モデルカーズ

希少な4ドア版GT-R、「R32型スカイラインGTB-4」をプラモで再現!【モデルカーズ】

スカイライン神話を集約したような1台

今や日本が世界に誇るスポーツカー、いやスーパーカーである日産GT-R。そのルーツである日産スカイラインGT-Rは、まさしくレースに勝つために生まれた存在であった。3代目スカイライン、C10系の6気筒モデルであるGTに、プロトタイプレーシングカーR380の心臓GR8型をデチューンしたS20型エンジンを搭載して1969年に生まれたのが、最初のGT-Rである。S20は、GT用のL20と同じ直6 2Lながら、DOHC 24バルブという(当時の国産車としては)高度なメカニズムを採用したユニットで、スカイラインを国内ツーリングカーレース50連勝へと導いた(カウントの仕方によって50勝、49連勝など諸説あり)。当初は4ドア・セダンであったGT-Rは、戦闘力向上のため、ホイールベースの短い2ドア・ハードトップへと途中で切り替わっている。

復活したGT-Rは当然ながらと言うべきか、2ドア・クーペのみであったが、GT-Rの起源を考えれば、4ドア・モデルがもし存在していたら……ということは、スカイライン党なら誰もが考えることだろう。その夢を実現したのが、当時のオーテックで造られたスカイラインGTB-4(以下GTB-4)である。これは個人の依頼によって製作された謂わばワンオフモデルだったが、同様のクルマを望むオーナーに向けてさらに数台が製作されている。基本的には4ドアのGTS-4をベースにGT-Rのパワートレインとフロントセクションを移植したものだが、そのネーミングは当然ながら、GT-RのさらなるルーツであるS54B型スカイラインにちなんでいる。

初代GT-Rを生んだC10系の先代にあたるプリンス・スカイライン(2代目、S50型)は1.5Lエンジンを搭載するファミリーカーだったが、これにグロリア用の2L OHCを搭載したスカイラインGTこそ、最初の「レースのために生まれたスカイライン」であった。1964年の第二回日本グランプリでポルシェを相手に大立ち回りを演じたGTは大人気となり、ホモロゲ取得のために生産された100台に終わらず、スカイラインのトップモデルとしてラインナップに加わったのである。このとき、3連キャブの高性能版をGT-B(S54B)、マイルドなシングルキャブ版をGT-A(S54A)と称した。これがこの4ドア版R32GT-RがGTB-4と名付けられた由来である。

GT-Rのボディに4ドアGTS-tのキャビンを移植!
ここでお見せしているのはこの4ドア版GT-Rを1/24スケールのプラモデルで再現したものだ。作例のベースにはアオシマを使用、GT-Rのボディに4ドアのキャビンを移植して、ドアラインは彫り直すという方法を採った。ドアラインは先にマスキングテープで転写しておき、これを型紙に筋彫りを施している。

以下は、アオシマのR32をそのまま作る際にも参考にして頂けるだろう、細部の修正だ。まず、アオシマR32のバンパーは前面の傾斜が強めだ。そこでこの面の角度を起こすように削る。バンパー下部は前方に出したいので、一旦リップスポイラーをカット。モールドが埋まらないよう養生して瞬間接着パテを盛る。リップとの分割線で2mm前に出るよう造形した。左右ダクトのスリットは0.5mmプラ板で再生。フロントグリルは「頭文字D 死神GT-R」版に付属するパーツの形状が良いので、可能な人は切り出して移植するとよい。
また、アオシマのR32はボディが全体に角ばって見えるが、これは前後ウィンドウ四隅が四角いのも要因として大きいようだ。ウィンドウをテープで養生しつつボディに仮組みして瞬間接着パテを盛り、硬化後に丸棒ヤスリで造形、モールドを彫り直した。

エンジンはアオシマのGT-Rに入っている上げ底パーツを使うが、この部品はバルクヘッドおよび左右の隔壁とシャシーとの間に隙間が多い。そこで、バルクヘッドを残し左右とカウルトップを切り取る。シャシーとの隙間を詰める形でマスキングテープの細切れを貼っていけば、正しいバルクヘッドの形状を把握することができる。最後に大判のテープを重ね貼りすればズレずに型取りできるので、切り取ったテープをプラ板に貼って切り出した。左右はシャシーの形状を転写して切り出す。

エンブレムは吉田金糸製のスタンピングリーフを使い自作したデカールで再現している。オリジナルのGTB-4は前後に旧プリンスのエンブレムを装着しているようだが、作例ではこれは省略した。そのためこれは、追って製作されたGTB-4の方を再現したということになるだろう。

作例制作=小田島俊介/フォト=服部佳洋 modelcars vol.261より再構成のうえ転載

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