アルファロメオ

名車は名作と共に、銀幕を華麗に駆けたアルファロメオ・ジュリアスパイダー

1973年に公開された「ジャッカルの日」という映画をご存知だろうか? 当時はちょっとした暗殺映画ブームで、「暗殺」を題材にした映画が数多く発表された。その中でも名画と誉れ高い「ジャッカルの日」。今回はその主人公の愛車として登場したジュリア(ジュリエッタ)スパイダーが主役。そこでちょっと趣向を変えて、私小説風にアレンジしたストーリーをお読みいただこう。

私小説:ジャッカルの日、その後

それは今から20年前の夏のこと。あの頃、輸入車ブローカーとして糊口をしのいでいた僕は、ある外国人からの要請で、アルファロメオ・ジュリア・スパイダーを用意した。「ジュリエッタでもジュリアでも良いから、とにかく地味な色のスパイダーを探せ」という、一風変わった要望に興味を持った僕は、彼にその理由を尋ねてみることにした。

すると彼は、自身の昔語りを始めた……。

俺にだって、親のつけてくれた名前くらいはあるよ。でもナチス野郎に両親を殺されたのちには、誰も俺のことをその名前じゃ呼ばないし、俺自身が名乗ることもないから、もう忘れちまって何年もの月日が経ったことだろうか……。パスポートも本物と偽造を含めて何冊も持ってるから、自分の本当の故郷がどこかだなんてことも、もう覚えちゃいない。でも裏社会に生きる人間たちの間では、俺は”ジャッカル”と呼ばれていたようだ。

自分の生業を人前で語ることも無いので、どう分類して良いもんだか分からないが、仕事を依頼してくるクライアントたちは俺のことを”ヒットマン”、暗殺者だと勝手に認識しているようだ。たしかに、それは間違いとは言えないだろうな……。たとえばマフィア同士の抗争の助っ人から、国家間トラブルの火種を消すような“大仕事”に至るまで、然るべき金額のギャラさえ秘密の口座に振り込んでくれれば、俺は仕事の内容は選ばず、間違いなくクライアントからのオファーをコンプリートしてきた。そして俺がビジネスを遂行するということは、多くの場合で誰かが命を落とすことを意味していた。その”誰か”とは、まったく見も知らない人物だったこともあるし、時には長い付き合いの親友だったりしたこともあったよ……。

でもあの時は、完璧主義の俺にしては珍しく、完全にしくじっちまったな……。やはり国家元首の暗殺なんて”ビッグビジネス”は、成功率もそれなりに落ちるもんさ。そう……、あのド・ゴール大統領暗殺未遂事件から、もう30年以上の月日が経ったから、そろそろ話しちまってもイイかもしれない……。

アルジェリア戦争の終結、あるいはフランスの軍事的地位の後退を認めたくないフランスの軍人たちが秘密裏に結成した”秘密軍事組織”、いわゆる”OAS”が俺に接触してきたのは、奴らのシンジケートが壊滅状態となり始めていた1963年のことだった。既に国外逃亡中の身だったOASの幹部たちが俺に依頼したのは、ド・ゴール大統領に死んでもらうための引導を渡す役割だった。

でも先に言っておくが、俺からすればド・ゴールが死のうが、フランス第五共和制が崩壊しようが知ったことではなかった。ましてや、アルジェリア戦争をもう一度引き起こして、フランスの領土復活を図ろうなんて画策するOASの連中の自称「愛国心」にも、まるっきり興味なんて無かった。だいたい、俺はフランス人じゃないからな(苦笑)。

俺の目的はビジネス。つまりは、カネってことさ。あの時だってリスクの高さは承知だったが、可能な限り多くの金を掴みとって、しばらく何処か南の島でヴァカンスでもしながら潜伏してようって、本気で考えてたよ。

あのミッションで必要な移動を行うために、俺が選んだのはクルマによる国境越え。イタリアの職人に、一見したところではステッキに見えるような特製ライフルを誂えてもらい、その後ライフルを隠したままフランス国内に持ち込む必要があった。そして、その目的のために選んだクルマが、アルファロメオ・ジュリエッタ・スパイダーだったのさ。

