誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知られていないクルマを紹介する連載【知られざるクルマ】。これまでの2回は、海外で活躍した(する)軽自動車シリーズとして、【スズキの商用車編】【ダイハツの商用車編】をそれぞれご紹介した。
スズキ編
https://carsmeet.jp/2021/05/21/150868-8/
ダイハツ編
https://carsmeet.jp/2021/06/22/150868-9/
これに続き今回は、【三菱の商用車編】を、「ミニキャブ」を中心に掘り下げていこう。なお、前回の記事末で「ホンダ・三菱編をお送りする」としていたが、ミニキャブの海外展開も非常に多く、ただでさえ長い記事がもっと長くなってしまうので(汗)、三菱オンリーの記事とした。
【ミニキャブの輸出版】ミニキャブの外観ほぼそのままで輸出された「三菱 L100」
三菱の「ミニキャブ」は、現在も販売が続く軽商用車だ。初代は1966年に登場、現行型の7代目からは、スズキ・キャリイとエブリイのOEM車となったが、2021年でデビュー55周年を迎えたビッグネームである。そしてこのミニキャブも、スズキやダイハツの軽商用車と同じく、海外展開→現地生産→独自進化で現在も販売、というパターンを経ており、世界各地でミニキャブをベースにしたマイクロバン&トラックの姿を見ることができるのだ。
ミニキャブの輸出は、1976年デビューの3代目から始まっている。当時は排気量550ccへの新規格移行過渡期のため、3代目ミニキャブはまず500cc(厳密には471cc)エンジンを積んだ「ミニキャブ5」として登場、その後1977年より「正調」の550cc版「ワイド55」を矢継ぎ早にリリース。これを「L100」と名付けて輸出した。余談だが、L200は「フォルテ」、L300は「デリカ」だった。
【台湾/中国その1】歴代のミニキャブを現地生産 独自の進化にも注目
三菱L100は、三菱と海外メーカー協業による現地生産への足がかりにもなった。そのひとつが台湾の「中華汽車(ヂョンフゥア・チィーチゥー、CMC=China Motor Corporation)」が、初代L100をノックダウンで生産した「ヴァリカ(Varica=威利)」である。
中華汽車は裕隆(ユーロン)汽車の関連会社で、1970年に三菱と技術提携を結んでいる。初代ヴァリカは3代目ミニキャブを、2代目ヴァリカは4代目ミニキャブをほぼそのまま生産したのち、1989年にはフルモデルチェンジを行なった。この3代目ヴァリカでは、2代目ヴァリカ(=4代目ミニキャブ)をベースにしつつ、親会社の裕隆によって大掛かりな設計変更が行われ、ホイールベース延長・独自のフロント/リアデザインを得ていた。
4代目は3代目のビッグマイナー版だったが、2000年登場の5代目からはベースを6代目ミニキャブ(&乗用版のタウンボックスおよび1.1L版のタウンボックスワイド)にスイッチ。小さなボンネットを備えたスタイルはミニキャブ譲りでも、ホイールベース・ボディ後半は延長され、フロントマスクとリアビューは独自のデザインに変えられていた。車名も「ヴェリカ(Veryca=菱利)」に変わって、現在に至っている。
なお中華汽車は、中国での販路を開くために福建省汽車工業集団と組み、東南汽車(ドォンナァン・チィーチゥー、Soueast Motors)を設立。中華汽車・ヴェリカを「東南汽車・ヴェリカ」と名付けて中国市場向けに投入した。その後2010年にマイナーチェンジと同時に「C1シーウァン(西王=Xiwang)」に改名したが、現在は販売されていないようだ。
【インドネシア】中華汽車・ヴェリカの独自発展版「三菱・ジェットスター」
インドネシアでも、4代目ミニキャブを活用したオリジナルモデル「三菱・ジェットスター」が現地生産・販売されていた。全長だけでなく幅も拡大していたのが特徴だ。搭載していた直3・993ccエンジンは、三菱製ではなくダイハツ製だった。
【インド】小型トラック「プレミア・ロードスター・ピックアップ」は現在も販売中
少し話を戻しておさらいすると、台湾の中華汽車は3代目ミニキャブを初代ヴァリカとして、続いて4代目ミニキャブを2代目ヴァリカとして生産した。この2代目ヴァリカは、インドの「プレミア(Premier)」にも供給され、ヒンドゥスタン製の2Lディーゼルを現地で搭載、「ロードスター・ピックアップ」と名付けて2004年から販売をスタートした。現在もカタログに載るが、ディーゼルエンジンはタタ製の1.5Lに換装されている。
【マレーシア】ミニキャブの乗用版「タウンボックス」をベースにした「プロトン・ジュアラ」
