Così così(コジコジ)とはイタリア語で「まあまあ」のこと。この国の人々がよく口にする表現である。毎日のなかで出会ったもの・シアワセに感じたもの・マジメに考えたことを、在住25年の筆者の視点で綴ってゆく。
イプシロン刷新
今回はランチアの最新情報を。
2021年2月15日、ランチアはシティカー「イプシロン」改良型のオンライン発表会を開催した。
今回から「エコシック」のサブネームを与えられたイプシロンは、ラジエターグリルを一新したほか、LEDによるDRL(昼間点灯ライト)も採用した。
インテリアでは上級仕様「ゴールド」のダッシュボードに7インチ・タッチスクリーン式インフォテインメントを装備。Bluetooth、アップル・カープレイ、アンドロイド・オートとのコネクティビティを可能にした。
同時にサステイナビリティをアピールすべく、同じく「ゴールド」仕様のシート地繊維には、地中海の海洋廃棄プラスチックを再生した「シーケルヤーン」を使用している。
エンジンは、すでに導入済の1リッター・マイルドハイブリッド、1.2L LPG/ガソリン併用、0.9L天然ガス/ガソリン併用の3種類。変速機はマニュアル5段のみである。
イタリア国内価格は、標準仕様の「シルバー」が15,100ユーロ(約193万円)、「ゴールド」が16,700ユーロ(約213万円)。いずれも付加価値税22%込み)となっている。
消滅しなかったワケ
実は、このオンライン・イベントの告知が舞い込んだとき、筆者はやや混乱した。
実は昨2020年、一部の欧州メディアによって、2022年にPSAモデュラー・プラットフォームCMPを用いた新型イプシロンが発表されるとの予想が報じられた。それに関することかと思ったのだ。
ところが蓋を開けてみると、ご覧のとおり従来型イプシロンの大規模改良だった。
このイプシロンというクルマ、なんとも独特な立ち位置にある。
現行型は2011年の登場。その源流である1985年「アウトビアンキY10(イプシロン・ディエチ)」から数えると4代目となる。
2015年からはランチアのブランドが冠された唯一のモデルとして、今日まで約5年も生産され続けてきた。
昭和の人気テレビ番組のタイトル「欽ちゃんのどこまでやるの!」ならぬ「ランチアのどこまでやるの!」である。
すでに報道されているとおり、FCA(フィアット・クライスラー・オートモビルズ)とグループPSAとの経営統合により、2021年1月16日に新会社「ステランティス」が発足した。
同グループは、商用車も含めると16ものブランドを擁する大所帯である。
ランチアは仕分け対象候補の筆頭と、誰もが考えてしまう。
現行型イプシロンは2011年デビューの、まさに10年選手である。
参考までに日本市場には2012年から、英国向け右ハンドル仕様がクライスラー・ブランドで正規輸入されていたが、さしたる実績をあげることもできないまま販売が終了した。
そのイプシロンが、なぜ今も生き延びているのか?
理由は簡単だ。売れているのである。
2020年イタリア新車登録台数においてイプシロンは43,033台。姉妹車「フィアット・パンダ」の110,465台に次ぐ2位にランクインしている。 (データはUNRAE調べ)。
直近である2021年1月の登録台数でも、「フィアット・パンダ(12,162台)」「トヨタ・ヤリス(4337台)」に次ぐ3位(4048台)を維持している。
今回のオンライン発表会によると、前述のアウトビアンキY10以来35年間に販売されたイプシロン・ファミリーの数は300万台にのぼる。これは、旧FCA系においてフィアット・パンダに次ぐ車名別最多販売モデルであるという。
プラットフォームは同様に10年選手近い現行パンダと同一であるため、開発費用の償却は進んでいる。
さらにいえば、イプシロンの生産拠点は労働コストが低いポーランド工場である。欧州中央統計局の2018年平均時給データによれば、イタリアが30ユーロを窺おうとしているのに対して、ポーランドは10ユーロ前後に過ぎない。
旧フィアットを瀕死の状態から立ち直らせた鬼経営者セルジオ・マルキオンネ(2018年没)をもってしても、イプシロンおよびランチアに終止符を打つのを躊躇した理由が窺える。
イタリア随一の“女性仕様車”
では、なぜイプシロンが人気なのか?
