
代わりになるクルマが現れないまま、気づけば35年近い月日が流れていた
原体験がその後のカーライフに大きな影響を及ぼすように思えてなりません。今回取材した安藤一弘さんのクルマ熱に火が点いたのは大人になってから。幼少期から自他ともに認めるクルマ好きにとっては「遅咲き」と映るかもしれません。結果として、その事実が現在にいたるまで熱量を維持できている要因とも考えられそうです。「クルマ熱に火がつく」に、遅すぎるということはないように感じます。
【画像24枚】35年と70万キロをともにした安藤一弘さんと「三菱GTOツインターボ」の詳細を見る
――安藤さんがクルマ好きになったのは何歳頃でしたか?
実は二十歳を過ぎてから、なんです。当時、家にはクルマがなかったこともあり、どちらかというと縁遠い存在でした。幼少期の頃から興味があったのは、クルマよりもむしろ鉄道でした。いわゆる「乗り鉄」ですね。最初に就職したのも鉄道会社でしたし(笑)。とはいえ、さすがに二十歳を過ぎて運転免許くらいは取得しておこう……と教習所に通いはじめ、仮免許が取れたあたりから運転が楽しくなっていったんです。
最初の愛車はR30型スカイラインだったがオープンカーに!?
――初めての愛車のこと、覚えていますか?
覚えています。無事に運転免許を取得して、それから数ヶ月後に手に入れたのが「ニューマン・スカイライン」こと、6代目日産スカイライン(R30型)でした。本当は「鉄仮面」が欲しかったんですが、さすがに高価で手が出せず、2ドアの「GT」の5速MTの新車を買いました。当初はATを買おうと思っていたんですが、仲間たちから「ATだとすぐに飽きちゃうよ」と言われてMTを選んだんです。納車初日はエンストばかりで、さすがにこのときは失敗したかな……と思いました。それでも、少しずつ操作に慣れてきてからは運転が楽しくなっていったんです。
――その後、最初の愛車であるスカイラインにいわゆる「魔改造」をされたとか
専門のカーショップに頼んで、屋根を切り、オープンカーに改造してもらったんです。……といってもいわゆる「ヤンチャ系」ではなく、純粋(?)なオープン仕様です。幌をトランクに収納できるように造ってもらったこともあり、見た目もすっきりしていてとても気に入っていました。しかし、強度面に問題があってボディが歪んでしまったんです。そのうち雨漏りするようになってきて手放してしまいました。なんだかんだで6年・6万kmほど乗りましたね。
――現在の愛車であるGTOの存在を知ったきっかけを教えてください
1989年に開催された、第28回東京モーターショーの三菱ブースに展示されていたコンセプトカー「HSX」がすべてのはじまりです。友人が「モーターショーのチケットがあるから行かない?」と誘ってくれたこともあり、軽い気持ちで会場に行きましたが、もし足を運んでいなかったら……。人生分からないものですよね。1989年って、ホンダNSXのプロトタイプや、日産スカイラインGT-R、マツダユーノスロードスター、トヨタセルシオなど……蒼々たるクルマが展示されていたんですよね。でも、私が目に留まったクルマは「HSX」だけでした。「日本車のデザインもいよいよここまできたか!」と、感激しました。と同時に「市販されたら絶対に乗る!」と心に決めました。この日以来、毎日のようにHSXのパンフレットを眺め、無駄遣いをやめて必死に貯金に励みました。
三菱GTO以外にもトヨタ・スープラが候補に
――安藤さんにとっての原体験でもある「GTO」が手に入るまで、葛藤があったそうですね
コンセプトカー「HSX」は、東京モーターショーからおよそ1年後に「GTO」としてデビューしたわけですが、最大のネックは価格でした。そこで、車両本体価格が400万円を切ったら買おうと心に決めたんです。もしもGTOが400万円オーバーだったときのことを考えて、トヨタ・スープラ(A70型)も候補に入れていました。スープラはGTOが発売される2ヶ月ほど前にマイナーチェンジして、レカロシートが標準装備された「2.5ツインターボR」をトヨタのディーラーまで観に行ったんです。発売直後だったこともあり、納期に半年くらいかかると言われ……。そんな矢先に三菱のセールスから連絡があり「GTOの価格が判明して、上級モデルにあたるツインターボが398.5万円に決まった」と教えてくれたんです。ギリギリ予算内ということで、集まられるだけのお金をかき集めて契約しました。ボディカラーは、GTOのイメージカラーでもある「パッションレッド」にしました。ついに念願がかなったのは、「HSX」を見初めてから約1年半経った1991年1月でした。
――ついに手に入れたGTO、納車された日のことを覚えていますか?
ディーラーまで歩いて引き取りに行ったんですが、気分はまさに「ルンルン」でした(笑)。GTOはギア比が高いこともあって、自宅に着くまで1速と2速しか使わなかったことを覚えています。
――GTOを手に入れてからご自身のカーライフにどのような変化がありましたか?
GTOのオーナーズクラブができはじめたので、目に留まったクラブに私も入会してみたんです。「TOKYO GTO CLUB」というクラブで、現在もメンバーの一員です。みんなでツーリングに行ったり、情報交換したり。GTOにヨーロッパ仕様や北米仕様があると知ったのも、クラブの仲間が教えてくれたことがきっかけです。あれから時間が経ち、当時のメンバーで残っているのは私を入れて数人。当時のメンバーのほとんどがGTOを手放してしまいました。
――GTOはどのような場面で乗っていますか?
