1月19日、「ランボルギーニ・ミウラ」の生みの親として知られるパオロ・スタンツァーニが亡くなった。享年81歳。
ミウラだけでなくカウンタックも指揮
パオロ・スタンツァーニはランボルギーニの歴史において大きな役割を果たした人物。1966年にはジャンポワロ・ダラーラ、マルチェロ・ガンディーニらとともにスーパーカー史に名を刻む伝説の名車「ミウラ」を世に送り出し、その後も数々の名車を手がけた。
スタンツァーニは1936年7月にイタリアのボローニャで生まれた。ボローニャ大学で機械工学を学び、 1963年にアウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニS.a.Sに入社。そして3年後となる1966年、エンジニアのジャンポオロ・ ダラーラやデザイナーのマルチェロ・ガンディーニらとともに「ミウラ」の開発に携わっている。
1967年にはジャンポオロ・ ダラーラの後を継いで同社のゼネラルマネージャーおよびテクニカルディレクターとなり、「カウンタック」の開発も行った。当時のランボルギーニのクルマ作りに、その先見性と創造性、そしてプロジェクトへの革新的なアプローチによって多大な貢献をしたことは想像に難くないが、それは現在でもランボルギーニの車作りにおけるインスピレーションの原動力となっているという。
世界の自動車史において「ミウラ」と「カウンタック」という革新的なモデルを生み出したスタンツァーニ。なお氏がジェネラルマネージャーとテクニカルディレクターに在った時代には「エスパーダ」「ハラマ」「ミウラS」「ミウラSV」「ウラッコ」などの名車が誕生している。