GALLERIA AUTO MOBILIA

“ミスター・フェラーリ” レオナルド・フィオラヴァンティの場合……【GALLERIA AUTO MOBILIA】#005

イタリアのカロッツェリアはスーパーカーたちにふさわしいスタイルを提供した

第2次世界大戦は、ヨーロッパにおいても、それまでの経済や文化を断絶させるほどの大きな変動であり、自動車産業も、より多くの人々のための交通手段というクルマ本来の姿で再出発をする。それゆえに、富豪のための特別なクルマを製作してきたボディ専門工房は存在意義を見失って滅亡の道へ向かった。しかし、不思議なことにイタリアでは、息絶えることなくカロッツェリアは存在したのだった。戦後もフィアットの1100や600にすら、イタリア中にたくさん存在した(やはりトリノに集中していたが)カロッツェリアが、それぞれが独自のデザインを施した。そういう需要があったのだろう。そのあたりのイタリア人たちのクルマに対するセンス・感性に、他国とは違うものがあるようで興味深い。そして、アルファロメオもランチアもカロッツェリアを厚遇してきたし、また、フェラーリやマセラティにとっては、カロッツェリアは共存関係にあったと断言してもいいほどで、カロッツェリアなくしてイタリアの荘厳なスーパーカーたちはあり得なかった。後続したランボルギーニ、イソ、デ・トマソも、カロッツェリアという蠱惑的な存在がなければ、あり得なかった。イタリアのカロッツェリアはスーパーカーたちにふさわしいスタイルを提供したのだ。
もともとが職人の手仕事を基にした町工場的だったカロッツェリアは、イタリアでは企業化していき、大手の量産車の下請けボディ工場にもなった。さらには先進的なデザイン事務所として、イタリアばかりか世界中の大手メーカーの大量生産車のデザインにも携わった。1960年代から1970年代にかけてが、世界の自動車デザインをリードするカロッツェリア・イタリアーナの絶頂期だっただろう。
日本は東アジアの一郭では自動車レースの古くからの歴史があり、愛好家も多いが、モータリゼーションが起こったのは1960年代からだ。その頃から海外の自動車情報も大衆の目や耳に届くものとなり、雑誌などで見かけるイタリアのカロッツェリアがデザインするクルマたちへの憧れが日本でも昂まっていった。
ちょうどその頃からなのだ。レオナルド・フィオラヴァンティが、ピニンファリーナのデザイナーとして活躍し始めたのは。ピニンファリーナにとっても、自社のデザインの伝統を継承し発展させるのにうってつけの人材で、自動車のデザインの根底にあるものが機能であり、人が中心に座るものであることがわかっているデザイナーであった。彼が最初にデザインを纏め上げたのは250GT LMのロードバージョンで、ディーノにも携わったが、何と言ってもデイトナ、365GT4BB、308gt、328gtb、F40のデザイナーだったから、ちょうど日本人が最初にフェラーリの魅惑に取り憑かれるようになった時代である。
そのためだろうか、諸外国よりも日本でのフィオラヴァンティの人気が高いように思われる。とはいえ、私は正直なところ、フィオラヴァンティがここまで日本人から憧れを抱かれている存在とは思っていなかった。私が企画に携わっているAutoGalleria LUCEでフィオラヴァンティ展を催すことになり、それに合わせて、フィオラヴァンティを招聘することになり、それならフィオラヴァンティ由縁のクルマたちを集めて、コンコルソ・デレガンツァを催そうということに計画は発展していった。そしてエントリーを募ったところ、彼のデザインを信奉するエンスージャストの参加者たちばかりが多く結集したのである。
コンコルソ・デレガンツァでは、レオナルド・フィオラヴァンティが参加車両をジャッジするのに随行して廻ったが、フィオラヴァンティはディティールの隅々まで、時には指先で触れたりしながら確認し、またクルマから遠く離れた位置に立って全体型を様々な角度から眺めるのだった。とても厳しい審査だったが、そこには愛情も溢れていた。また、いろいろと彼のデザイン哲学を聞く機会にも恵まれたが、フィオラヴァンティのデザインは、まず第1に自動車の中心に人間がいて、次にその基本のメカニズムと調和するデザインであることが、そもそも自明なことであることがよく理解された。
奇遇なことにレオナルド・フィオラヴァンティも、ジョルジョット・ジウジアーロも、マルチェロ・ガンディーニも同じ1938年生まれである。彼ら3人とも、自動車史上に重要なデザイナーとなり、それぞれ世界中に影響をおよぼすほどの新しい美を創造したが、その根底にはやはりルネサンス的な人間の身体との調和が基本にあった。それがカロッツェリア・イタリアーノの真髄というものなのだろう。

Text:岡田邦雄/Photo:青柳 明/カーマガジン457号(2016年7月号)より転載

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