箱の小口を見てみよう。アメリカンカープラモにとってインデックスのように機能していた面だ。じつにつまらない。箱の他の面に大きな窓があり、その訴求力にすべてが懸かっている以上、キットは積み上げられることを想定しておらず、小口などどうでもいいのである。ボックスアート華やかなりし時代には、小口でしか拝めない仕様やパースペクティブが確かに存在した。そうした憎い配慮はすべて「合理的ではない」と切り捨てられた。
写真:羽田 洋、秦 正史
箱の小口を見てみよう。アメリカンカープラモにとってインデックスのように機能していた面だ。じつにつまらない。箱の他の面に大きな窓があり、その訴求力にすべてが懸かっている以上、キットは積み上げられることを想定しておらず、小口などどうでもいいのである。ボックスアート華やかなりし時代には、小口でしか拝めない仕様やパースペクティブが確かに存在した。そうした憎い配慮はすべて「合理的ではない」と切り捨てられた。
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