知られざるクルマ

【知られざるクルマ】 Vol.13 フォード・カプリ……ヨーロッパで成功した “ミニ・マスタング”

誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマをご紹介する連載、その名も【知られざるクルマ】。今回も、アメリカというイメージが強いゆえ、中古車検索サイトなどでも “アメリカ車” に含まれがちな「ヨーロッパ・フォード」の過去のクルマから、とてもよく売れたスペシャリティカーの傑作「カプリ」をお送りしよう。

ヨーロッパ・フォードについておさらい

コルティナと旗艦ゼファーの間を担う車種として、1964年にデビューしたイギリス・フォードの「コルセア」。欧州フォードの一元化で整理されてしまい、1970年に消滅した。

まず、ヨーロッパ・フォードのアウトラインをざっくりおさらいしよう。1903年にアメリカで生まれたフォードは1910年代から早くも海外進出を開始。欧州では1911年に「イギリス・フォード(フォードUK)」を、1925年にはドイツに販売や組み立ての拠点を設け、1931年に正式に「ドイツ・フォード」を立ち上げたことに端を発する。

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しかも2つのフォードは、1960年代末まで共通の車種を持たなかったが、いささか合理性に欠くこともあって、1967年に「ヨーロッパ・フォード」が発足。以降急激に一元化されて現在に至っている。

最初に共通化されたモデルが、1969年の「エスコート」だった。前回はドイツ生産のエスコートの写真を載せたので、今回はイギリス仕様を。丸いヘッドライトは廉価版の特徴だったが、1972年以降にスポーツモデルの「RS1600」「RS2000」「メキシコ」などでも採用された。

「カプリ」は、当初サブネームだった

そんなイギリス・フォードの1950年代末のラインナップは、下から「ポピュラー」、「アングリア」、その4ドア版「プリフェクト」、1.5Lの「コンサル」、その6気筒版で2.3Lの「ゼファー」、さらに高級な旗艦「ゼファー・ゾディアック」と並んでいた。さらに1961年になって、アングリアとコンサルの間を埋める4ドアセダン「コンサル・クラシック」を投入。2年前に登場した4代目アングリアのように、ルーフエンドをクリフカット処理していたことが特徴だった。

1961年、「コンサル・クラシック」のクーペ版として「コンサル・カプリ」が登場。当初のエンジンは1.34Lだったが、のちに1.5Lに換装された。1963年には、コスワースが開発したツインキャブエンジンを積んだ「GT」も追加している。

最初の「カプリ」は、コンサル・クラシックの2ドアクーペ「コンサル・カプリ」だった。本国フォードのクーペを思わせるピラーレスの流麗なルーフを載せ、装備もセダンより増やされており、全体的にアメリカ車の雰囲気を漂わせていた。しかし、コンサル・クラシックとコンサル・カプリは、斬新なスタイルが市場で受け入れられなかったことや、より安価でクラスもほぼ同じ「コーティナ」(デビュー当初は、コンサル・コーティナだった)が1962年に登場したことから販売は伸び悩み、わずか2〜3年で姿を消してしまった。

マスタングのヨーロッパ版、カプリの誕生

「ミニ・マスタング」として企画された「カプリ」。車種一元化がなされたモデルだったが、当初は英独それぞれの手持ちエンジンが搭載されており、英国生産モデルは直4の1.3L/1.6L、2Lの<エセックス>V4でスタートしたのち、1970年になってゾディアック用の3L・<エセックス>V6を追加している。写真は、ノーマル比+20ps で84psというハイチューンエンジンを積んだ「1600GT」。余談だが、当初は「コルト」という名称で出る予定だったが、三菱がすでにその名を持っていたので、カプリに変更されている。

ドイツ生産のモデルでは、ドイツ・フォード製の1.3L/1.5/1.7の<ケルン>V4、もしくは2L/2.3Lの<ケルン>V6を積んだ。1971年になって26M の2.6Lを流用した「2600GT」も設定。当時のヨーロッパ・フォードでは、英独ともにV4・V6エンジンを持っていたため、それぞれ<エセックス><ケルン>と愛称をつけて呼び分けるとわかりやすい。なお、英国以外に提供されたカプリは、すべてドイツ製だった。写真は1.7L・75psの「1700GT」。

