エンスーでマニアックなクルマが赤レンガ倉庫前に100台集結!
2024年3月20日(水)。横浜赤レンガ倉庫前の広場に100台が集結したイベントが開催された。赤レンガ倉庫でのクルマイベントは少なくないが、このイベントはとても画期的で、意義があり、かつ前例がないものだった。
イベント名は、「YOKOHAMA CAR SESSION ~若者たちのカーライフ~」(以下、YOKOHAMA CAR SESSION)。クルマのイベントには、たとえば国や製造年などの「縛り」が入ることがあるが、サブタイトルに「若者」と入っている通り、YOKOHAMA CAR SESSIONでは、オーナーの年齢を35歳以下に限定しているのが特徴だ。逆に言えば、限定条件はそれだけである。
そうなると、若いオーナーは今どんなクルマに乗っているのだろう?と思う人もいるに違いない。筆者は、主催者のメンバー3人(全員20代)とは懇意で、このイベントでは、ありがたいことに出展・協賛というカタチで参加させてもらった。そのため彼らがどんなクルマを持っていて、どのような価値観でクルマと接しているか、また、彼らの友人が乗っているいくつかの車種は知っていた。とはいえ、すべての参加車両を把握していたわけではない。ちなみに主催者の所有車は、いすゞ・ピアッツァ(初代)、シトロエンBX、ホンダS2000である。
ところが当日、続々と入場して並びだした参加者のクルマを見て、正直なところ相当に驚いた。というのも、ポルシェ911、ポルシェ914、ロータス・エスプリ、アルピーヌV6ターボなどの、現在では手が届きにくくなりつつあるスポーツカーをはじめ、ボルボS90(初代。旧ボルボ960)、メルセデス・ベンツEクラス(W124)、レンジローバー(2代目)、ジャガーXJS、アルファロメオ166、シトロエンC6、トヨタ・セルシオなどの高級モデルや、シトロエンGS、シムカ・ラリー2、プジョー505(しかも前期型)といった味わいのあるフランス車、トヨタ・カローラレビン(4代目・AE86型)、日産・サニー(7代目・B13型)、日産180SX、ホンダ・アコード(3代目)、プレリュード(5代目)、ホンダ・トゥデイ(初代)、ダイハツ・ミラ(4代目)などの国産ヤングタイマー、そしてクーペ・フィアット、フィアット・バルケッタ、オペル・ティグラ、アウディ90(2代目)をはじめとした、数を減らしてしまった欧州のヤングタイマーなどが集結していたのだ。その顔ぶれは実に豊かで、しかもマニアックなクルマが多いのが特徴だ。参加したのは、主催者が声をかけたクルマのみ。どのクルマもピカピカに磨き上がれていて、オーナーが深く愛情を持って接し、愛していることがわかる。
ところで、「若者のクルマ離れ」という言葉が登場してから久しいが、参加車両を見ても分かる通り、実際にそんなことはない。たしかに若い世代には、クルマに興味がない人が多いのも事実だ。その一方で、好きになったらとことん好きになる若い世代は、このように確実に増加している。
今回、このイベントを記事にしようと思ったのは、自分やその前後の世代・もしくはもっと上の先輩世代に、若い世代のエンスーぶりや、彼らがどれだけクルマが好きなのかを、イベントを通じてぜひとも知って欲しかったためだ。
記事をご覧になった人の中には、彼らが持っているクルマが「想像以上」だったことに驚いているかもしれない。かくいう、自分もそうだった。クルマ趣味の未来は、彼らがしっかり受け継いでいる。つまり「若者のクルマ離れ」という使い古されたワードは、そろそろ仕舞い込んだほうがよいのでは……と思うのだ。
地元横浜で開催することの意義
これほどのイベントを実行するには、いろいろなストーリーがあっただろう。そこで、「YOKOHAMA CAR SESSION」開催の経緯やその意義を、発起人で共同主催者のひとり、後藤和樹氏に聞く機会を得た。
「YOKOHAMA CAR SESSIONの共同主催者は、同じ横浜出身の本田君、甲野君です。私は、彼らが以前から主催していた別のイベントに参加していたのです。その中で、私の地元横浜の、しかも赤レンガ倉庫でクルマをズラっと並べたイベントを行い、若者がクルマを好きなことをアピールしたい! と考えるようになりました。
でも、私にはクルマのイベントを開催するノウハウがありません。そこでほんとうに思いつきで、甲野君にイベントをしたい、と打ち明けたのです。そして本田君も交えて、3人で主催をすることになりました。
赤レンガ倉庫でのクルマイベントは頻繁に開催されていますが、基本的には主催が企業や媒体などが多いですよね。でお個人でイベントを開催した事例は、過去になかったと思います。しかも、20代での開催も初、と聞いています。
赤レンガ倉庫前は1年前から押さえることができますが、人気のある場所なので、すぐに埋まってしまいます。でも企画書を書いて横浜市に提出してみたところ承認が得られました。企画書の作成には、毎年秋に横浜ヒストリックカーデイを主催している方のご協力を仰ぎました。
すると、希望の日曜日は無理でも『この日なら空いていますよ』と横浜市から連絡をいただいたのです。そこで『はい、3/20でお願いします!』とお返ししました。
返事をしてしまったからには、もう開催するしかありません。それが2023年の夏くらいだったでしょうか」
こうして、晴れて「YOKOHAMA CAR SESSION」は無事に開催された。冒頭で記したように、地元での開催という夢、赤レンガ倉庫での個人初主催・20代での初主催など、「YOKOHAMA CAR SESSION」は、たいへん意義があるイベントとなったのである。
居心地の良い「価値観が共有されたイベント」
初の開催となった「YOKOHAMA CAR SESSION」で感じたのは、「とても心地が良いイベント」だということ。車格・排気量・性能・年代・生産国などはバラバラでも、主催者の価値観やイベントの趣旨がすべてのオーナーに共有されている。それがイベントの空気感や参加者・参加車両全ての一体感と統一感、居心地の良さを生み出しているのだ。
この感覚は、きっと参加したすべてのオーナーが共有したに違いない。愛してやまない自分のクルマを、最高の場所で、最高のメンバーで並べる。そしてクルマの前で、好きなクルマの話をずっと続けることができる。クルマ好きにとって、とても幸福な時間だったはずだ。
一方で、大きなクルマのイベントには危険もつきまとう。しかも場所が一般の人も往来する赤レンガ倉庫だ。事前準備のみならず、当日の誘導やトラブル対応への備えも必要となる。イベント用のグラフィックやHPの作成も、すべて自前で行なっている。だから、開催当日まで苦労が絶えなかったことは想像に難くない。それを乗り越えた3人と、当日の実行スタッフに敬意を評し、心から拍手を送りたい。
この素敵なイベントが今後もずっと続き、さらに多くの人に「若い世代のクルマ好きのチカラ」を伝えてほしいと願っている。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。