イタリアで長年自動車販売業界に携わる人々が異口同音に証言するのは、「ちょっと上級志向」であることだ。
彼らによるとイタリア人は、このキャラクターに弱い。
それはアウトビアンキY10時代から受け継がれたものである。さらなる祖先であるアウトビアンキ・ビアンキーナも、それでヒットした。中身はあの1957年フィアット500であったにもかかわらず、ファッショナブルなデザインや車型で人気を獲得したのである。「ウィークデイのフィアット500、週末のビアンキーナ」というイメージづくりも功を奏した。
ちなみに、イタリアにかつて存在したブランド「インノチェンティ」のスモールカー・1974年「ミニ」も、同じファミリーの傘下であったマセラーティやデ・トマゾのイメージ・質感を投入することで一定の人気を博していた。
さらに、20世紀初頭から続く高級車ブランドであったランチアの幻影とでもいうべきものも、プラスに働いたのは間違いない。なにしろ今日でも大統領就任式の車両は古いランチア一択である。
加えていえば、イプシロンは女性ユーザーを主要ターゲットにしたのも良かった。今回の発表会でメーカーが発表したところによると、イタリアにおけるセグメントB車で、イプシロンは女性ユーザーに最も支持されているモデルという。
改良型ではユニセックスを視野に入れたボディカラーも追加したが、やはり女性偏重型のユーザー分布は即座に変化するものではなかろう。
中古車マーケットでも人気は高い。欧州の中古車サイト「アウトスカウト24」には1999年式、つまり22年落ちのYが、走行99,000kmで3000ユーロ(約38万円)の値がついていたりする。街なかの販売店でも、中古イプシロンは大抵目立つ場所にアイキャッチとして置かれている。
こんなモデルも、いたからこそ
最後にミニ意識として、イプシロン1モデル体制に至る直前に存在した、日本未導入の激地味ランチアを紹介しよう。
1台めは、本欄2020年10月17日付で紹介した2代目「テーマ」である。カナダ工場製「クライスラー300C」の姉妹車であった。2011年から2014年まで、たった3年のモデルサイクルだった。
2台めは、2代目テーマと同じ時期に存在したワンボックスバン「ヴォイジャー」だ。こちらもカナダ製クライスラー・グランド・ヴォイジャーのバッジエンジニアリング版だった。イタリアでこの手の車型の例にもれず、大半は観光ハイヤー需要に向けられた。
もっとも人々の記憶に薄いのは、2012年の「ランチア・フラヴィア」であろう。1960年代に存在した名車と同じネーミングがなされていたものの、なんのことはない。「クライスラー200」コンバーティブルのバッジ・エンジニアリング版だった。
予想どおり関心を抱く人は少なかった。2012年に千台、2013年に2千台の販売を見込んでいたにもかかわらず、いずれの年もニ百数十台にとどまった(データ参照:イル・ファット・クォーティディアーノ電子版2013年11月17日)。そして翌2013年には早々とカタログから消えてしまった。
このクルマを今も話題に引き出すのは、筆者の知り合いであるセールスパーソンだ。「それでも俺はフラヴィアを1台売りさばいたぞ」と、自分の敏腕営業ぶりを自慢するネタにしている。
いずれも古いランチスタが見たら「これらはランチアに非ず!」と怒るモデルたちの連発だ。だがブランドの存続を支えたことはたしかである。
同時にいえるのは、奇しくも同じ傘の下に収まった「DS」が2009年に突然ローンチされたブランドであるのに対し、ランチアはともかく1906年から連綿と続いてきたということだ。このあたりのヴァリューを、ステランティスがどう見積もるかが見どころといえる。
文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorezo OYA/Stellantis
この記事を書いた人
イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを学び、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK「ラジオ深夜便」の現地リポーターも今日まで21年にわたり務めている。著書・訳書多数。近著は『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)。