
最大斜度は推定35度。生駒山をまっすぐ越える
大阪と奈良を最短距離で結ぶ奈良街道・暗越は、古代から近世まで大いに賑わった街道のひとつである。その道筋をほぼ忠実にトレースしているのが国道308号・暗峠だ。
奈良盆地と大阪平野の間には、南北およそ30kmにわたって生駒の山並みが連なっている。主峰は標高642mの生駒山。稜線を有料道路が走り、山上までケーブルカーで登れる小ぶりな山塊だが、平地から一気に立ち上がっているため、麓からは意外と険しい印象を受ける。まるで大都会・大阪の喧噪から古都の静けさを守る衝立のようにも見えた。
国道308号の暗峠は、この生駒山地のほぼ真ん中をトンネルなしで越えていく。
暗峠という少々怪しげな名前にはいくつか由来がある。そのひとつは、山裾が鬱蒼とした木々に覆われていたため「昼なお暗い」道だったというもの。また、あまりの急坂のため、途中で荷馬を交代させなければならず、「鞍替え」や「鞍借り」が訛って「くらがり」になったという説もある。
平城京と遣隋使や遣唐使が船出した難波津との間を結ぶ道は奈良街道・暗くらがりごえ越とも呼ばれ、国道308号はその道筋をほぼ忠実になぞっている。奈良街道にはもう一本、奈良盆地から大阪湾へ注ぐ大和川沿いに南へ大きく迂回するルートもあり、こちらは竜田越(たつたごえ)と呼ばれ、現在は国道25号が通っている。
平城京跡から大阪城近くの難なにわの波宮みや跡までは、国道308号・暗峠経由だと約28km。一方、ゆるやかな大和川の流れに沿って国道25号をゆくと約43kmの道のりになる。奈良と大阪を最短距離で結ぶ暗越は、明治の中頃までお伊勢参りの旅人や荷物を運ぶ人馬でたいへんな賑わいだったというが、標高455mの峠をほぼまっすぐに上り、下っていく道だけに、その勾配は半端じゃないほどきつい。
3Dマップの断面図を見ても分かるとおり、暗峠の中でも特に坂が急なのは東大阪市側で、その平均勾配は130‰(パーミル=1000m進むと130m上る)にも達する。日本の国道最高地点、標高2172mの渋峠を越える志賀草津道路(国道292号)の長野県側が63‰、かつて日本の鉄道で最も勾配のきつかった信越本線の碓氷峠区間が66・7‰だから、暗峠の勾配はその倍もある。
今回、お茶の入ったペットボトルを写真に撮り、勾配のきつさをお伝えしようとしたのだが、おそらく最も坂が急だと思われるカーブの路面にペットボトルを置くと、そのまま滑り出して止まらない。車止めのように小石をかませ、ようやくなんとか撮影できた。
このあたりの路面の傾斜は目測で35度前後。道路の勾配に関する統計データがないため断言はできないけれど、おそらく……というか、間違いなく日本でいちばん勾配のきつい国道峠である。
1200年以上も昔、鑑真和上も越えた峠道
峠の頂上から奈良盆地側へ50mほど下ったところにある『友遊由』というカフェで、貴重な写真を見せていただいた。写っているのは店を切り盛りする北村由子さんと娘の和栄さん。和栄さんは昭和49年生まれというから、上の写真の背景に写っているのは、今から40年ほど昔の暗峠である。
そのころの暗峠は、江戸時代に作られた石畳を除けば全線未舗装の砂利道で、拡幅部分も少なかったため、クルマ同士のすれ違いにはずいぶん難儀していたらしい。
「家からクルマで出かける時、神棚に向かって『対向車が来ませんように』ってお祈りしたものですよ」と由子さんは笑っていた。
当時は阪奈道路が有料だったこともあり、交通量は意外と多く、対向車に出会わず走りきれることは滅多になかった。この峠でのルールは台数の少ない方が道を譲るというもの。すれ違いのできる場所までバックしている最中、路肩や溝にタイヤを落としてしまうと、対向車のドライバーが降りてきて、みんなで助けてくれたという。
棚田や段々畑ののどかな風景が広がり、眼下に奈良盆地や大阪平野を一望する暗峠での暮らしだが、当然ながら日常の不便は相当あったらしい。まず問題となったのが子どもたちの通学。小学校は急坂を4kmも下った先にあり、朝は集団登校で歩いて通うものの、帰りはクルマでの迎えが不可欠。友達と自転車で遊ぶようになっても、自宅の近所は急坂ばかりで乗れる場所がないため、放課後も麓まで遊びに行き、帰りは親が軽トラやワゴン車で迎えに行かなければならなかった。なにしろ暗峠は、頂上まで漕ぎ切ることが勲章となるチャリダーの聖地なのである!
