この資料はマクラーレンF1の世界へと誘ってくれます。ブルース・マクラーレンの悲願であったロードゴーイングカー。濃い黄色の車体色、カーナンバー4、リアルタイムで往時のブルース・マクラーレンの走りをご覧になった方もおられることでしょう。わたしも4番と5番のクルマが走る雄姿は、今でも目に焼き付いています。ですから、マクラーレンの歴史に始まり、ゴードン・マーレイが、おそらくは空港の待合で走り書きしたメモ、後に清書された設計図、そしてすばらしい画質で迫る各部位の写真などが次々と現れるこの資料は、見ていて飽きることがありません。この誌面から、それらの様子が少しでもお伝えできれば、と願っています。 McLaren F1/マクラーレンF1 今回は、いまだに世界最高のロードゴーイングカーとの呼び声も高いマクラーレンF1です。前回のBMW M1とは、エンジンがBMW製でミッドシップ、という共通点があります。 1988年9月ミラノ・リナーテ空港 1988年のF1シーズン。第12戦はイタリア・グランプリです。それまで11戦全勝だったマクラーレンでしたが、イタリア・グランプリではエンジン・トラブルや接触でリタイヤという、その年のマクラーレンらしからぬ終わり方をしています。シーズンが終了してみれば1988年のF1でマクラーレンが勝てなかったのはこのイタリア・グランプリだけ。わたしには、前の月に亡くなっているエンツォ・フェラーリが、このイタリア・グランプリでフェラーリを1-2フィニッシュに導いたのだと思えてなりません。 不本意なレースで悔しいマクラーレン一行。ミラノのリナーテ空港でも飛行機がなかなか飛ばずに待たされたようです。この待ち時間に構想されたのが、マクラーレン初となるロードゴーイングカー、その名もF1なのです。心がざわつく待ち時間、その気持ちを鎮めるために理想のクルマを考える。何ともゴードン・マーレイらしいエピソードではないでしょうか。 マクラーレンF1の資料 今回とりあげるマクラーレンF1の資料は、同車が発表された時に配布された、いわば広報資料のようなものです。内容、構成、写真のクオリティ等々、どれをとっても最高のクルマに相応しいすばらしい出来で、メーカー自身による資料の、ベンチマークのひとつだと思います。 最良のクルマにふさわしい内容です 資料の奥付には、1992年5月28日モナコ、と記されています。モナコにおける実車お披露目の席で配布されたものだとわかります。残念ながらわたしの手許にはありませんが、装丁違いのものも存在しているようです。そちらはハードカバーで、一説にはケース付とのこと。幸い、内容に変わりはないようです。 この資料には日本のメーカーが大きくとりあげられているページもあります。それはケンウッド。どうぞ、そのページもお見逃しなく。 ●サイズ(縦×横)298mm×298mm ●全76ページ 全文を読む Text:板谷熊太郎 /Kumataro ITAYA カー・マガジン474号(2017年12月号)より転載