知られざるクルマ

【知られざるクルマ】Vol.16 「ステランティス」誕生! でもかつて、プジョーはクライスラーと関係があった?

誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマをご紹介する連載、【知られざるクルマ】。今回は、少し志向を変えて、PSAとFCAが一緒になったことで、誕生した「ステランティス」に関する知られざるクルマにご登場いただこう。

PSAとFCAの合併で生まれた、世界4位の自動車グループ「ステランティス」

自動車メーカーは再編の歴史を繰り返しており、現在盛業中の会社も、様々なメーカーと提携したり離れたりしながら今に至っている。例えば、1862年に創業・1898年から自動車生産を開始したドイツのオペルは、1929年以降はGMの傘下に入り、長い間「GMの欧州部門」として存続していた。しかし、2009年のGM破綻を受け、最終的にはフランスのプジョーとシトロエン、そしてシトロエンから独立した高級ブランド・DSを持つ「グループPSA」が、オペルを買収。PSAのいちブランドとして再生されることになったのはご存知の通りである。

そのPSAは、2021年1月にフィアット・クライスラー・オートモービルズN.V(FCA)と経営統合。新たな企業「ステランティス(STELLANTIS)N.V」が誕生し、イタリア車ファン・フランス車ファンの間で話題になった。

FCAとグループPSAが新たなグループ会社「ステランティス」のロゴを発表
https://carsmeet.jp/2020/11/16/174574/

PSAとFCAが一緒になったことで、ステランティスは、プジョー・シトロエン・DS・オペル・ボクスホール(オペルの英国名)、フィアット・アバルト・ランチア・マセラティ・アルファロメオ・クライスラー・ダッヂ・ラム・ジープの14ブランドを有することになる。筆者としては、今後のPSAとクライスラー系の車種融合の可能性に注目したい。というのも、かつてPSAは、クライスラーと一時的ながら関係があったからだ。そこで今回は、それを掘り下げてみようと思う。

きっかけは、1960年代〜クライスラーの欧州進出

ルーツ・グループを代表する小型車、「インプ」。BMCの「ミニ」に対抗する車種だったが、インプは後輪駆動だった。ヒルマンブランドのヒルマン・インプのほか、サンビーム・インプ、シンガー・インプも存在。クライスラー傘下に入った後も、1976年まで販売が行われた。

話は、1960年代初頭にさかのぼる。
アメリカンビッグ3の一角・クライスラーは、GMやフォードに遅れを取るまいと、欧州市場への進出を計画。そして1963年、クライスラーは「ルーツ・グループ(イギリス)」と「シムカ(フランス)」を買収し、クライスラーのヨーロッパ部門を作った。その方法は、クライスラーが秘密裏に少しずつ株を買い占めるという「事実上の乗っ取り」だったため、当時のフランス大統領、シャルル・ド・ゴールは激怒。アメリカとの政治問題にまで発展した。

ルーツ・グループとは、ヒルマン・ハンバー・サンビーム・シンガーなどの英国ブランドを集めた集合体で、かつてはオースチン・トライアンフ・ローバー・バンデンプラ・MG・ジャガーなどを抱えていた「ブリティッシュ・モーターズ(BMC。時期によってBLMC、BLなど呼び名が変わる)」と並ぶ、イギリスを代表する巨大民族系自動車メーカーだった。

シムカのアレンジを加えつつ、事実上はフィアットを作っていたシムカが、独自に開発したのが1951年の「アロンド」。シムカにフランスメーカー第4位の地位を与えることに成功した。写真は、最高級仕様の「エリゼー」。

もう1社のシムカは、フィアットをフランス国内でライセンス生産するため、1934年に起こされた会社だった。そのため、当初はフィアットの初代500「トポリーノ」のシムカ版「シムカ5」など、フィアットの色が濃い車種を生産していたが、1951年に、エンジン以外はシムカが独自に設計したモデル「アロンド」を発表。平凡なメカニズムで突出していないことが、逆に個性となってヒット作となった。

その後は、リアエンジンのセダン「1000」、さらにはフィアット128同様の横置きFFを採用した「シムカ1100」を生み出すなど、機構面にフィアットの流れを残したモデルを販売していった。

アロンドの後継車「1000」は、一転してエンジン搭載位置を後部にしたRR車に。同時期のセダン「ルノー 8」にも通じる、真四角なデザインが特徴だった。技術的には、フィアットの延長上にある。写真は、1.3Lから82psを絞り出したスポーティモデルの「ラリー2」。最終的には103psエンジンに、派手なオーバーフェンダーを備えた過激なモデル「ラリー3」に発展した。

