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希少なモデルがあちらこちらに!「オートモービルカウンシル」リポート【後編】

2020年7月31日(土)~8月2日(日)の3日間幕張メッセで開催されたAUTOMOBILE COUNCIL 2020の中から特に気になったクルマや展示をご紹介いたします。昔を知る人や事情通と話したりブースで立ち話をしたりしていて仕入れた“オオタナカの知らない世界”やノスタルジーの世界からいくつかピックアップしました。

1952年式フォワーゲン タイプI日本輸入一号車を細かく見ると……

ヤナセが1953年にフォルクスワーゲンの日本市場での販売権を取得し、翌1954年からはインポーター・ディストリビューター・ディーラーとなるきっかけとなった日本輸入一号車。1952年10月に極東地域の開拓プロモーションのために来日したフォルクスワーゲンの最高責任者、ノルトホフ博士一行はビートルスタンダード、ビートルデラックス、マイクロバス、コンビの4台を持ち込みました。
1953年1月にはヤナセが東京日本橋で展示会を開催し380台の受注があったとの記録が残っているそうです。この個体は約40年前にフルレストア、2015年にはヤナセ100周年記念式典の展示車両としてボディがオールペイントされました。
さてこの一号車ですが、日本の法規適合のために改造されたり新たに日本で追加されたりした装備があります。ヘッドライトは左側通行対応のために東芝製に換装。ライトカバーがヘラーなのでオリジナルは恐らくヘラーだったと思うものの確証はないとのこと。

当時ドイツ本国ではサイドミラーは運転席側だけで良かったため、助手席側のミラーはドイツで工場装着されているタイプに似せたものを日本で製作し装着しています。微妙にムードが違うそう。テールライトが左右で形が違う。右側はどうも公道試験中にぶつけて壊れたためにヤナセで作り直したものだそうです。右の方がふっくら目ですね。ホワイトリボンタイヤもデラックスのみの装備。テールパイプも何らかの理由でこのタイプに変えられているとのこと。

「社内資料などでできるだけオリジナルに近づけようとしているとしているものの、現車を見たマニアからこれやあれはオリジナルではないとの指摘も受けるそうですが、その人が知っていることが本当の事実かどうかを確かめる術がもはやないので限界がありますね」
とはヤナセに長く在籍し、今はクラシックカーセンターのシニアマネージャーを務められている神埜さんの弁。歴史研究のような楽しさがありそうです。

フォルクスワーゲン ゴルフあれこれ

VWゴルフも世代によって色々あるようです。ゴルフIのヘッドライトは実はビートル1200などと同じもの。

ゴルフIの三角窓はよく落ちた。ヒンジ部分の接着剤が日本の温度湿度環境に合わなかったことが原因のようで、後にビスのようなものに変えて落ちないような対策が施されたとのことです。

ゴルフII前期型のVWマークの謎。微妙にセンターがずれている?ゆがんでいる?のだけど、最初から最後までずっとこうだったそうです。その理由は誰も知らないとのこと。

ゴルフIIは前期型と後期型ではワイパーの向き、はめ殺し三角窓の有無、上級グレードのバンパーの形、グリルのスリットなど外観の差異点が多く簡単に識別できますが、後期型はこの部分が分割になっているという違いもあるそうです。細かい!
後期型ではリアのVWマークも大型化されて中央に移設されましたが、これはロゴを大きくしてという日本市場の要望を受けたものだそうです。

当時はヤナセとVW本社の交流も盛んで、夏の日本でのテストもかなり行っていたそうです。ひとたびクレームやリコールになると多大なコストがかかるの、それならば事前にできる対策はすべてしておこうということ。今では当たり前のように行われていますがゴルフが最初らしいです。その成果の一つとして、日本仕様のエアコンは足下モードでもフロントウインドウ側に少し風が出るようにしたこともあるとか。

スペアカーを持っている人もけっこういた時代

このゴルフカブリオは1993年式のほぼ最終型ですが、初年度登録はなんと平成15年(2003年)だそうです。走行距離も1万3000キロ。あるんですねこんな個体が。どうも同じクルマを2台持っていて、何らかの理由でスペアカーをこのタイミングで登録したようなのです。これは珍しいことではなかったそうです。またこれはフォルクスワーゲンアウディ日本に輸入権が移ったあとの個体でこれまた珍しい。

