今や世界的にも有名なHAKOSUKA 歴代の日産スカイラインの中でも飛び抜けて人気の高い3代目C10系スカイライン、いわゆるハコスカ。1968年デビューのこの3代目スカイラインについては、「愛のスカイライン」と銘打った広告展開など特筆すべき話題が多いが、中でも重要なのは、GT-Rの登場であろう。現代のR35型にまで連なるGT-Rの系譜の最初に位置するのが、PGC10/KPGC10のハコスカGT-Rなのだ。 【画像31枚】美しく仕上げられたマルイ製ハコスカの全貌と制作過程はこちらから! ハコスカの先代にあたるS50系スカイラインで生まれた2000GT(本来4気筒車のボディを延長してグロリア用6気筒エンジンを搭載した)、その地位を受け継ぐレースのためのモデルとして、C10系スカイラインにラインナップされたのがGT-Rであった。まだ珍しいメカニズムだったDOHC 4バルブの6気筒であるS20型エンジンを搭載、最高出力160psという、当時の国産車としては図抜けた高性能を持つGT-Rは、国内ツーリングカーレースにおいて50連勝の金字塔を打ち立てたのである。 1969年に登場したGT-Rは、1970年には4ドア・セダンから2ドア・ハードトップに移行、ホイールベースを70mm短縮したことにより戦闘力をより向上させた。続く4代目(C110系)にもS20を搭載するGT-Rはラインナップされたが、社会環境の変化からもはやレースで活躍することもなく消滅。R32型スカイラインで栄光のネーミングGT-Rが復活したのは、それから16年後のことであった。 日本プラモデル史に残る名作キット そんなハコスカGT-Rだけにプラモデル化の数は多い。しかしキット化されたのは現役当時ではなく、絶版車となってからであった。その皮切りとなったのが、ここでお見せしている東京マルイ製1/24スケールのハードトップGT-Rである。リリース当時(1979年)の趨勢として、クルマのプラモデルはモーターを仕込んで走らせるのが主流であったが、そのため再現性が大いに犠牲となっていた。マルイはそこに実車さながらのプロポーションやリアリティの高いシャシー及び室内をプラスして、日本のカープラモをそれまでとは異なるステージへと移行させたのである。 作例はキットに大きく手を加えたものではないので、今の目で見ると「?」となる部分も大方そのままとなっているが、それだけに、ギミックと再現性の両立という面で、当時のマルイがいかに大きな仕事を成し遂げたかが、よく分かるだろう。ただし、ディテールにはすこし手を加えた部分もあるので、工程写真のキャプションをご参照頂きたい。なお、サイドのエンブレムはタミヤ製ハコスカのメタルインレットを使用している。 制作に使用したのはこの再販版。初版にあった細いタイヤはセットされていない。 電池の交換にはシャシーを外す必要があるので、これを不要とすべくボンネットを着脱式に。 BMCタガネで切り離し、プラ板でガイドを接着。 現代のアルカリ電池は幅が広いので、電池ボックスに切込みを入れ、広げて収まるように修正。 キットのタイヤは幅広かつ溶けているので、日東のフェアレディSR311から流用(右)。 純正ホイールはキット部品。幅が広いので流用タイヤに合わせ幅つめ。 ノコギリで切断する。 ステリングは径が小さいので外側にフレキシブルワイヤを巻き、ひと回り大きなリムを作る。 切り出したスポークと合体。 排気系はマニフォールドからマフラーまで一本の部品だが、若干の反りがある。瞬着などで強引に接着してもよいが、こうして切断しておけば…… スムーズな取り付けが可能となる。 シート背面はヒケを修正。シートベルトはキット付属のもの。説明書ではショルダーベルトをシート背面に折り返し接着する指示だが、 このように長く伸ばして天井に接するようにしておけば、ベルトにコシがあるので天井に取り付けてあるように見える。 コードの配線については、経年による接触不良を防ぐため、接続部をハンダ付けした。 ムギ球は、取り付け部周辺をメッキシルバーNEXTで筆塗りしたのち、フィラメントの位置・向きを適正にして瞬間エポキシで接着固定。 完成後の電池交換が容易となった。 全文を読む 作例制作=坂中善之/フォト=羽田 洋 modelcars vol.200より再構成のうえ転載