サニー=「明るく快活」「若々しい」
この記事の公開日は2024年2月19日。今から58年前の今日――すなわち1966年2月19日、日本の自動車史に残る大変重要な出来事があったのをご存じだろうか? 日産の大衆車サニーの、車名発表である。
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2004年に販売を終了、その名は途絶えてしまったサニーであるが、1966年4月にデビューした初代モデルは、やはり同年デビューのライバル、トヨタ・カローラ、そしてスバル1000などとともに、「大衆車元年」の到来を告げた名車であった。そればかりでなく、その後も歴代サニーは、カローラと切磋琢磨しながら、日本の自動車文化の基礎を支え続けたのである。
その初代サニーだが、車名が当初から決定していたのではなかった。日産では同年1月5日から同月末まで、この新型(当時)大衆車の車名を一般公募、応募された車名候補の中から「サニー」が選ばれたのである。こうして広く車名を募ったのは、それによってユーザーに新型車への親しみを持ってもらおうという意図のほか、むろんのこと、新型車への注目を集めることも目的であったのだろう。
応募のトップが「サニー」だった訳ではなく…
応募総数は日産の予想をはるかに超えて850万通に達し、集計によれば、集まった車名数は37万9千種に及んだという。選考は元国連大使の朝海浩一郎氏を委員長とする選考審査委員会(全8名)によって行われ「サニー」に決定、その発表が1966年2月19日に行われたという訳だ。「サニー」と書いて送った人数は全部で3279名であったとのこと。なお、一番多かった車名は「フレンド」(70409名)、次いで「ポニー」(60230名)、次が「ポピュラー」(55140名)、そして「フジ」(53443名)、「ペガサス」(51747名)であった。
また、サニーはソニー株式会社の「ソニー」と紛らわしいということで、日産ではソニーと協議し、「今後、両社のイメージを損なわないよう協力しあう」という諒解も事前に取り付けていたという。初代サニーはこの2ヶ月たらず後の1966年4月7日に発表、同月23日に発売された。