バブルの象徴だったクルマたち

ヤナセクラシックカーセンターでは、ある程度のレストアを施して販売するレストアベース車を展示していました。“乗って楽しむクラシックカー”を“このくらいレストアしてこのポッキリ価格で“と。決まれば工場に出向いてリフトアップして下回りを見るなど子細に確認して契約、作業開始になるそうです。
今回のラインナップはとても良かった。W126型Sクラス、R129型SL、R107型SL、W124型ミディアムクラス(末期はEクラスと呼称変更)という日本のバブル絶頂期に売れに売れたモデルたちです。
Sクラスの最高峰である560SEL、500SL(R129型)、560SL(R107型)、300Eなど売れに売れて、SLは3年待ちとも7年待ちとも言われていたため、一刻も早く欲しい人たちはこぞって並行輸入屋に走りました。アメリから輸入された300SLも多く見かけました。トランクにブーメラン型のアンテナを付けるのも流行ったし、ストレッチリムジンの1000SELなんてゴールドエンブレムを装着したSクラスに乗っていたバブル紳士が夜の街を闊歩していた時代。
あの紳士たちもクルマもどこ行っちゃったんでしょうか? ほとんどが海外流出です。日本の中古車は程度がいいことで有名で高値で取引されています。ジャパン中古という隠れたブランドにもなっています。AMGの一部には日本にしかなかったモデルもあったので、そういうのになるとことさら人気が高い。

ベンツと言えばヘッドライトワイパー。W114/W115型コンパクトクラス(今のEクラス)いわゆるタテ目のベンツからオプションやグレードによっては標準で装備されていたこれは今は高圧ジェット噴射ヘッドライトクリーナーに取って代わられてしまったのでもう見ることはできません。W126、W124、W201、R129まではヘッドライトワイパーがついているクルマがあります。
オーナーは動いているところをみることはできませんがこの小さいワイパーが好きで(私は元々ワイパー好き)、これがついたベンツがずっと欲しかった。

吉田茂元首相が乗っていたこの300SEL(300SE Long)に関しては、やり過ぎると歴史が消し飛んでしまうのでどの程度やるかということで悩んでいるとのこと。

もう一つのブランド、YANASEの黄色いステッカーには暗号が刻まれている

自動車メーカーのブランドと並ぶブランドとして扱われていた、リアウインドウに貼られた黄色いYANASEステッカー。
輸入権がメルセデス・ベンツ日本に移って以降はシュテルン系と呼ばれる直営ディーラーでもベンツを売るようになりましたが、YANASEの黄色いステッカーなのかシュテルンの青いステッカーなのかで下取り価格にも大きな差がありました。
ヤナセで買う人とシュテルンで買う人はオーナーのキャラクターも扱い方も違う、メンテナンスの頻度が違う、メンテナンスのウデが違う、新車値引きが違うなど理由はいろいろありました。
当時はいろんな比較のために両方のディーラーによく行きましたが、明らかに違いました。伝統で品のいい顧客を抱えるヤナセと、昨日まで並行輸入屋だったディーラーが同じなわけはありません。
ずっとヤナセでベンツを買っている人がたまたまシュテルンに行くとたいていは二度と行かないというし、逆の場合もこれは俺が来るところじゃないなと思うと聞いたこともあります。価格面でも、Eクラスのイヤーモデルが切り替わるときに前年型はヤナセではがんばっても80万円引きなのにシュテルンでは一声120万円引きと大きな開きがあるにも関わらずヤナセで買う人が多かった。
メーカーブランドと同列にヤナセブランドがあり、また同列に“ヤナセ顧客である”自分ブランドがあるということですね。このあたりの事情を知らないドイツ本国からの駐在員たちは、数々のシュテルン系への優遇、ヤナセへの嫌がらせにもかかわらずいつまでたっても販売台数が逆転しないことにイライラし、業を煮やし“ブランドイメージの統一CI導入”を旗印に、ヤナセのディーラーから黄色いYANASEロゴの排除に動いたというまことしやかに流れる噂を耳にしたこともあります。
YANASEステッカーを入手するためにヤナセでゴネたとか、リアウインドウごと廃車から付け替えたとかいろんな話を聞いたこともあります。
そんなYANASEロゴですが、私の知る限りこれまで、YANASEロゴだけのもの、番号が印刷されているもの、番号が刻印されているものと3種類ありました。そしてこの刻印ですが、ヤナセで買ったクルマではない場合でも、長くヤナセでメンテナンスするなどの条件が合えば貼ってくれます。ただし、新車でヤナセが納入したものとは記号のある部分を変えて識別できるようにしてあるそうです。

若者がクルマに乗りたくて買いたかった時代

この赤いファミリアが現役の1980年代はみんなクルマに乗りたがりました。
16歳になれば“3ナイ(免許取らない、乗らない、買わない)”に隠れて原付免許を取りホンダ・タクトやヤマハ・ジョグなどの原付に乗り、ほどなく中型免許を取りCBR、RGΓ(ガンマ)、GSX-R、TZRなどのバイクに乗り、限定解除のため運転免許試験場で試験を受けるものの何度も落とされ挫折し(当時は教習所では取れなかった)、そうこうするうち18歳になったので誕生日には免許証を入手するためそれ以前から教習所に通う……というのがほとんどの若者が通る道であったと思います。
コンパクトハッチバックならこのファミリア以外にもかっとびスターレット、カローラFX、シビック、走りが好きならレビン/トレノやMR2、裕福な私大生ならプレリュードやシルビアを入学祝いに買ってもらうなどそれぞれの好みと経済事情に合わせてクルマを欲しがったものです。高校卒業してベンツSクラスやジャガーで母校に遊びにくるなんて格が違う先輩たちもたくさんいました。

