Roundup:8 The Big Sleep
アメリカンカープラモ・クロニクルが日本語で連載を開始してまもなく3年が経とうとしている。アメリカンカープラモはここ日本市場において、流通関係者の弁を借りるなら「ふつうに売れるプラモデルになった」という。
【画像76枚】スリーピング、ま~だ~? スリーパーになるかもしれない、ならないかもしれないキットたちを見る
アメリカンカープラモが熱いのはこのSNSだ!
いわゆる模型雑誌による継続的な支援もないまま、状況は目に見えて変化している。昨日まで馴染みの模型店で牢名主を張っていた古いアメリカンカープラモがいつの間にか消えている。中古を扱う店の値付けがこのところアメリカンカープラモにだけ妙に強気になってきている。日々の雑感を気軽に投げられるSNSを見れば、アメリカンカープラモのハッシュタグは、ひとつも投稿のない日がむしろ稀になっている。
変化は底堅く、しかしうかつに「いま話題の〜」という枕で語ろうとすればどこかちぐはぐに感じられるほど静かなものだが、よく目を凝らせば、そこにはかなり熱心な愛好家が寄り集まって作品を公開し合い、語り合う固有の場が発生し、維持されていることがわかってくる。ポストX(旧Twitter)として注目されるSNS、Blueskyである。
Blueskyは中央集権的な強いアルゴリズムによる支配がきわめて薄く、分散的な設計がなされており、簡単にいってしまえば「システムのおすすめ」がないSNS(より正確を期すなら、おすすめはフィードといったかたちで自作するしかないSNS)である。
アテンションエコノミーの理屈に従わない仕組みであるため、刺激の強い順、たとえそれが炎上であっても注目度の高い順に半ば強制として望まない投稿を見せられる懸念がほとんどなく、逆にいえば自身の求めるトピックを能動的に探さなければとくに何も起こらないSNSであるといえる。これが日本のアメリカンカープラモ愛好者に結果として好まれ、その定着を促進している。
ひとつの投稿あたり300字を盛り込める、やや長文寄りの仕様はスピード感こそあまり感じられないが、逆によく練られた投稿へとユーザーを自然に導く効果があり、ユーザーとなったアメリカンカープラモ愛好者はゆっくりと自作品(ビルト)を語る言葉を「削る必要」に迫られることなく編むことになって、多くはそうした習慣に馴れつつある。
これが自然と語りの厚みを生み出し、バズの爆発力・瞬発力に影響されにくく依存もしないタイムラインが、能動的なフォロワーにだけその語りを時系列どおりに運んでいく。
その粛々と理にかなった静けさが、押される「いいね」を必然的に重くする——それは数ではなくひとつひとつの意味になり、そこに反射ではなく吟味(判断)がそなわる傾向があらわれる。Blueskyのアメリカンカープラモ・フィードをひとたび覗いてみれば、そのやりとりの「濃さ」、活発さは一目瞭然である。
このBlueskyに昨年初頭、グループビルドの呼びかけがあった。ドラッグマシン作りたいな、みんなでやらない? からはじまったこのグループビルドは2025年のクリスマスに、それまで各自秘匿していた作品の一斉公開――ショーダウンへとこぎつけ、この動きに注目するユーザーのタイムラインを大いに賑わせた。
集まった作品はいずれ劣らぬ個性的なものばかりで、クォーターマイルを本気で全力疾走する気でいるものから、ゴールまで少しでも長くこの場を走っていたいかのように見えるものまで、勝敗をはなから無効にする構えに満ちていた。作品としてホットドッグの屋台までがあらわれるに到って、グループビルドの場はまるで2025年そのものを1週間に見立てた「よく晴れた日曜日」のような和やかさに包まれて終幕した。
このショーダウンのさなか、来たる2026年のグループビルドについて、主催から新たなテーマが告知された。「みんなでスリーパーを作ろう」――
