Così così(コジコジ)とはイタリア語で「まあまあ」のこと。この国の人々がよく口にする表現である。毎日のなかで出会ったもの・シアワセに感じたもの・マジメに考えたことを、在住23年の筆者の視点で綴ってゆく。
新しい上司はイタリア人
2020年7月1日、ルノーの新しい最高経営責任者(CEO)としてルカ・デメオが就任する。
デメオは就任前の6月19日、新型コロナウイルス感染症対策としてライブ映像方式で開催されたルノーの2020年年次株主総会に出席。
現在の状況を「逆風にあることはわかっている。謙虚に、粛々と新しいポストに就きたい」としたうえで、「良い仕事をし、正確に作り込んでゆけば確実に好転する。チームが最高にできる場をつくりたい」と抱負を述べた。
今回は、このデメオという人物と、ルノーにおける可能性について考えたい。
ルカ・デメオは1967年ミラノ生まれ・今年53歳のイタリア人である。
ミラノ・ボッコーニ大学経済学部を1992年に卒業。ルノーのプロダクト・マーケティング部門において自動車マンとしての第一歩を踏み出した。
続いてトヨタ・ヨーロッパに5年間勤務ののち、2002年にフィアット・グループ(当時)に入社。ランチア・ブランドのCEOを任される。そして僅か2年後、37歳にしてフィアット・ブランドのCEOに抜擢された。
その後アバルト・ブランドの復興を手掛けアルファ・ロメオのCEOも務めるが、2009年フォルクスワーゲン(VW)グループへ電撃移籍。業界を驚かせた。
VWグループではVWブランドのマーケティング責任者、アウディ副社長を経て、2015年にはグループのスペイン法人であるセアトのCEOに就任した。
ルノーからデメオがCEOに指名されたのは2020年1月28日のことだった。カルロス・ゴーン時代を清算すべく解任されたティエリー・ボロレのあとで暫定CEOを務めていたクロチルド・デルボスの後継となる。ルノー史上初の外国人CEOである。
上昇気流に乗れた男
その後、世界の自動車業界の状況は、新型コロナウイルス感染拡大によって劇的に変化した。その損失は世界金融危機に匹敵する規模になるのではないかとも予想されている。デメオ自身も、ここまで急激な変化を予想していなかったに違いない。
フランスのルメール経済大臣は5月、雑誌「フィガロ」誌のインタビューに「ルノーは消滅する場合もある」と発言し、大きな物議を醸した。
実際に6月、ルノーはフランスで4600人、全世界で15,000人の人員削減計画を発表した。3年間で21.5億ユーロのコスト削減計画も明らかにした。
冒頭の株主総会資料によれば、今回の新型コロナ禍以前である2019年の純利益も34億3200万ユーロ(約4100億円)のマイナスを記録している。
まさにデメオ本人が言うとおり逆風、いや大逆風の船出である。
株主総会でルノーのドミニク・スナール会長は、デメオを「約30年前にルノーでキャリアの第一歩を踏み出した。彼はカーマニアであり、ビジョンを抱いている。その才能をもってルノーに戻ってきてくれた」と紹介。
スピーチに立ったデメオは「新卒で入ったのはルノーであり。自動車業界を働くという、子ども時代からの夢を実現してくれたのはルノーだった」と述懐した。
さらに「私は、これまで責任あるキャリアを歴任してきた。何かチャレンジしなければならないところに行くのが大好きだった。そしてブランドの再構築、財務体質の改善をしてきた」と他社における過去の業績を語った。
さらに、先日までルノー社内の各部署を視察した結果として、「プロフェッショナル意識の高いチームであることがわかった。力量がある人々である」と評価。そして「自動車大好き人間である自分にとって、挑戦できることは嬉しいことだ」と語った。
就任前のスピーチとはいえ筆者からすると、危機に対してビジョンが充分に未提示の印象が拭えない。昨今の日本風にいえばかなり“ポエムな表現”であった。
再び、デメオの歩みを振り返ってみる。
彼はマーケティングおよび商品企画において、欧州自動車業界で類稀なる秀逸な能力の持ち主であった。
現行フィアット500の商品化および市場投入計画は、彼の功績であるといえる。2007年7月にトリノのポー川で、全国テレビの生中継まで動員して開催した大発表会は、大きな話題を呼んだ。
それをはじめ彼のマーケティング能力がなければ、500は今日まで13年にわたるロングセラーにはなり得なかっただろう。2000年代初頭の経営危機で凋落したフィアットの奇跡的ブランドイメージ回復も、デメオによる数々の仕掛けによるものだ。
VWグループ時代は、従来VWの若者向け格安ブランドに過ぎなかったセアトを、アルファ・ロメオに近いキャラクターにまで引き上げることに成功。2019年は創業以来過去最高の販売台数を達成した。
いっぽうで彼の能力とともに、移籍する先々で良い商品に恵まれていたのもの事実である。
たとえば、1997-2002年のトヨタ・ヨーロッパ在任中には、初代ヤリス(1999年)があった。
2002年にフィアットに移籍して初の仕事であるランチアではイプシロン(2003年)が完成していた。フィアット500に関しても、2004年にブランドのCEOになったとき−ー製品化まで紆余曲折はあったもののー−前身であるコンセプトカー「トレピューノ」ができていた。
フォルクスワーゲン/アウディ在籍時代も、ディーゼル問題以前の拡大路線のなか、ラインナップ拡充が可能だった。