クルマを持っているということの次に重要なのがグレードです。このファミリアならXGかそれ以外か、プレリュードならSiかXXか、シルビアならK’sかQ’s、ハイソカー三兄弟(マークII、チェイサー、クレスタ)ならグランデ、アバンテ、スーパールーセントか、クラウンならロイヤルサルーンかなどなど、要するにトップグレードか低グレードなのかにも大きな意味がありました。トップ2以下のグレードのクルマを見ると、ああこれなの~という感じでした。

その次は車内装備です。いかにカッコよく飾るか、きれいに見せるかに気を遣いました。使いすぎて“土禁(スリッパに履き替えるなどいわゆる土足厳禁)”にするクルマや、これはおじさんに多かったですが、保護のビニールを剥がさずに乗る、フロアマットを裏返しにする人いました。シートのビニールはそのままにしてその上からシートカバーをかぶせてなにやらぬるぬるするなという状態で乗っている人もいましたね。
写真のようなスピーカーもかなり重要なアイテムでした。これはまだ控え目ですが、後から見えるように大きな箱型のタイプをリアトレイにどんと乗せることが好まれました。それに対応し、メーカーもいろいろとやりました。ロゴをプリントするのは当たり前で、“CAROZZERIA”といったロゴが常時グリーンに点灯していてブレーキを踏んだら赤く光るなんていうモデルもありみんな欲しがったものです。

かなり難儀な復刻部品製作

クルマを一途に愛するオーナーのためにと発表されたトヨタの復刻部品は、走るために必要な機能部品を中心にスープラから始まり、先日2000GTも追加されました。
スープラ用のヘッドランプがあったことが不思議に思えたのでなぜかを訊いてみたのですが実に簡単な話でした。「金型がメーカーに残っていたから」。ヘッドランプはクルマの重要な顔の一部ですが、樹脂製は劣化して見苦しい状態になるのでこれは嬉しいでしょう。クリアに戻すケミカル類もありますがどれも一時しのぎでしかなくすぐ元に戻ってしまいますから。
ギヤなどの部品は図面があれば手作りでも加工できるのでさほど難しくないのでは?とは思いますがそれも簡単ではないとのこと。
仮に図面がありその通りに作ったとしても合うとは限らない。なんでか? 作られた現物が、管理されている図面と同じとは限らないこと、同じであったとしても現場の職長や職人が現物合わせで修正してから組み付けていたというケースもあるためです。工場を知る人ならおわかりいただけるでしょう。図面と現物が違うということは現代でもまだあることですし。
そもそも図面がなくなってしまっている部品も多いので、そうなると現物合わせになります。

しかし、元になる部品が摩耗してしまっているのでオリジナルの形がわからない。仮に新品があったとしてそれをコピーしようとしてもその部品の製作精度がわからない。公差というものが必ずありますが、その現物がマイナス公差なのかプラス公差なのかが誰にもわからない。

素材の組成が同一でない、表面処理の材料も同じものがないなどパラメーターは無限大。
これが復刻部品がそうかんたんではない理由です。大変だと思います。今後も要望が多い車種の部品から徐々に増やしていきたいそうですが、他人事ながら気が遠くなります。でもきっと楽しいと思います。若手への技術や志の伝授にもなりますし。

ただ、そんな困難も過去の話になる時代がくるかもしれません。高精度スキャナーによるリバースエンジニアリング技術と3Dプリンターの進歩です。これはヤナセクラシックカーセンターの展示ですが、すぐそこにきている感じがします。

意外に? 評判がいいプルタミナのオイル

デビューした昨年のここでインタビューしたこともあり、その後のことを聞きに行きました。なかなか評判が良く、テストした上で別のメーカーから乗り換えるレーシングチームもあるくらいだそうです。
LE GARAGEのお店にも置いてあったので聞いてみたところやはり評判がいいらしい。名前を聞いた時には何それ? と言われるけれどテストしてみると高評価を得られるのだそうです。確かにレースの世界で見る新興国ブランドだとマレーシアのペトロナス、ブラジルのペトロブラスは目にしますがプルタミナは見ませんから。
仕入れた原油ではなく、自社の油田から採れる良質の原油からの一貫生産であること、日系OEMやランボルギーニ・スーパートロフェオで磨かれた技術力が強みだとのこと。それと、鉱物オイルのラインナップもいいと。インドネシア派としては嬉しい限り。これからもどんどん売れて欲しいと思います。ジャカルタにあるクルマでしか使ったことがないので日本でも使ってみようと思います。

以上のような調子であちこちで話しているとなかなか歩が進まないので3日間フルにいたくなります。ブースではみなさんもぜひ話しかけてみてください。カウンシルはゆったりしているので舌も滑らかになり思わぬこぼれ話に出会うかもしれません。

(取材・文:大田中秀一、写真:大田中秀一/相澤隆之)

大田中 秀一

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