1983年に設立されたマレーシアのプロトンは、三菱との関係が深かったこともあり、長年にわたって三菱のクルマ・技術をベースにした車種が数多く生み出されてきた。2001年に、タウンボックスワイドをプロトン向けに仕立て直した「ジュアラ(Juara)」も、その一台である。マスクに多少の差異はあれど、1.1Lのパワートレーンを含め、おおむねタウンボックスワイドのままと言える内容だった。
【中国その2】経済発展を支えた「武陵LZ110」とその後継「五菱・ドラゴン」
さきほど中華汽車・ヴェリカの中国版である「東南汽車・ヴェリカ/C1シーウァン」を記したが、話を再び “中国で作っていたミニキャブ“ に戻したい。というのも、先ほどと異なり、これから出てくる車種は出自が大きく異なるためだ。
1980年代の中国の自動車産業では、1978年以降に進められた改革開放によって、乗用車をはじめとしてクルマの需要が拡大した。しかし、当時の中国には旧態化したクルマしかなかったため、日本をはじめとした海外メーカーと合弁会社を設立して、次々とノックダウン車を開発。生産を進めながら次第に国産化比率を増やし、中国製の純国産車の開発を進めていった。
小型商用車もその対象となり、日本の軽自動車であるスズキ・キャリイ、ダイハツ・ハイゼットの自国生産に成功した。三菱も例外ではなく、それまで農業用トラクターを作っていた柳州(リュウジョウ)の機械廠と合弁して柳州武陵(リュウジョウ ウーリン)自動車が設立され、3代目ミニキャブのノックダウン生産を開始した。それが「ウーリン (Wuling)LZ110」だった。
LZ110には1987年に新型にフルモデルチェンジ。4代目ミニキャブと同じ設計に追いついた。1990年にはフェイスリフトを行って「ウーリン・ジンワン(五菱興旺=Wuling Xingwang/英語名ドラゴン)」に発展。トラック版はLZW1010などと称するようになった。
ジンワンの生産は2010年頃に終了し、後はミニキャブの系統から脱却した「ウーリン・チィーグァン(五菱之光=Wuling Zhiguang/英語名サンシャイン)」が継いだ。
なお現在、柳州武陵自動車は上汽通用五菱汽車(シャンチー・トンヨン・ウーリン・チィーチゥー、SGMW=SAIC-GM-Wuling Automobile)となっている。最近、日本でも注目された小型EV「ウーリン・ホングァン(宏光=Hongguang)MINI EV」も、同社の製品だ。
【アメリカ】これまた意外!北米でもミニキャブが売られていた
前回に引き続き今回も、ラストは軽自動車と縁遠いアメリカで売られた軽商用車で記事を終わらせよう。
前述の中華汽車ヴァリカのうち、2代目(つまり4代目ミニキャブ)は、アメリカの小型特殊車両メーカーの「クッシュマン(Cushman)」が台湾から輸入し、トラックを「ホワイトトラック(タイプG)」、バンを「ホワイトバン」と名付けてアメリカで販売を行なっていた。しかし、同社がHPに並べる、小さくて特殊な産業用車両を見ると、このマイクロトラック&バンは、前回のハイゼット同様、あくまでも特殊な小型の作業機械的な存在だったことが推し量れよう。
ラストは、4代目ミニキャブの正調アメリカ向け仕様だ。「三菱マイティミッツ(Mighty Mits)と呼ばれたこのミニキャブも、やはりクローズド・フィールドでの使用が前提だったのは、下記のカタログ写真が物語っている。
日本独自の規格下で開発された軽軽トラック・バンが、日本以外の国で生産が行われ、しかも独自の進化を遂げていることは興味深い。しかも元来は日本生まれの車種なのに、その活躍がほとんど知られていないのだから、なおさらだ。このコーナーでは、そんなクルマたちに引き続きスポットライトを当てていきたい。……といいつつ、同じネタが4回続くとさすがに長いので、次回は海外で活躍した軽商用車シリーズをいったんお休みして、「マイナー・スポーティアメリカン」をお送りしたい。
ダッヂ・オムニ024など、次回もこれまた「知られざる車種」が登場するので、どうぞお楽しみに。
この記事を書いた人
1971年生まれ。東京都在住。小さい頃からカーデザイナーに憧れ、文系大学を卒業するもカーデザイン専門学校に再入学。自動車メーカー系レース部門の会社でカーデザイナー/モデラーとして勤務。その後数社でデザイナー/ディレクターとして働き、独立してイラストレーター/ライターとなった。現在自動車雑誌、男性誌などで多数連載を持つ。イラストは基本的にアナログで、デザイナー時代に愛用したコピックマーカーを用いる。自動車全般に膨大な知識を持つが、中でも大衆車、実用車、商用車を好み、フランス車には特に詳しい。