死へと誘う恐ろしい陥穽
1985年11月24日、名門ランチアの最新マシン、デルタS4はその年の最終戦となるRACラリーに姿を現した。当時のランチアの大衆車の名前こそ名乗っていたものの、鋼管フレームにFRPやカーボンパネルで構成される900kgにも満たない軽量な車体、1759ccの直4 DOHC+ツインチャージャーで460馬力を発揮するエンジン、これをミッドマウントし四輪を駆動するという、まさに怪物であった。
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ちなみにS4のSはスーパーチャージャーを、4は四輪駆動であることを表している。この数年前より、ラリーにおいて四輪駆動の優位性は揺るぎないものとなっていた。後輪駆動のラリー037で戦ってきたランチアは苦戦を強いられており、新型車両の投入が急務とされた。
デルタS4のデビュー戦は、ヘンリ・トイヴォネンとマルク・アレンによる見事な1-2フィニッシュだった。明けて1986年、シーズン初戦のモンテカルロでもトイヴォネンは2位のプジョー205、ティモ・サロネンに大差をつけて勝利。実戦投入からの2連勝で、デルタS4とトイヴォネンは一躍脚光を浴びた。
しかし、デルタS4とトイヴォネンの快進撃は長く続く事はなかった。1986年の第2戦以降は、エンジントラブルによるリタイアや、他チームの観客を巻き込む死亡事故などにより奮わず、迎えた運命の第5戦ツール・ド・コルスで、彼のドライブするデルタS4はタイトコーナーにてコースアウト、崖下へと転落。燃料タンクが破裂し爆発炎上、コ・ドライバーのセルジオ・クレストとともに、トイヴォネンは命を落とした。まだ29歳の若さであった。
最悪の事故を受け、グループBカテゴリは終焉へ
事故の前日、初日の終了後にトイヴォネンは、「今の所は全て順調だけどこのラリーは狂ってる。トラブルが起きたら、間違いなく僕はおしまいだ」と語っていた。彼の予想は最悪の形で当たってしまったのだ。
この事故後数時間も経たずFIAは、Gr.B車両の過熱するパワー競争と、それに追いつかない安全性を理由に、Gr.Bカテゴリの1986年いっぱいでの廃止、並びに検討されていたGr.S構想のキャンセルを発表した。この決定にアウディとフォードは即時ラリーから撤退。プジョーとランチアはシーズン最終戦までGr.B車両で競技を続けたが、最終的には僅差でプジョーがタイトルを獲得。これによりデルタS4は、ランチアのワークスマシンとしては唯一、タイトルを獲得できなかった車両となった。
(後編に続く)