小さな入り江に無数の島々が点在していた
日本海に沿って東北の西海岸を縦断する羽州浜街道。この道を旅した人物と言えば、まず思い浮かぶのは松尾芭蕉だろう。
元禄2年(1689年)の夏、奥州・平泉から山な たぎり刀伐峠を越えて羽州へと入った芭蕉は、山寺・立石寺から出羽三山、鶴岡などを経て象潟を訪れる。ただし、このとき芭蕉が見た風景は現在のものとはまったく違っていた。
当時の象潟は、松島と並び称される海辺の景勝地で、およそ一里(約4km)四方の入り江に『九十九島』と呼ばれる小さな島々が無数に点在していた。ところが、芭蕉がこの地を去ってから115年後の文化元年(1804年)、大地震が発生して海底が2mあまり隆起した九十九島一帯は陸地となってしまったのだ。やがてそこは開墾され、水田のあちこちに木々を載せた小山が点在する不思議な風景ができあがっていく。
そもそも象潟の入り江に浮んでいた島々は、今から2500年ほど前、鳥海山の火山活動が引き起こした土石流によって生まれたものだといわれる。山から転がり落ちてきた巨岩が島となったのである。
一方、九十九島を陸地に変えてしまった文化元年の地震も、鳥海山の火山活動によるもの。つまり、島を作り出したのも、それを陸地に変えてしまったのも背後の山なのだ。
映画『おくりびと』では、生と死は引き離すことのできないものとして描きだされる。それと同じように、火山の猛威と美しい風景、冬の豪雪と夏の恵みもまた、表裏一体だということを羽州随一の秀峰は教えてくれる。