その後カプリの名は、1969年に復活を遂げる。それこそが、今回のお題であるフォード・カプリだ。カプリも、エスコートと並んで、英独フォード一元化の尖兵でもあった。成り立ちは、ズバリ「フォード・マスタングのヨーロッパ版」で、本国アメリカで1964年に出現するやいなや大ヒットを飛ばした、あの2ドアスペシャリティ・マスタングの成功を、ヨーロッパで再現しようとしたものだ。

1969年から販売が開始された初代カプリは、ロングノーズとセミファストバックを持つクーペで、全長4.6mオーバーで大排気量エンジンを積んでいたマスタングほどに大きくはなかったが、程よい実用性とスポーティさ、パーソナル感、エンジン・グレード・オプションの組み合わせを豊富に用意する販売方法などは、マスタングからしっかり受け継いでおり、名実ともに、まさに「ミニ・マスタング」と呼べるクルマだった。

初代カプリは、本国アメリカでもリンカーン・マーキュリーのチャンネルから販売が行われた。当初のエンジンは英国の直4・1.6L、2.6Lの<ケルン>V6などが積まれていたが、その後は、めまぐるしく搭載エンジンの変更が続いた。写真は、アメリカの雑誌「プレイボーイ」で、毎年1名だけ選出されるモデル「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー(PMOY)」に送られたカプリ。PMOY には毎年クルマが贈られており、カプリは1970年の賞品だった。

カプリは、ヨーロッパ・フォードの目論見通りに大ヒット。1974年までに英独合わせてなんと100万台以上を販売した。カプリは、マスタングに次いで欧州に「スペシャリティカー」というジャンルを開拓し、成功を収めたのだった。

それをアシストしたのは、モータースポーツでのカプリの躍進もあったのではないかと思う。ドイツ・フォードでは、1971年に<ケルン>2.6L・V6を積んだ「2600GT」を追加するとともに、欧州ツーリングカー選手権(ETC)グループ2参戦用ホモロゲモデルとして「2600GT」を限定生産。オーバーフェンダーを備えたカプリRS2600 Gr.2は、1972年スパ24時間で優勝、同年にはヨッヘン・マスがETCチャンピオンに輝くなど、欧州各地のサーキットで暴れまわった。

高い戦闘力で1970年代前半のETCを席巻した、カプリRS2600 Gr.2。写真は1972年のル・マンで、カーナンバー54は総合8位に食い込み、ツーリングカーのクラス優勝も果たした。

市販版のRS2600のエンジンは、26M 用<ケルン>2.6L・V6をわずかに排気量アップ、クーゲルフィッシャー製インジェクションを装着。最高出力は150psだった。

RS2600 Gr.2のレース用エンジンは、1973年に入って3Lまで拡大、320ps以上までパワーアップしたものの、宿敵BMW3.0CSLに勝つために、ベースのエンジンを<エセックス>3L・V6に換装することになり、同年秋、今度は英国フォード開発のホモロゲモデル「RS3100」がデビューすることになった。RS3100はETCでも数勝をあげたが、カプリがすぐにモデルチェンジしてしまったこともあり、市販版は3ヶ月ほどで248台が作られたのみに終わった。

<エセックス>3L・ V6を3.1LまでアップしたRS3100。ノーマルでは148ps、レーシングモデルでは450ps以上を発生した。

モデルチェンジで「カプリII 」に進化

1974年、カプリはモデルチェンジを行って「カプリII(カプリMk.II)」となった。外観は初代カプリに似ていてホイールベースも同数値だが、ボディは全長約100mm、全幅が約50mm拡げられており、新たにテールゲートが設けられてユーティリティも向上していた。メカニズム面では初代を引き継いだが、英独市場で異なっていたパワーユニットは共通化が進んだ。英国製1.3L直4と、ヨーロッパ・フォードが開発、のちに本国フォード・ピントにも積まれたSOHCユニット<ピント>1.6L/2L直4、<ケルン>2.3L・V6、<エセックス>3L・V6が用意されたものの、搭載エンジンのバリエーションは英独で異なっていた。

基本フォルムを初代から引き継ぎながら、さっぱりとした意匠となった2代目カプリ。正式車名はカプリII(英国流で呼ぶならばカプリMk.II)。写真は、138psの<ケルン>3L・V6を載せた「3000GT」。

カプリIIは、1976年以降英国での生産が終わり、ドイツ製のみとなった。写真は、同年に「3000GT」と置き換わって登場したスポーティ版の「3000S」で、3L<エセックス>V6を積んでいた。