にわかに信じられないような、たいへんラディカルなテーマである。
スリーパーとは、事件である。
スリーパ――見た目は冴えない、地味な、べつにどうということのない普通の車だが、条件の揃うある瞬間において、その秘められた能力を発揮して、強力なマッスルカーを軽く抜き去ったり、どんなに振り切ろうとしてもぴたりと後ろに張りついて重圧をかけ続ける、そんな車のことである。
つまり、いつもは「眠っている」車、別な言葉で表現するなら、時代劇風に昼行灯(たとえば必殺仕事人・中村主水)といってもいいし拳銃を握って射撃をする瞬間までのび太はのび太、と言い換えてもいい。

スリーパーとは、周囲の眼が油断しているところに事件が割り込む構造である。シボレー・カマロがスリーパーとして不適当である最大の理由は、あまりにもその名が「読まれ過ぎている」ことによる。車にさほど詳しくなかろうが、カマロは「強そう」「走りそう」と最初から読まれてしまう。目覚ましく走るのはカマロにとって当然であり、裏切るべき視線がどこにもないのである。(作例制作:周東光広)
周囲の視線はとにかくその車を誤解し、なにも期待しないが、そこに視線を裏切る事件が起こる。周囲はあっと驚き、わが目を疑うが、その目覚ましい瞬間はいつのまにか元どおり、ぼんやりと風采のあがらない見た目へと回帰する。スリーパーとは事件であり、目覚ましいできごと、閃光……2026年のBlueskyグループビルドは、これをみんなで模型作品にしよう、というのである。
これは従来のショービルド――観客の拍手喝采をはっきりと目的にした見映えのする作品――への公然たる反抗といえる。
通常のプラモデル趣味とその経済は、ほぼ完全に「模型とは腕前の物語である」という前提に依存していて、この前提の下では、技巧が見せ場をただひたすらに積み上げることで作品をかたちづくる。成果物はアトラクティブな塊であり、かけた時間と手間が誰にでもわかりやすく見えるかたちで結実するため、観客は数取器を片手にこれを評価することができる。
こうした積み上げ式の作品を実現しうる技能者は、もはや自作品について何ひとつ語らずとも「すごいですね」「圧倒されました」といった讃辞をあっさり回収していく。この能力はスコアリング、加算方式なのだ。
スリーパービルドは、この理屈が通用しない。見た目はどうということのない、なにも期待されない姿をまとっているからこそスリーパーと呼ばれるわけだから、目を奪う見どころの盛り込みはただちに「スリーパーとして失敗」に位置付けられてしまう。
見た目をオンボロにしたらしたで、おそらく積み上げ式ビルドに慣れた者は、エンジンにできるだけ強力なものを積み込もうとするはずで、これはこれでスリーパービルドを不首尾にする。426ヘミのシックスパックなどは露骨な「説明」でしかなく、いくらエンジンフードという覆いがかぶせられたとしても、「見せたい」「説明したい」「わかってほしい」という欲望はそこにとぐろを巻いてしまう。

21世紀になってメビウスから当たり前のようにリリースされるようになった「低グレードの2ドアセダン」は、スリーパーの素材とするにはいささか難しいところがある。低グレード2ドアセダン+強力なエンジンの組み合わせは、すなわち自動車競技車両の黄金式そのものだからである。アニュアルキットの時代こそ「デトロイトの売りたい車ではない」からキット化されなかったが、時代とともにライセンスとのかかわり方が変わって出るようになったものだ。
真の実力を示す記号をわかりやすく腹に隠し持ちながら、わざとらしい失敗やボロボロの見た目でそれをとりあえず隠すものは、スリーパーよりむしろハスラー(ハスリング)やサンドバッグと呼ばれ、欺きの手管であると見做される。これは積み上げ型のビルドの変種でしかない――事件・できごとの説得を、用意した派手でばかでかいエンジンをただ見せることで肩代わりさせようとするものだからだ。
