各社競作と呼べそうなほど同時多発したこのカリカチュア・カー・ムーブメントだが、モノグラムだけにフォーカスを絞れば、マテルからの「プラモデルをより玩具的に」というプレッシャーと、現場発の「ホットロッドに殉教的な」ロウブロウ・アート志向の妥協点だったといえる。各社の相互参照が入り乱れるため、ここで過度に深入りはできないが、少なくとも1970年代初頭のモノグラムは「乗れる波には乗る」「ただしコストは最小限」「とにかく親会社を納得させる」ことが優先課題となっていたことは間違いない。 撮影:秦 正史 記事にもどる