もちろん、モノコックのチャンネル裏側に特製のライフル銃の重心を隠せるスペースがあった……ってのが一番大きな理由だが、少しばかり目立ってしまうというリスクを冒してでも、この美しいスパイダーで国境越えがしたかったんだ。こう見えても俺って、けっこうロマンティストなんだよ(笑)。

それに、この時期に南仏のリヴィエラ海岸を目指し、イタリア側からの国境をクルマで超えるヤツといえば、よほど脳天気な旅行者くらいのものさ。そんなお気楽野郎に化けるには、ジュリエッタ・スパイダーはピッタリの選択とは思わないかい?しかもあのクルマ、1300ccという排気量の割にはパワーがあるし、あの時代のクルマとしちゃハンドリングだって悪くないから、たとえフランス警察と正面対決することになっちまったとしても、なかなか速いところを見せてくれるはずだった。実際、奴らがパトカーとして後生大事に採用してたシトロエンDSやプジョー404なんて、ジュリエッタ・スパイダーと俺のテクニックの前には、絶対に歯が立たなかっただろうさ、多分な……(笑)。

ところがキミたちも周知のごとく、山の中でアイボリーから濃紺に塗り替え、雑木林にシケこんできたカップルのプジョー202から盗んだナンバープレートに付け替えるまでは予定どおりだったんだが、塗り替えた途端に”ジ・エンド”。俺としたことがコーナーで膨らんで、反対車線からやってきたプジョー404とドカン!……だったよ。

それでも、相手のドライバーが死んじまったのに乗じて、俺は半分オシャカになったプジョー404でその場を立ち去り、なんとかパリへの旅を進めることができたんだが、そのあとが良くなかったな……。警察の追手から逃れるため、たまたまホテルで知り合った貴族の奥方のご大層な古城や、ゲイの男のアパートなどに身を潜めてたんだが、いずれも俺の正体に気づかれてしまったため、気の毒だったが死んでもらうことにした……。

そしてパリ。現代史の教科書でも見てもらえば解るだろうが、ド・ゴールはあれから7年間も生きて、最後はベッドの上で死んだ。つまり、俺の計画は完全な失敗。ゲームに負けたってことさ。でも着手金として全報酬の半額を事前に受け取っていたから、まあ悪くないビジネスだったとも言えるだろうな。

あの暗殺計画の失敗以来、実質的な引退状態でブラブラしてた俺だが、幸いカネには困っていないんで、ヨーロッパから遠く離れた極東の国、この日本にヴァカンスがてら潜伏することにした。この国で”ガイジン”と呼ばれる俺たちは、意外にも素性を探られることなどほとんど無い。そして、こんなスポーツカーを乗り回そうというんだから、我ながらホントに良いご身分だと思うよ……。

これまでの俺は、過去の仕事に対して一切の感慨を持ったことも無かったけど、このクルマだけは別。言ったろう、俺はけっこうロマンティストなのさ……。キミに地味な色のスパイダーを頼んだのも、そこいら中にアリがちな”ロッソ・アルファ”じゃなく、あのミッションで使用したアイボリーや濃紺と同じくらいに目立たないボディカラーにしたかったから。1300のジュリエッタだろうが、1600のジュリアだろうがかまわない。「渋い色のスパイダー」ってのが、すっかり気に入っちまったんだろうな……。

いずれにせよ、フランス国家警察とインターポールが血眼で追っかけてた”ジャッカル”は、パリのアパルトメントで行われた警官たちとの銃撃戦の末に死んだ。そして、彼らとスコットランドヤードがジャッカルとして目星をつけていた英国人”チャールズ・カルスロップ”だって、実際のところは、とんだお門違いだった……。本物のカルスロップの野郎は、あの暗殺計画から遥か6年も前、傭兵として参加したコンゴ動乱で全身に銃弾食らって、あの世に行っちまってたんだぜ。

