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【速報・会見詳報】日産エスピノーサ社長が語る「国内再編のすべて」。追浜・湘南生産終了の決断理由と今後のシナリオ

国内生産体制の再編完了へ、追浜・湘南の車両生産終了を正式発表

日産自動車は2025年7月15日、チーフ・エグゼクティブ・オフィサー(CEO)であるイヴァン・エスピノーサ氏が緊急記者会見を開き、同社の歴史的生産拠点である追浜工場(神奈川県横須賀市)での車両生産を2027年度末をもって終了すると発表した。生産は日産自動車九州に集約される。さらに、日産車体湘南工場でのNV200の委託生産も2026年度に終了することが明らかにされた。事業構造改革計画「Re:Nissan」に基づくグローバルな生産体制最適化の一環であり、日本の生産体制に大ナタが振るわれた形だ。

追浜は2027年度末、湘南は2026年度末に。生産は九州へ集約

会見の冒頭、エスピノーサ社長は厳しい表情で今回の計画を切り出した。

「本日、日産は、追浜工場における車両生産を、日産自動車九州(福岡県京都郡)へ移管・集約する計画を発表いたしました」

これは事業構造改革計画「Re:Nissan」のもと、グローバルな生産体制を最適化するための取り組みの一環である。計画によれば、追浜工場は2027年度末をもって車両生産を終了する。これに伴い、現在同工場で生産されている「ノート」「ノート オーラ」、そして今後生産開始予定の新型「キックス」の生産は、段階的に日産自動車九州へ移管されることになる。

また、これと並行して、日産車体湘南工場におけるNV200の委託生産を2026年度に終了するという決定も報告された。NV200の後継車は2027年度の生産開始を予定しているが、湘南工場では生産されないことが質疑応答で明言された。ただし、湘南工場自体の今後や人員に関しては、日産車体が決定することであり、日産自動車がここで詳細を話す立場にはないと述べた。なお、ADモデルの委託生産も2025年10月に終了することがすでに発表されている。

エスピノーサ社長は「これにより日本国内の車両生産拠点の集約は完了となります。日本でのこれ以上の車両生産集約はありません」と述べ、今回の再編が日本国内における最後の車両生産拠点集約であることを強調した。

グローバルで工場を17から10拠点へ、日本も聖域なく

今回の決定の背景には、日産の生産体制が抱える深刻な課題がある。エスピノーサ社長は、「『Re:Nissan』の一環として、日産は生産拠点のグローバルな再編を進めています」と説明する。現在、中国を除くグローバル生産能力約350万台に対し、有効活用されているのは約70%に過ぎない。この状況を打開すべく、2027年度までに工場を17拠点から10拠点に集約し、稼働率を100%にまで高めることを目指している。

特に日本国内の状況は厳しく、工場の稼働率は約60%にとどまっているという。この非効率な体制を改革するため、追浜から九州への生産移管・集約という結論に至った。社長は、「この移管により、日本における生産コストを中期的に約15%削減できると確信しており、これは日本の事業の収益性に大きく貢献し、『Re:Nissan』後の会社の成長を支えるものとなります」と、その効果に期待を示した。

従業員の雇用継続に向けて組合と協議へ

一方で、今回の決定がもたらす影響の大きさについても、社長は率直に認めた。「この決定は、特に追浜工場で働く従業員にとって、相当な困難を伴うものです。私にとっても、会社にとっても、難しい決断でした」

従業員の雇用については、最大限の配慮を行う姿勢を示した。追浜工場に勤務する従業員は、生産が終了する2027年度末まで同工場での雇用を継続する。その後の雇用や勤務形態については、従業員および労働組合と十分に協議し、「他の生産施設への再配置や、追浜地区内の他業務への異動など、雇用の維持に向けた代替案を検討しています」と説明した。

なお、今回の決定は追浜地区の一部である車両生産工場のみに適用されるものであり、同地区にある総合研究所、テストコースのグランドライブ、衝突実験場、追浜専用埠頭といった機能は今後も変更なく存続する。質疑応答では、これらの事業は「恒久的に継続します。中止や規模縮小の計画はありません」と明言された。