狭く、曲がりくねった暗峠は過去に何度か大規模な改修も計画されたが、勾配のきつさや山麓部に住宅が密集しているせいもあって、その都度立ち消えになっていった。そのうち阪奈道路が無料開放され、さらに峠の下に第二阪奈道路のトンネルも貫通すると、奈良と大阪を結ぶ道路としての重要性はほとんどなくなってしまう。今回の取材でも、地元のクルマ以外で見かけたのは、宅配便くらいのもの。こうして古代の峠越えをそのままトレースした国道が今の時代まで生き残ることになったのだ。
数ある日本の峠のなかでも、この暗峠の歴史は相当に古い。天平勝宝4年(752年)、苦難の末に日本へと辿り着いた鑑真和上、さらには、同じ年に東大寺の大仏開眼導師をつとめたインドの高僧・菩ぼ だいせんな提僊那も奈良街道・暗越を通って平城京に入ったと伝えられている。その同じ道筋を今もクルマでたどれるのは感無量だが、くれぐれも対向車とのすれ違いには注意していただきたい。
暗峠3Dマップ
◎所在地:奈良県生駒市/大阪府東大阪市◎ルート:国道308号◎標高:455m◎区間距離:6.9km(小瀬町西-箱殿)◎高低差:443m◎冬季閉鎖:なし
【A】長弓寺法華院(ちょうきゅうじほっけいん)
伝統の精進料理を堪能
神亀5年(728年)建立と伝えられる国宝の本殿をもつ長弓寺法華院。ここでは生麩などを調理した精進料理が味わえる一汁八菜(3,200円)〜一汁十二菜(5,200円/抹茶付き)の3コースあり、3日前までに要予約。●生駒市上町4446/0743-78-2437
【B】手打ちうどん・風舞(てうちうどんかざまい)
のどかな雰囲気の古民家
暗峠の奈良盆地側にある手打ちうどんの店。古民家の座敷や土間を改装した店内は趣きたっぷり。目の前の棚田や段々畑でとれた新鮮な食材を使った豊富なメニューを用意している。●11:00-19:00(麺がなくなり次第終了)/月曜定休/0743-77-8060
【C】平城宮跡資料館(へいじょうぐうあとしりょうかん)
古代の歴史ロマンに触れる
奈良の都の中枢、平城宮の姿を分かりやすく解説するため、2010年にリニューアルされた見学施設。朱雀門や大極殿院、遺構展示館(写真下)など、見所がたっぷり用意されている。●入場無料/9:00-16:30/月曜休館(祝日除く)/0742-30-6753
【D】信貴生駒スカイライン(しぎいこますかいらいん)
大阪の夜景が素晴らしい
生駒山地を稜線づたいに走り抜ける好展望のワインディング。なかでも大阪方面の夜景が素晴らしく、前ページの夕日駐車場のほか、数カ所の展望スポットが整備されている。●通行料1,340円(全線片道)/6:30-24:00(冬季は23:00まで)/0743-74-2125
【E】太田酒造(おおたしゅぞう)
昔の面影を残す造り酒屋
法隆寺の近くにある明治2年創業の造り酒屋。銘酒『初時雨』はさわやかな口当たりが特徴で、冬季には火入れしていない生酒も販売する。自慢の酒粕で、3年間寝かせた無添加の奈良漬けも人気。●8:00-18:00/定休なし/0745-75-2015
アクセスガイド
暗峠に最も近い高速道路のICは、第二阪奈道路・小瀬出口(西行き)。平城京跡あたりからなら、高速道路を使わず国道308号を走っても30分ほどでアプローチできる。大阪方面からだと阪神高速の水走ランプが近い。名古屋方面からは東名阪道・名阪国道(国道25号)・西名阪道を乗り継ぎ、郡山ICから北上するルートが分かりやすい。