ホンダ

【国産旧車再発見】今こそ見直したいクーペボディ、モータースポーツ黎明期を支えた名車『ホンダS800クーペ』

国内モータースポーツ黎明期を支えた名車のひとつがホンダSシリーズ。数多くのドライバーを育てるだけの資質に富んだ車体レイアウトはオープン2シーターとして設計されたがゆえに実現したとも言える。だが後に追加されたクーペも耐候性に優れるばかりのモデルではない。オープンより評価が低い時代が続いたが、今こそ真価を再評価したい。

今こそ見直したいクーペボディ

シューティングブレイク風ファストバックスタイルはSシリーズに新たな魅力をもたらした。

オートバイメーカーだったホンダが4輪自動車を造ることになるきっかけは、意外なことに時の政府の指針だった。1955年に当時の通産省が発表した『国民車育成要綱(国民車構想)』は、国内における自動車産業の成長を促した。技術的な目標が生まれたことでスズキからはスズライトが、富士重工業からはスバル360が発売された時代だ。トヨタも大衆車の必要性が論じられた結果、700cc空冷エンジンを搭載するパブリカを発売。まさに国産車の黎明期を支えた、重要な政府指針といえる。

ところが通産省は国民車構想から6年を経ると、手のひらを180°ひっくり返す。貿易の自由化に向けて、特定の産業で国際競争力を強化するための法案を発表。これが『特定産業振興法案(特振法)』で名目は素晴らしいのだが、その実は既存の自動車メーカー以外は4輪自動車を作ってはならないと規制する内容だった。

これに激怒したのがホンダの創業者である本田宗一郎。当時の通産省事務次官を相手に噛みつき、急遽4輪自動車を生み出すためのプロジェクトを立ち上げる。それが1962年1月のことで、その年の6月5日に開かれた第11回全国ホンダ会総会には、建造中だった鈴鹿サーキットを舞台にホンダ・スポーツ360を登場させる。しかも本田宗一郎自らドライブして現れるというアピールぶりだった。

軽自動車であるスポーツ360はしかし発売されることはなく、4気筒DOHCエンジンはホンダT360という軽トラックに積まれてデビュー。続く1963年10月に発売された乗用車はホンダS500だった。スポーツカーに求められる性能を360ccのエンジンでは満たせないというのが理由。ところがS500も1964年には排気量を引き上げS600になる。500ccでもスポーツカーを名乗れるだけの性能には達していなかったということだ。

【写真21枚】今こそ見直したいクーペボディ『ホンダS800クーペ』の詳細を写真で見る

ホンダS600は4連キャブレターを備える4気筒DOHCエンジンにより8500r.p.m.という高回転を実現。1960年代前半にこれだけのスポーツ性を備えるクルマは国内に皆無と言え、必然的にモータースポーツの分野で人気となる。だが1965年3月にトヨタからパブリカをベースとしたスポーツカー、スポーツ800が発売される。水冷4気筒DOHCエンジンを備えるホンダS600に対して、トヨタ・スポーツ800は空冷水平対向2気筒OHVエンジン。だが、200ccの排気量差は如何ともしがたく、ホンダは1966年1月に再度排気量を引き上げたS800を発売するに至る。

長年、ホンダSシリーズに乗るなら、もっともパワフルなS800、しかもオープンに限るという風潮が続いた。オープンボディによる開放感は何者にも代えがたいうえ、DOHCエンジンとはいえ排気量が少ない分、車両重量は軽いほど良いとされてきたからだ。だが1965年2月に追加発売されたS600クーペに見るまでもなく、耐候性を備えるスポーツカーは海外で需要が高かった。小排気量スポーツカーであっても、ルーフを備えて欲しいという要望は、オープンカー先進国たる海外では当たり前だったのかもしれない。

筆者も長くホンダSに乗るならオープンボディとしか考えていなかった。それは過去に運転させていただいたホンダSが600、800を問わずオープンだったという理由もある。クーペに触れることはあっても、実際に運転したことがなかったからだ。だが、これは筆者だけのことではあるまい。おそらくホンダSに触れた多くの人もオープンだけではないだろうか。それほどクーペは少数派なのだ。