このグループビルドの難しさは、スリーパーが閃光を放つ瞬間のできごとをまず先に構想しなければならないという一点に尽きる。まず作ろうとする車が正真正銘のスリーパーであることを証するような事件・できごとを考え、次にそのできごとを成立させる仕様を考え、作品に組み込んでいく順をビルダーは強いられる。これがうまく構築されればされるほど、作品はみごとに地味になっていく。
見せ場を持たせたいという誘惑がつねにビルダーを襲い、それが最長で1年続くというおそろしいグループビルドである。
試されるのは、思考の強度である。
とはいえ、やはりこのスリーパービルドはグループビルドのテーマとして他では代え難い魅力を持っている。
「模型趣味とは、まず考えることだ」
このことを最初に言い切ってしまう営みはそうそう前例がない。
多くのグループビルド、コンテストは技巧の高さをつねに正当化する。よくそうした催しの主催となる模型雑誌は、「技術を磨け、研鑽しろ」「語るのはそれからだ」という構造・結論を抜きがたく堅持している。それを抜き去ってしまうと、「自分はまだ足りない」という感覚を読者に与えることができなくなり、その欠如を補うハウトゥーにせよ副資材(ツール・マテリアル)にせよ動画にせよ、あるいは作例ライターとしての契約にせよ、売ることができなくなる。
スリーパーのビルドは「先に語ることができるのは想像し、考える者である」という逆順を参加者に要請する。積み上げた見せ場のぶつけ合いをあえて斥け、作品がスリーパーとしてどう説得力を持つのか、その思考の強度を場に提示しろと迫るルールである。工作や塗装の手がどんなに拙くても、遅くても、道具や環境が貧しくても、思考の強度は誰にも奪うことができない。
僕はこう考えた、だからこのようにした――この強度を競い合うという宣言からグループビルド『The Big Sleep』ははじまっていて、これはきわめて稀なことである。

メビウスの行き届いたキット化によって、地味な低グレードセダンは「中身が凶暴」という読まれ方と固く結びついている。したがって、スリーパーの成立条件である「油断した視線」が発生しづらい。こうなるともはやマッスルカーと意味の飽和度は同じである。社会的に終わらせる(眠らせる)か、職務化するか、あるいは具体的事件の痕跡をどこかに刻みつけるか、である。「なぜ、どのように隠すのか」の非常にシビアな再設計——
『The Big Sleep』の呼びかけには、このような序文が掲げられた。
見せることで評価される世界への徹底した不服従――深く眠れ、目を閉じたまますべてをやり遂げろ。誰よりも速くあれ、たとえその場を動かぬときも。
みずから手足を縛り、唯一自由になる思考によって作品(事件)を計画し、そのとおり作ってみせろという非常に挑発的な宣言である。
同時にこのグループビルドは、そのテーマの難しさゆえに、おそらくはビルダーの不首尾にかつてないほど寛容であるだろう。ビルダーは事件・できごとをまず思い描くことで参加の入り口をこじ開け、場に飛び込むことになる。それは事件の目撃者として手を挙げるということであり、提出された作品はただちに証言となる。
事件の証言はときに不鮮明であり、曖昧で誤りがあることも多いが、確かに事件について語っているというその一点において、軽く扱うことができないのである。このような参加作品の取り扱いは、技量審査の場にはけっして望めないことだ。
連載アメリカンカープラモ・クロニクルは3年の節目を前に、こうした日本の愛好者たちによる果敢な挑戦を大いに祝福する。
本連載の筆者、そして編集者もまた、この挑戦の末席にいちビルダーとして加わる所存である。ふたりともうまくやるつもり満々だが、もちろん失敗するかもしれず、それすらも楽しみでならない。私たちもまた証言台に立ちたいのである。
【画像76枚】スリーピング、ま~だ~? スリーパーになるかもしれない、ならないかもしれないキットたちを見る