巨大なダム湖の湖底に封印された銀山の栄華と伝説
「このあたりの人は、自分たちのことを尾瀬三郎の子孫だと自慢してますけど、まったく当てにはならんでしょうな。鉱山には日本中から荒くれ男が集まっていたわけだし、古文書によると、一時期、銀山平は謎の山賊集団に支配されたこともあるんですよ」
こんな話を聞かせてくれたのは、貴族の末裔というよりは、山賊の残党といった(失礼!)精悍な風貌をしている駒ノ湯山荘のご主人である。
彼のいう尾瀬三郎とは、藤原一門の貴公子で、平清盛の恋敵でもあった人物。大納言の地位にあったが、清盛が権力を握ると都を追われ、逃れ逃れて銀山平まで落ちのびてきたのだ。その一族はさらに山を越えて逃れてゆき、そのため尾瀬という地名も生まれたと言われる。ちなみに、尾瀬の北隣にある檜枝岐村には、平家の落人伝説が残されている。一世を風靡した恋敵の末裔同士が、こんな山奥で鉢合わするのだから運命の巡り合わせは面白い。
江戸末期になり、質のいい鉱脈を掘り尽くした銀山平は、ついに只見川の河床まで掘り抜いて水没し、銀山としての歴史を閉じることになる。そして1962年、奥只見ダムが完成すると、銀山の痕跡はわずかに残った集落とともに湖底へと沈んでいったのだ。
いまの銀山平には当時の栄華を伝えるものはほとんど残されていない。
谷筋に万年雪を残す深い山々、人造湖とは思えないほど美しい奥只見湖、そして、沢水がじゃばじゃばと道路を横切っていく険しい山道……。枝折峠を越えて檜枝岐へいたる現在の銀山街道(国道352号)には、落人たちが逃げ込んだ秘境感だけがたっぷりと残されている。