なお、1950〜60年代のシムカには、1954年にシムカと合併した旧フォード・フランス出自の「ヴデット」があった。写真は中間グレードのヴデット・シャンボール。見るからにアメリカ車然としたスタイルだ。なお、現在もPSAの中核工場として稼働するポワシー工場は、フォード・フランスが建てたものだった。

クライスラー・ヨーロッパ時代に生まれたクルマたち

ルーツ・グループ時代に開発、クライスラーUKが1970年に発表した1.3/1.5Lクラスのサルーン「ヒルマン・アヴェンジャー」。のちに、英国らしくエステートボディも追加している。クライスラーの世界戦略車という大役も担い、南米各地でノックダウン生産を行なった。ダッヂやVWブランドでも販売していたのが面白い。1981年まで生産され、ルーツ・グループ出身車の最後を飾っている。

クライスラー・ヨーロッパの一員になったルーツ・グループとシムカは、1970年にそれぞれ「クライスラーUK」「クライスラー・フランス」に社名を変更。ヒルマンやシムカなどのほか、クライスラーブランドの使用も始まった。旧ルーツ・グループ/シムカ系の車種を引き続き販売する一方、新型車も続々と投入。両社の一元化を進めていった。

1970年の「アヴェンジャー」は、クライスラーUK のみで販売。機構的にもデザイン的にも突出したところはなかったが、それゆえ売り上げは堅調だった。同年にデビューした「160/180/2リッター」は、アメリカ車をそのまま小さくしたようなスタイルを持っていたため、フランス車としては異端の存在だった。

クライスラー・フランスが、シムカ1500の後継車として1970年に発売した「クライスラー160/180/2リッター」。もともとの設計はルーツ・グループ時代に行われていた。英仏で売られたが、アメリカ車を縮小コピーしたようなクルマで、これがフランス車とはにわかには信じられない。1973年には、クライスラーUKでも販売を開始した。

1975年には、リアにテールゲートを備えたFF車という、当時としては先進的な設計の「1307/1308」が登場。クリーンなスタイルと実用性から、欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。
また、クライスラーUKのみで買うことができた「クライスラー・サンビーム」は、アヴェンジャーをベースにした3ドアハッチバックで、「サンビーム・ロータス」にはロータス製2.2L・DOHCユニットを搭載。1981年のWRCチャンピオンにも輝いた。

利便性が高いハッチバックボディを採用して、1975年に登場した「クライスラー・シムカ1307/1308」は、クライスラーUKが開発したモデル。1.3L の1307、1.5Lの1308でスタートし、1978年になって1.6Lの1309を追加した。英国では「ヒルマン・ハンター」の後継という立ち位置で、「クライスラー・アルパイン」という名前で売られた。

コンパクトなFR車という好条件を生かし、ノーマルで150ps、ラリー用では240psを発生したロータス製の2.2Lツインカムを搭載してWRCを席巻したのが「サンビーム・ロータス」だ。当時すでにWRCに出現していた「アウディ・クワトロ」などのターボ+4WDマシンに対して善戦。1981年のコンストラクターズタイトルをもぎ取ったが、翌年からは、親会社プジョーがスーパーウェポン「205T16」の開発を開始したことで、タルボのラリー活動は終止符を打つことになった。なお、プジョーのレーシング部門は、「プジョー・スポール」として知られるが、205ターボ16時代は、タルボの名が残り、「PTS=プジョー・タルボ・スポール」と称していた。

クライスラー・ヨーロッパをPSAが買収

しかし、なんとクライスラー・ヨーロッパは1977年に倒産してしまう。急速なアメリカ国内での生産拡大と世界進出、第2次石油危機、日本車の台頭などによる本国クライスラーの経営危機を受けたものだった。そこで、PSAプジョー・シトロエンは、クライスラー・ヨーロッパの買収に動き、1978年にそれを完了。1979年頃から、旧クライスラー・ヨーロッパの車種に「タルボ/タルボット(英語読み)」ブランドを与えていった。タルボという会社自体は古くから存在し、英仏どちらにも縁が深いブランド名だったが、経緯を書くと少し長くなるので、ここでは割愛したい。

クライスラー・ヨーロッパ時代の1977年にデビューした「クライスラー・シムカ・オリゾン(UKではクライスラー・ホライゾン)」。VWゴルフに範をとった5ドアハッチバックのFF車で、基本コンポーネントは前任車「シムカ1100」をベースにしていた。クライスラー・ヨーロッパがPSAに買収された後は、「タルボ・オリゾン(タルボット・ホライゾン)」となった。

