読者は憶えておいでだろうか、すべてのはじまりからたった5年、アメリカンカープラモはまだ共通デザインの箱に収まっていた。同じ箱、異なる中身。箱のなかに収まっていたものを好きになる、当時はそんな時代でもあった。なにも知らない心がマーキュリー・ミーティアの控えめな魅力に気づく機会は、余裕のない経済的な理由で永遠に失われてしまった。 写真:畔蒜幸雄、羽田 洋、秦 正史 記事にもどる