エスピノーサ社長はスピーチの最後に、60年以上の歴史を持つ追浜工場への敬意と感謝を述べた。「追浜工場は1961年に操業を開始し、本日までに1780万台以上の車両を生産してきました」。そして、「追浜で生産されたクルマは、日産の技術的卓越性の象徴であり、我々の誇りの源です。この事実は、2027年度末に生産が終了した後も、変わることはありません」と語り、その功績を称えた。

跡地活用、サプライヤーへの影響は? 質疑応答の要点

また、質疑応答では、各メディアからより踏み込んだ質問が相次いだ。生産移管の効果について、国内工場の稼働率がどこまで引き上げられるかを問われると、エスピノーサ社長は「九州の稼働率は、移管後100%を達成する見込みです」と回答。これにより効率性が大幅に向上し、製造コストは約15%改善される見込みだという。

従業員の処遇と周辺施設の永続性についての質問に対しては、追浜地区の総従業員数約4000名のうち、車両生産に従事する2400名について、2027年度末までの雇用を継続すると改めて強調。長いリードタイムを設けた理由を「お客様への製品供給の継続性を確保すること、そして従業員や組合と十分に協議し、適切な条件とサポートを提供するためです」と説明した。

閉鎖以外の選択肢はなかったのか、ホンダとの協業やホンハイとの協業案などを検討したのかと質問されると、「本日の決定は追浜工場での車両生産を終了するというものです。これが日産と将来にとって最善であると考えています」と述べ、「いかなる合弁事業や委託生産の協議も行っていない」と明言した。

工場の跡地活用については、複数メディアから質問が集中した。「現在複数のパートナーと協議中ですが、守秘義務契約があるため詳細は申し上げられません」と具体的な言及を避けつつも、「資産の売却や再利用を検討しています」との方針を示した。他の自動車メーカーへの売却の可能性を問われると、「資産の買い手が見つかれば売却を検討しますが、そうでなければ資産は日産のものです」と答えるにとどめた。

また、新型キックスの生産をあえて追浜で開始する理由については、すぐに生産を移管すると市場に空白期間が生まれてしまうため、「お客様への製品供給の継続性を確保するためです」と回答。また、この期間が従業員のスムーズな移行にも繋がるとした。

そして、これまで追浜工場が蓄積してきたノウハウや伝統の継承について問われると、チーフ・モノづくり・オフィサーの平田禎治氏が補足。「工場間でのナレッジやベストプラクティスの共有は常に行っております」とし、「今回のことで追浜のナレッジやスキルが途絶えることはないと考えております」と自信を見せた。

最後に語った「痛み」と、従業員・地域への想い

最後に、エスピノーサ社長自身の追浜工場への思いを問われた場面では、その苦渋が滲み出た。「追浜工場は日産の象徴であり、私のキャリアの中で最も困難な決断の一つでした」。そして、「非常に残念な気持ちで従業員にこの決定を伝えました。これはリーダーとして誰もやりたいことではありません。しかし、日産の将来の成長と持続可能性のために必要なことでした」と語り、影響を受ける従業員とその家族に対し、「心からお詫び申し上げます。日産は彼らを最大限サポートします」と締めくくった。

今回の決定は、日産がグローバルな競争を生き抜くための不可避な一歩であり、成長軌道への回帰を目指す強い意志の表明でもある。しかしその裏には、60年以上の歴史を誇る名門工場の生産終了と、そこで働く数千人の従業員、そして地域経済や数多くのサプライヤーが直面する大きな痛みが存在する。日産がこの困難な再編をいかに実行し、影響を受けるステークホルダーに対してどのような責任を果たしていくのか、その手腕が厳しく問われることになるだろう。

※この記事は、一部でAI(人工知能)を資料の翻訳・整理、および作文の補助として活用し、当編集部が独自の視点と経験に基づき加筆・修正したものです。最終的な編集責任は当編集部にあります。

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