遠藤イヅルが自身のイラストともに1980年代以降の趣味車、いわゆる”ヤングタイマー”なクルマを振り返るという『ボクらのヤングタイマー列伝』です。今回は49回目なのに当連載に一度も登場していなかったダイハツの中から……と言えばもうこれしかありません! というわけで、歴代シャレード・デ・トマソですヨ!
ボクらのヤングタイマー列伝第48回『グループB詰め合わせ マニアック編』の記事はコチラから
デ・トマソによるエアロパーツなどで、当時の若者を熱狂させました!
デ・トマソと聞いて何を連想しますか? パンテーラなどいろいろありますが、アラフィフ世代なら、『ダイハツ・シャレード・デ・トマソ!』と言う声が多いかもしれません。始まりは1981年。ダイハツは、デ・トマソが初代シャレードをレーシーに仕上げた『シャレード・デ・トマソ』を東京モーターショーで発表しますが、これは結局お蔵入りとなり、未発売に終わりました。しかし1984年、2代目シャレードに追加された『シャレード・デ・トマソ・ターボ』で、ついにシャレード・デ・トマソの市販が実現。デ・トマソによるエアロパーツ、赤×黒のボディカラー、カンパニョーロの金色アルミホイールでスポーティに装い、内装もモモ製ステアリングが奢られ、当時の若者を熱狂させたのです。この代のトピックはエンジンをミッドシップマウントに変更しオーバーフェンダーで武装した『デ・トマソ926R』ですが、これについては本誌No.501の当連載に掲載していますので、ぜひご覧下さい!
スタイリッシュな3代目シャレード(1987〜1993年)のデ・トマソ仕様はショーモデルのみでしたが、4代目に再び市販モデルが復活。ターボエンジンではなくなり派手な印象は薄くなったものの、エアロパーツとシリーズ唯一の1.6リッターエンジンを積んで差別化を図ったほか、レカロ製シート、ナルディ製ステアリング、ピレリ製P600 タイヤなどイタリアンメイドな装備を満載しました。
ダイハツとデ・トマソのコラボレーションと言えば、忘れてはならないのが『イノチェンティ・ターボ・デ・トマソ』です。『イノチェンティ・ミニ・デ・トマソ』じゃないですよ。イノチェンティ・ミニは当初、BMC(BL)ミニをほぼそのまま作っていましたが、1974年からはイタリアンモダンの極みのようなボディを載せた『90/120』に進化。エンジンはミニと同じOHVのA型で、サスペンションもラバーコーンでした。ところが1982年、イノチェンティの親会社だったデ・トマソとBLの提携が終了したことで、ダイハツ3気筒エンジンの採用を決定。車名から”ミニ”が消えるとともに、ダイハツとデ・トマソの関係がスタートしたのです。
そのためホットバージョンの『ミニ・デ・トマソ』も、お馴染み1275ccのA型からダイハツ製993cc 3気筒ターボエンジンに換装、車名も『ターボ・デ・トマソ』に変更……そう、気が付いた方も多いでしょう。ターボ・デ・トマソに積んだエンジンは、シャレード・ターボと基本的には同じユニットだったのです。一方、ターボ以外のダイハツ製エンジンを載せたイノチェンティは、『トレ・チリンドリ(=3気筒)』や『990』などと呼ばれ、1990年にイノチェンティをフィアットがデ・トマソから買収した後の1992年まで、製造が行われたのでありました
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。