それこそ働いていたときは毎日の通勤で使っていましたし、週末はロングドライブに行くことが多かったのでほぼ毎日GTOに乗っていました。ここ5、6年は年間3万km以上乗っていましたね。会社を定年退職してからは週に3日くらいのペースに落ち着きました。
――現在の走行距離と所有年数はどれくらいですか?
5万2000kmの時点で一度メーターを交換しているので、トータルすると約70万km。所有年数は34年と7ヶ月です。
三菱ディーラーの工場長さんを追いかけメンテナンス
――日々のメンテナンスはどうされているのですか?
このGTOを手に入れて以来、ずっと三菱のディーラーにお世話になっています。私のGTOはディーラーの工場長さんにお願いしているのですが、配置転換で在籍する店舗が変わるたびに私も追い掛けています(笑)。この工場長さんがいなくなってしまったら大変というか、ものすごく困ります。
日々のメンテナンスですが、エンジンオイルの交換とタイヤローテーションを2500kmごとに行っています。それと、トランスミッションとトランスファー、デフのオイル交換を1万kmごとに行っていますね。現時点でエンジンが2基目、トランスミッションは3基目、そしてクラッチを4回交換しています。なんだかんだでこれまで1000万円以上はGTOに費やしていると思います。とはいえ、クルマを買い換えればそれだけで何百万円という出費が伴います。とはいえ、好きで乗っているクルマですし、壊れて動かなくなってしまったら困るんです。いわゆる「足車」がなく、このGTOだけですべてをまかなっていますから。
――GTOとのカーライフでいちばんの思い出をぜひ聞かせてください
いろいろあります(笑)が、特に思い出深いエピソードといえば、GTOを手に入れてから10年くらい経ったある日、遠方の友人のところに遊びに行ったときにGTOのコンピューターが燃えてしまったことですね。友人と食事に行こうとGTOのエンジンを掛けようとしたら、センターコンソールのあたりから煙が出てくるんです。GTOでは起こりうるトラブルだとは聞いていましたが、まさか自分のクルマが壊れるとは思わなかったですね。実は、友人宅に着く前にトイレ休憩した時点ですでに兆候が出ていて、直観的に「ここでエンジンを切ったら動かなくなる」気がしたんです。そうしたら案の定でした。不幸中の幸いだったのは、友人宅に着いてひと息ついて食事に行こうかというタイミングで故障したことですね。 クルマが動かなくなってしまったので、友人の地元の三菱ディーラーに積載車で運んだんです。たまたま車検のタイミングだったこともあり、地元のディーラーには事情を伝え、友人の地元のディーラーに1週間くらい預けて修理してもらいました。
日本国内で70万キロ走行したGTOはいないはず
――GTOとのカーライフで困ったこと、大変だったエピソードを教えてください
数年前の出来事ですが、ロングドライブ中に高速道路で異音がしたんですね。このときも、直感的に「このままだと自走できなくなりそうだ」と思ったので、近くのサービスエリアに停車してJAFを呼び、積載車に載せてディーラーまで運んでもらいました。長い付き合いだから、というのもあるかもしれませんが「ここで動かしたらまずい」とか「動かなくなる」って割と感じ取れる方だと思いますね。
――今後、愛車に対して手を加えてあげたいポイントを教えてください
ひとまずこのまま乗っていられるように予防整備を心掛けたいです。あと、フジツボ製のマフラーを装着しているんですが、ゆくゆくは同じものを新規で造ってもらい取り替えてあげたいですね。
――ご自身の愛車に関することで、自慢できるポイントをぜひ聞かせてください
ひとつは走行距離ですね。日本国内で70万km走ったGTOはいないんじゃないかと。もうひとつはヨーロッパ仕様の外観と、北米仕様の内装にモディファイしているところですね。
――GTOを維持するうえで気をつけていること、意識していることを聞かせてください
「ぶつけたり、ぶつけられたりしないようにすること」です。外装の部品も製造廃止ですから、何かあったときに修理するのが大変です。あとは、クルマに負荷を掛けすぎないようにするため、高速道路でもあまり飛ばさなくなりましたね。
――GTOの部品って手に入りますか?
純正部品はほぼありません。友人知人にも協力してもらい、国内はもちろん、海外で売られているものを入手することも増えました。代替品や純正相当品ですが、品番さえ分かれば何とかなることも多いんです。
これからも三菱GTOに乗り続ける
――失礼ながら、この先「このクルマだけは手に入れたい」というモデルはありますか?
GTOを手放してまで乗り換えたいクルマはありません。逆に言えば乗り換えたいと思ったことが一度もないんです。昔から乗ってみたいと憧れているのはジャガーXJ220ですね。雑誌で見たときにこれはかっこいいなと思い、ミニカーを買いました(笑)。
――安藤さんがGTOに「伝えたいメッセージ」をぜひ聞かせてください
「ありがとう。これからもよろしくね」。このひとことにつきますね。GTOがあるから楽しい人生を送れていますし。いまだに2速や3速で加速しているときは最高って思います。
――では最後に、安藤さんにとって「愛車」はどのような存在ですか?
「かっこいい相棒」です。私の中で、この30数年間、一度も気持ちが変わらないんです。飽きちゃったとか手放そうなんて思ったことはありません。65歳まで働くという選択肢もあったんですが「体が元気なうちに、思う存分、GTOに乗っておきたい」という自身の気持ちを優先させました。手放したり、乗り換えるつもりも、一切ありませんし、足車を買おうとも思いません。今までと変わらず、大切にGTOに乗り続けたいです。
■オーナープロフィール
・お名前:安藤 一弘さん
・年齢:61歳
・職業:無職
・愛車:三菱 GTO ツインターボ
・年式:1991年式
・トランスミッション:5速MT