PSA傘下に入り、ブランドをタルボに変えた後の1981年当時のラインナップを見ると、フランスでは小さい順に「サンバ」、「1100」、「オリゾン」、「1510(旧1307/1308/1309)、「タゴーラ」、イギリスでは「サンビーム」「ホライゾン(オリゾンの英語読み)」、「アヴェンジャー」、「アルパイン(1510の英国版)」という具合で、旧クライスラー・ヨーロッパの車種がほとんどを占めていた。このうち「サンバ」と「タゴーラ」は、PSAがプジョー・シトロエン各車とパーツを共有して開発したニューモデルで、サンバはプジョー104/シトロエンLNAベースの小型大衆車、タゴーラはプジョー604を元にした大型フラッグシップだった。

クライスラー・ヨーロッパを買収したPSAは、ブランド名をタルボ(英:タルボット)に変更。クライスラー・ヨーロッパ時代の車種を売りつつ、PSA系のパーツを用いた新車種も開発した。「サンバ」はそのひとつで、「プジョー104」「シトロエンLNA」の兄弟車。1.1Lおよび1.3Lエンジンはプジョー製だった。

パキパキしたデザインが特徴の「タルボ・タゴーラ」は、「タルボ1610/2リッター(旧クライスラー160/180/2リッター)」の後を継いだタルボのフラッグシップ。「プジョー604」をベースにPSAが開発されているが、各部には旧クライスラー・ヨーロッパのパーツも活用していた。604同様、PRV製2.7L・V6エンジンを搭載する。同じエンジンを積む604&ルノー25よりもハイチューンで、最高時速もこのクラスではいちばん速かった。

クライスラー・ヨーロッパの旗の元には、1969年以来シムカと深い関係を持っていた「マトラ」も含まれていた。マトラといえば横3人がけのユニークなスポーツカー「バゲーラ」と、その後継で1980年登場の「ムレーナ」が有名だが、クライスラー・フランスがPSAに移譲されたことで、ムレーナもPSAのいち車種になった。しかし、マトラがルノーとの協業を選んだことでリレーションが解消。ムレーナの生産も1983年で終わってしまった。

「マトラM530」や「マトラ・シムカ・バゲーラ」など、実用車のコンポーネントを利用して、リーズナブルなMRスポーツカーを開発するというコンセプトは、古くからフランス車に見られる。「ムレーナ」は、バゲーラの後継となるスポーツカーで、横3人がけという斬新な設計も引き継いでいた。ムレーナには、シムカ・タルボ系の1.6L &2.2Lエンジンが積まれていた。1980 年から1983年まで販売していたため、一時期ではあるがPSAはグループ内にMRスポーツカーを有していたことになる。

しかし、プジョーはタルボブランドに価値を見いだすことができなかった。紆余曲折を経たメーカーの集合体であるだけに一貫性やブランド力が弱く、同一グループ内でプジョーやシトロエンの販売を脅かすような車種を併売することに、難色を示すようになったのだ。そこでPSAは、あっさりとタルボの廃止を決定。1986年までに各車種を次第に削減していき、タルボ銘で売る車を完全に消滅させてしまった。なお、タルボのブランド自体は生きており、いまだにPSAが所有している。

協業相手が変わればクルマも変わる

GM色が強かったオペルは、PSAとの協業→傘下入り後、急速に車種をPSA系に転換している。「クロスランドX」は、PSAのPF1プラットフォームを用いて開発されたSUVで、日本市場に復帰するオペルのラインナップを飾ることが予定される。PSAが生み出すオペルがどんな仕上がりになるのかが、とても楽しみだ。

PSAはクライスラー・ヨーロッパを買収したため、PSA とFCAが組んでステランティスが生まれたことと事情は異なるが、40年以上を経てPSAとクライスラーの技術を混ぜた車種が生まれるかもしれない、という事実に驚いた人は多いかもしれない。時代はこうして巡ってくるのだ、と。

メーカーが協業・合併すると、共通で使われる部品が増えてくる。特に内装のドアミラーやウインドゥスイッチなどの汎用部品は、各社・グループごとの個性が出るため、同じメーカーでも協業相手に合わせて変化していくことがあり、マニア目線で見てもとても興味深い。PSAとFCAは、それぞれの雰囲気を持っているが、今後どのようにスケールメリットを生かして変化していくのかにも、注目していきたいと思う。

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