スポーツカーとしては未熟であろうがチェーンを備えるリアサスペンションはホンダらしさに溢れる

だからというわけではないが、今回触れることができたS800クーペで目からウロコが落ちる思いを抱いた。取材当日が肌寒いくらいの気温だったこともあるだろう。何しろ運転している間、オープンボディで感じられる風の冷たさと無縁でいられる。着座位置が低く、街乗り程度なら風の巻き込みが思ったほど強くないSシリーズだが、それでもこの時期に乗るならそれなりの対策が必要。オートバイに乗るのと同じ感覚が求められるわけだが、クーペであればそんな気負いや装備は一切不要だ。筆者が年をとった証拠かもしれないが、ラクできることは素晴らしい。

人間がラクであることは、クルマとの対話にも大きく影響する。オープンの場合、エンジンやトランスミッション、タイヤといった他に風という音源まであるから、運転中の室内は大変賑やか。いかにも運転している感は強いが、クルマが発する微妙な音や振動をともすると見落としてしまう。ところがクーペであればクルマが発する音や振動をいち早く察することができる。何を言いたいかといえば、慣れないS800を運転していればシフト操作時のギアの噛み合い音や、速度域により変化するタイヤやサスペンションの固有振動数に敏感でいられる。つまりクルマを労わる配慮がオープンより早めにできるのだ。

そんなことより気になるのが動力性能かもしれない。確かにチェーンタイプのS800が710kgであることに対し、S800クーペは725kgと15kgほど重い。4気筒DOHCとはいえ、791ccしか排気量のないクルマにとって致命的な差に思える。だが、実際に運転してみれば、15kgの重量差は大した問題ではないことに気がつくだろう。オープンとクーペの2台でヨーイドンすれば差がつくだろうが、単独で走らせている限り、オープンの軽さが良いという結論にはならないはずだ。

むしろ運転に集中できるだけクーペの良さが光る取材となった。刺激的なエンジン音はクーペであれば雑味なく伝わってくるように感じられ、積極的に高回転を楽しめるはず。また足まわりの設定がオープンとクーペで違うはずだと思うのだが、ロールが少なくクイックな操縦性に大差は感じられない。

今回の取材車はS800クーペの前期モデル。つまりリアサスペンションが独立懸架のチェーンタイプだ。トレーリングアームのなかに最終減速を担うチェーンとスプロケットが収納される、ホンダSシリーズの特徴的な部分である。これは1966年4月にリジッドアクスルに置き換えられ、ハンドリングという面では大きく改善される。リジッドに部があることは周知の事実だが、ホンダらしさを求めるなら、チェーンに駆動力がかかりリアタイヤを蹴るような感覚を味わえるチェーンタイプに部があると思う。

忘れもしないが、まだ20歳前後だった1980年代後半にヒストリックカーレースを観戦したことがある。どのクラスかまでは覚えていないが、筑波サーキットのコース上で光り輝くマシーンに混ざりサビだらけのS800があった。見た目だけでも周囲から浮いていたこのマシーン、レースが始まるとなかなかに速い。しかも1万r.p.m.近く回っているだろうエンジン音は、見てるだけのこちらにも十分魅力的。それ以来、S800に乗りたいなと思いつつ、触れるだけで終わっていた。オープンカーよりオートバイがいいという結論に達したからなのだが、今回触れたS800クーペにより遠い昔の想いが再燃してしまった。

今回の車両を貸し出してくれたガレージイワサには、オープンまでの繋ぎでクーペを買った人が何人かいる。ところが、いずれもオープンに乗り換えることなくクーペを愛しているという。その気持ちに強く同意したい。小さいながらも本格派というのがホンダSシリーズを選ぶ理由だが、若くないと自覚できるのであればクーペを選択肢に加えていただきたい。クーペなら疲れを気にせず、純粋にドライブを楽しめるのだから。

【specification】ホンダS800クーペ(1966年型)
●全長×全幅×全高=3335×1400×1210mm
●ホイールベース=2000mm
●トレッド(F&R)=1150/1128mm
●車両重量=725kg
●エンジン形式=水冷直列4気筒DOHC
●総排気量=791cc
●圧縮比=9.2:1
●最高出力=70ps/8000r.p.m.
●最大トルク=6.7kgm/6000r.p.m.
●変速機=4速M/T
●懸架装置(F:R)=ダブルウイッシュボーン:トレーリングアーム
●制動装置(F&R)=リーディングトレーリング
●タイヤ(F&R)=6.15-13-4PR
●新車当時価格=69.4万円

Text:増田 満 PHOTO:内藤敬仁 カー・マガジン487号より転載
CAR MAGAZINE編集部

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