つまり、これまでデメオは上昇気流に乗ることができたのである。
「あの過去」が繰り返されるかもしれない
デメオがイタリア人であるということは、ルノーを舵取りするうえでまったく問題にならないと筆者は考える。グループ・ルノー経営会議のメンバー18名の国籍は、すでにドイツ、日本など5カ国に及ぶ国際エリート集団だからだ。
直接関係は無いが、歴史的には1959年から64年にかけて、ルノー車がアルファ・ロメオによってイタリアで生産された過去もある。
問題はフランスの従業員、労働組合などは、一筋縄に行かないということである。
前述のルノーの人員削減計画発表に前後し、すでに6月からフラン、モブージュ、ショワジー=ル=ロワのルノー工場ではストライキが発生している。その高まりは、フランスのニュースがトップ扱いする勢いだ。
筆者が観察するに、フランスの労働争議は、概して隣国のイタリアよりも過激である。
1984年、BNP銀行からPSAプジョー・シトロエンの社長に就任したジャック・カルベの人員削減計画に対して、パリ西郊ポワシーの工場従業員の一部が会社内に立てこもって抵抗。生産を再開させようとする穏健派との間で、怪我人が多数出る騒ぎとなった。
1986年11月には、ルノー公団(当時)で人員整理を進めていたジョルジュ・ベス総裁が極左組織「アクシォン・ディレクト」に暗殺されている。
2011年から2012年に同じくPSAが経営危機に陥ったときも、暴徒化した従業員の一部がパソコンを含む事務機器を破壊した。
近年では2015年10月、航空会社KLM-エールフランスの従業員が人事部長を取り囲み、ワイシャツを引きちぎる事件が発生。裸にされた人事部長はフェンスをよじ登って避難した。
CEOとしてのデメオも、こうした事態に直面しないとは限らない。
加えて、ブランドを創設するのが得意なデメオが、逆にブランドを廃止した経験がないのも心配すべきである。
フィアット時代は半ば放棄されていたアバルトを再興させ、セアトのCEOの末期には新プレミアム・ブランド「クプラ」をスタートさせた。
いっぽうで幸運にも、彼の経歴のなかで不振ブランドをスクラップする機会がなかったのである。
そもそも、アバルトにしても、クプラにしても、ブランドが育つ前に彼は去っている。
これらの指摘がデメオ本人の門出に相応しくないのは百も承知である。だが僅か1歳違いの同世代で、偶然にもフィアット入社直後の若手時代に知り合い、セアトCEOに上り詰めるまでたびたび本人と会って話を聞いてきた筆者としては憂慮せざるを得ない。
デメオ氏に対する3つの期待
ただしデメオ新CEOには、強みや期待できることもある。以下の3点だ。
第1は彼が副社長を務めたアウディやCEOだったセアトと違い、ルノーが総合自動車ブランドであるということだ。乗用車部門の再構築を模索している間に、新型コロナ下でも一定の需要がある小型商用車が下支えをしてくれる可能性がある。
第2は、ルノー・日産・三菱アライアンスへの期待だ。
今回の株主総会でデメオは、「日産・三菱というパートナーも、我々の切り札として共にある。新規プロジェクトなどを貪欲に追求してゆく」と語った。
彼はトヨタにも在籍経験がある。また筆者が知るデメオは、自動車ビジネスのトップ・エグゼクティヴとは一線を画したフレンドリーな性格である。
当然のことながら、それ自体ですべてを解決できるとは言わない。だが従来とは違ったアプローチで、日産や三菱に接し、何らかの成果を挙げることは期待できる。
第3は、デメオの得意分野である商品開発やマーケティングへの期待である。
スピーチのなかで彼は「ルノーは国際企業だが、フランスの企業である。ルノー(ブランド)やZ.O.E.、そしてアルピーヌを購入する人は、『フランス車を買いたい』と思っている。フランスの自動車文化は強みだ。それをうまく使ってゆきたい」と言及している。
現在ヨーロッパでルノーはオペル、フォードなどと同列のポピュラー・ブランドである。デメオの言うフランス性を求める人は極めて少ない。だが、フィアット500にイタリアらしさを強調して成功した彼のことだ。何らかのレシピがすでに頭の中にあることも考えられる。
デメオは「私は楽観主義者であり、自信がある。皆様の投資ポートフォリオの中で業績好転の一番のサプライズにしてみせる。そのために時間を欲しい」とも語っている。
“ポエム”にとどまるか、コロナ後初の自動車界における奇跡を起こすか、新たなデメオ劇場はまもなく上演開始のベルが鳴る。
文 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
写真 Akio Lorenzo OYA、Renault/Reuters、SEAT
この記事を書いた人
イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを学び、大学院で芸術学を修める。1996年からシエナ在住。語学テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK「ラジオ深夜便」の現地リポーターも今日まで21年にわたり務めている。著書・訳書多数。近著は『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)。