽に山へ登り、眼下の風景を楽しむのに筑波山は格好の存在。日本の登山の歴史というと、修験道や富士講といった山岳信仰が起源と思いがちだが、それより遙かに古い時代から行楽のために登山を楽しむ人は大勢いたのである。
現在の筑波山を訪ねてみても、こうした歴史の古さは何となく感じることができる。
筑波山神社の参道には温泉旅館や食堂、土産物屋が建ち並び、週末には〝ガマの油売り〟まで登場する。家族連れで賑わうケーブルカーは大正14年(1925年)開業という年季ものだし、つつじヶ丘の駐車場脇には小さな遊園地まで営業している。いかにも昔ながらの行楽地といった風情があふれかえっているのだ。
仲良く並んだふたつのピークのうち、東京から見て右手に見える女体山の方が、ほんの少し男体山より背が高いというのも筑波山らしいところ。純白に輝く孤高の富士とはひと味違う、親しみやすさを感じてしまう。