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豪放なアメリカン・ビッグV8オーラを輝かせて伝説的な存在となったコブラのルーツはレーシングカーだった【GALLERIA AUTO MOBILIA】#010

シェルビーにとってもACとの結びつきは幸運だった

ACは戦後のモデルの開発を迫られており、トジェイロのシャシーを持ったクリフや、ヴィンセントのバルケッタに興味を持ち、トジェイロにコンタクトをとる。お互いの思惑が一致して契約に至り、その年の秋にアールズコートで開かれたロンドン・モーターショーに新しいACであるエース(ACE)がベアシャシーとともに展示された。エースは洗練されて、もはやトゥーリングの影響を感じさせないスタイルに進化していた。ベアシャシーはトジェイロの設計そのままだったが、そのシンプルで軽量なれど強靭なフレームと、全輪独立懸架の足まわりは、その時点の英国車で最も進歩的だった。ただしエンジンは戦前の1927年に開発されたものだったが。
1953年のロンドン・モーターショーはジャガーXK120を始め、多くの新型スポーツカーが発表されてセンセーションを巻き起こした年だ。そのなかにあっても、ACエースの人気は高かく、翌年にはクーペのアシーカ(ACECA)も加わる。モンテカルロラリーにもエントリーしたが、1956年からより強力なブリストル・エンジンにチェンジされるとル・マン24時間にもチャレンジして、大いなるポテンシャルを発揮した。しかしブリストル・エンジンも1961年には生産を終了する。ACの経営陣はACエースにふさわしいエンジンを探していたが、とりあえずは残ったブリストル・エンジン搭載車を作りながら、英国フォードのゾディアック用のエンジンを搭載したモデルも何台か生産している。このままではACの魅力も相対的に薄れていき、先細りだったかもしれない。だから、キャロル・シェルビーがACを発見したことは、むしろACにとっては渡りに船だったにちがいない。

アメリカ仕様のシェルビーACコブラのカタログ。限定生産のスポーツカーだが、全国のフォード・ディーラーで整備を受けられることが明記されている。モアパワーとなり足まわりが強化されたコブラ427になるとシェルビーの独占となりACからの購入はできなかったようだ。

また、キャロル・シェルビーにとってもACとの結びつきは幸運だった。他にはコブラと呼ばれることになるアングロ・アメリカン・スポーツカーにふさわしい素材はない。1964年にはコブラ289エンジンをデチューンして搭載したサンビーム・タイガーの生産が始まり、TVRにフォード289を搭載したTVRグリフィスも作られたが、もとよりシェルビーACコブラに匹敵する存在ではなかった。またフォードはマスタングにシェルビー仕様の350GTやGT500を設定したが、それもまた別のジャンルだ。もともと、アングロ・アメリカン・スポーツカーにはアラードのような先駆け車があったし、ヒーリー・シルヴァーストンにはキャディ・エンジン搭載車もあった。同時代にもゴードン・キーブル、ジェンセンFF、BMW設計のエンジンからクライスラーへスイッチしたブリストルなどがあった。
しかし、シェルビーACコブラほど豪放なアメリカン・ビッグV8エンジンのオーラを輝かせて、伝説的な存在となった例は他にない。それはエンジンに加えて、基礎となったトジェイロの設計が優れていたことと、ルーツはトゥーリングにあるとはいえ独自のスタイルに発展したボディの魅力の三位一体によるものだろう。

Text:岡田邦雄/Photo:横澤靖宏/カーマガジン462号(2016年12月号)より転載

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