クーぺながら家族4人が乗れたことが、カプリ成功の秘訣のひとつだったが、初代ではラゲッジスペース不足も指摘されていた。そのためカプリIIではテールゲートを新設。実用性を向上させていた。

モダナイズされてMk.IIIに 名称は「カプリ」に戻る

カプリIIは1978年にマイナーチェンジを行い、その際、名称を「カプリ」に戻した。英国式ではMK.IIIと呼ばれる。基本的な設計はカプリIIと変わらず、グレード構成、英独で微妙に異なるエンジンラインナップもほぼ不変だったが、ボディサイドまで回り込むウレタンバンパー、フロントバンパー下部にエアダム、リアにはスポイラーを設けるなど外観は大きくモダナイズされた。

メッキモールも姿を消し、新しい雰囲気を得た1978年以降のカプリ(MK.III)。写真は<ピント>1.6L・SOHC直4を積むドイツ仕様の「L」グレード。

1978年のドイツ仕様全バリエーション。赤いモデルが最上級グレードの「ギア」で、黄色が廉価版の「L」、右奥が「GL」、手前が「S」。

この世代のカプリといえば、シルエット・フォーミュラ(Gr.5)での活躍が印象深い。ザクスピード・カプリ・ターボは、1978年から1984年までの6年間に84戦に出場、40勝をあげている。写真のカプリはシャーシナンバー「ZAK-G5C-001/78」で、1978〜1980年で通算7勝を記録した。

1981年には、長年使っていた<エセックス>V6エンジンでは、厳しくなる排ガス規制をクリアできなくなったため、グラナダなどに積まれていた<ケルン>2.8L・V6をインジェクション化して搭載。2.8L のカプリには、「カプリ280ブルックランズ」という限定車や、キャブレター+ギャレットT4ターボで武装し、最高出力180ps以上を叩き出したターボモデルも販売された。写真は、1982年の「カプリ・ターボ」。

80年代に入ると、1970年代を通じて人気を博していたスペシャリティカーのカプリも、台頭してきた小型ホットハッチや走行性能に優れたセダンの存在に脅かされるようになり、販売台数の減少が目につくようになった。カプリ自体の旧態化もあり、1984年にはドイツおよび欧州市場向けカプリは販売を終え、英国市場の右ハンドル版のみが残された。その際、エンジンラインナップも1.6L/2L直4および<ケルン>2.8L・V6インジェクションのみに縮小。直4モデルは「カプリ・レーザー」と呼ばれるようになった。しかしそれも長くは続かず、1986年にカプリはすべての生産を終了した。

カプリには後継モデルは存在しないが、米国フォードが開発し、欧州に輸入された「プローブ」と、ヨーロッパ・フォードが発売したクーペ「クーガー」(写真)がそれにあたろう。しかしいずれも販売成績は芳しくなく、カプリのような名声は得られなかった。

ややこしや、別系統のカプリたち

「正」のカプリとは別のカプリが数種類ある。ここまで長い記事になってしまったので(汗)、手短に書いて終わりにしたい。まずは、1979年に登場の<フォックス>マスタングの兄弟車だった「マーキュリー・カプリ」。輸入していたカプリに代わるモデルだったため、どことなく欧州車らしい雰囲気を持たせていた。

アメリカに輸入されていたヨーロッパ・フォード・カプリの後継車として、1979年に登場した「マーキュリー・カプリ」。フォックス・マスタングの兄弟車だった。1986年まで発売。

そして、この記事「最後のカプリ」が、こちら。
「マツダ・ファミリア(323)」の兄弟車「フォード・レーザー」をベースに、「MX-5ミアータ(ユーノス・ロードスター)」に触発され、豪州フォードが開発した2ドア・2+2のFFオープンカーである。そのため、過去のカプリとの関連性は一切ない。アメリカでは、引き続きマーキュリーブランドで1991年から1994年まで販売された。

豪州フォードで開発されたFFオープンカーの新生フォード・カプリ。写真は、北米市場向けのマーキュリー版。

3回にわたって誰得? のようなヨーロッパ・フォードの記事を続けてしまったので、次回からはガラっと内容を変え、「サッポロ」「タロー」「ツル」など、海外で日本語名を持ったクルマをお送りしたい。

この記事を書いた人

遠藤イヅル

1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。

遠藤イヅル

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