1951年〜1961年までF1世界選手権で通算16勝をあげた屈指の名レーシングドライバー
4月12日、1950年代にF1世界選手権などで大活躍したイギリス出身の元レーシングドライバー、サー・スターリング・クロフォード・モス(スターリング・モス)が、ロンドンのメイフェアにある自宅で生涯を閉じた。90歳だった。この報を受けてフェラーリやマセラティといった彼と関わりの深かったメーカーは追悼の意を表するとともに、史上最高のレーシングドライバーとして改めて彼に敬意を示した。
スターリング・モスは1951年のスイスGPでF1デビュー。その後1961年までにマセラティやメルセデス、ヴァンウォール、BRMなどのチームで、66レースに参戦。1957年にはロータスで、フェラーリのマイク・ホーソーンとチャンピオン争いを繰り広げるなど、F1ドライバーとして通算16勝したものの、ドライバーズランキングは1955年から1958年に4年連続で獲得した2位が最高で、結局チャンピオンの座を獲得することは一度もなかった。
F1世界選手権以外でも彼はさまざまなレースで足跡を残した。1955年には10時間7分48秒でミッレミリアを制したほか、セブリング12時間レースやツーリストトロフィー、タルガフローリオも制覇している。
F1世界選手権を退いても、1962年にフェラーリ250GT SWBでデイトナ3時間レースでのクラス優勝など、数々のレースで実績を残したが、同年のグッドウッドでクラッシュ。昏睡状態にまで陥ったものの、無事に生還。1963年に再びレースカーをテストするまでに復調したが、やはり怪我の影響もあって32歳で現役を引退した。
引退後、スターリング・モスはTVや映画に出演したり、F1世界選手権のレース解説をしたりと、とりわけイギリスでは人気者だった。1980年にはBTCCでレース復帰し、ヒストリックカーレースにも出場。1990年には国際モータースポーツ殿堂入りをはたした。その後、2011年6月に81歳だった彼は、正式にモーターレーシングの世界から引退することを自身のウェブサイトで公表。2018年1月には公の場からも退くことが、息子エリオットによって発表された。