そして俺はまだ、こうしてお天道様の下でのうのうと生きている……。まぁ、そういうことさ。俺たちの生きる世界じゃ、別に珍しいことでもない。俺たちの世界で最も大切なことは、どんな手段を使ってでも生き延びることなんだ。じゃあ、どんな方法であの暗殺現場から逃げ出したのかって? それは「ビジネス上の秘密」ってものさ。自分の手管をグダグダ説明するようなお調子者も、この世界では生き残れないことになってるんだよ。

さて、くだらないお喋りはやめにして、そろそろ次の仕事場に向かうとするかな……。今回のミッションは、恐らく俺にとって最後の仕事になると思う。無事成功したかどうかは、多分キミたちもテレビや新聞のニュースで知ることになるだろうさ……。

結局この日を最後に、自らを”ジャッカル”と名乗る外国人は消息を絶った。そして長らく行方不明となっていた彼のジュリア・スパイダーは、不思議な因縁で僕のところに戻ってきた。なぜ彼は、自身の物語を異国のクルマ屋に話そうとしたのか? 老境を迎えて、誰かに自分の生きた証を残したかったのだろうか? それは、もはや永遠に分かるまい。

でも彼の遺したジュリア・スパイダーは、20年の時を経た今も、昔と変わらず美しい。このクルマは、闇の世界に生きた男”ジャッカル”にとって、人生にわずかな光をもたらす宝石のような存在だったのかもしれない。

1.6Lを組み合わせた上級モデル

もともと”ジュリエッタ・スパイダー”として1955年1月にデビュー。アルファロメオ史上初の小型量産車、ジュリエッタの各モデルに共通となる総アルミ製直列4気筒DOHC1290ccのエンジンを、ピニンファリーナのデザインと架装による軽快な2シーター・スパイダーボディに搭載。シングルキャブで80psを発生する標準版に加えて、二連装のウェーバーキャブで90psを発揮する”ヴェローチェ”も追加された。

いずれも同時代の1300cc級スポーツカーの常識を遥かに超えた高性能に加えて、ピニンファリーナらしく美しいスタイルも相まって、母国イタリアはもちろん、今も昔も世界最大のスポーツカー市場である北米など、世界中で商業的成功を収めることになる。

エンジンは直列4気筒の1570ccを搭載。アルファらしく、勇ましいエキゾーストと共に軽く吹け上がる。

当初ホイールベース2200mmの”750系”としてスタートしたが、1958年にはホイールベースを50mmだけ伸ばすとともに細部に改良を施した”101系”に進化を遂げる。そして、ベルリーナが1570ccの”ジュリア”へと移行を果たした1962年には、スパイダー版もジュリア版に進化。ニューボディが登場するまでの折衷型として設定されたジュリア・スパイダーは、ボンネットに幅広のエアスクープを設けるなどの小変更を受ける(今回の撮影車両はシンプルなジュリエッタ・スパイダー用に換装)とともに、アルファ・ツインカムはジュリア用の1570cc・90psに拡大されることになった。1964年にはジュリア・スパイダーにもウェーバー・ツインキャブで112psを発生するヴェローチェ版が追加。ようやく用意された完全ニューモデル、同じくピニンファリーナの手による”スパイダー・デュエット”がデビューする前年、1965年まで生産が継続されるに至ったのである。

情熱を費やしてレストアしたその個体は、どこもかしこもピカピカのツルツル。決してオーバーではなく「新車以上の輝き」を放っていた。

全長は4mにも満たないコンパクトなサイズだが、寸法以上に見える流麗なボディラインはさすが。

SPECIFICATION
ALFA ROMEO GIULIA SPIDER
■全長×全幅×全高:3900×1580×1335mm
■ホイールベース:2250mm
■トレッド(F/R):1292/1270mm
■車両重量:885kg
■エンジン:水冷直列直噴4気筒DOHC
■総排気量:1570cc
■最高出力:112ps/6500r.p.m.
■最大トルク:13.5kg-m/4200r.p.m.
■サスペンション(F/R) :ダブルウイッシュボーン
■ブレーキ(F&R) : ドラム
■タイヤ(F&R): 155×15

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フォト=内藤敬仁 T.Naito

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