Roundup: 11 俺たちにはコルベットがある
個々人の好き嫌いを超え、その出来不出来も超え、時代の良し悪しさえ超えて、シボレー・コルベットは「アメリカのもの」であり続けている。特定の時期のコルベットを冷静に批判することはアメリカ人にも、いやアメリカ人だからこそできることだが、かといってどこかを丸ごと否定するとなると、これはどうしても自己像の一部を切り捨てることになりかねない。
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C3後期への避けがたき低評価
アメリカはさまざまな場面で「われわれにはコルベットがある」と言い続けてきた。俺たちにはこれがある、俺たちだけがこれを作ることができるのだから、という自認は、ときに良い時代の強い自信であり、またあるときには逆境のなかでみずからを奮い立たせる慰めでもあった。
アメリカンカープラモの識者としてつとに名高いティム・ボイドは、2001年刊行の著作のなかでコルベットについて一章を割き、こう書き出している。
「いまから振り返れば——45年近く経ったいまとなっては——その偉大さがよくわかる」
コルベットの価値の見直しともとれる言葉を彼が差し向けているのは、1953年にデビューを飾って1962年まで生産の続いた初代=C1についてだ。彼はまた別の著作においてC1からC2にかけてのコルベットのキットを丹念に取り上げたうえで、そのままいわゆるクロームバンパー期のC3初期へと筆をすすめ、こうも書いている。
「車好きなら誰でも、数ある車のなかでお気に入りの一台があるだろう——歴代のコルベット、筆者にとっては初期のC3コルベット(1968年~1972年)が一番のお気に入りである」
そう述べて、彼の筆は止まる。また彼はC4以降についても、積極的には筆を執ろうとしない。

1983年の「空白」のあと、シボレーはついにC4コルベットの発売に踏み切った。数々の技術刷新を盛り込んだ新型コルベット登場にアメリカは沸き立ち、その姿はいまもGMヘリテージセンターに保存されている。しかし——C3はどうか。15年の長きにわたりコルベットであり続けたC3は、前後の世代に較べてあまりにも「語り」の隅に追いやられてはいないか。
C1コルベットに対する評価の回復、C2すべてにわたる詳述、そしてクロームバンパー期のC3前期を「一番のお気に入り」と名指ししたところでぱたりと止まる彼の語りを、C3後期への低い評価と結びつけずに読むのはなかなかむずかしい。
アメリカンカープラモ・クロニクルが注目するのはここである。彼と同じ1950年代生まれのマッスルカー愛好家にとって、アメリカンカープラモ趣味の魅力があくまでもテーマのハイパフォーマンスにあることは自明かもしれないが、それでも博識をもって鳴る彼の緘黙には少々違和感がある。アニュアルキット制度の崩壊がまるでゲームセットの合図であるかのような、あとの続きは取るに足らないとでもいうような——
聞いたことのないような二つ名が次々と
1977年式はもちろん、1978年式もその翌年式も、コルベットだけは逐次プラモデルになり続けた。アニュアルキット製造を断念したamtをよそに、ライバルだったMPCは最新のコルベットのキット化をやめなかった。ただしその手つきは、アニュアルキット時代のそれとはあまりにも異なっていた。
1977年までのアニュアルキットは、原則として年式+ブランド+モデルネームを三つ揃いとしてまず名乗り、他の何にも優先して市場に送り出された。販売時期は暗黙のうちに限定され、タイムアウトを迎えた売れ残りは非情にも処分対象とされた。じゅうぶんな販売成績を残せなかったアイテムには追加コストがかけられて模様替えが施され、派生的な改造車キットとしてふたたび市場に出回ることもあった。
1960年代にはこの「ほとぼりが冷める」までの期間が比較的長く取られていたが、1970年頃を潮にこの期間はだんだん短くなっていった。
はっきりと変化が起きたのは、やはり1978年だった。もはやビジネスの主戦場にamtなく、コルベットが誕生25周年の節目を迎えたこの年、MPCはコルベットをアニバーサリーキット(品番1-3708)としてまず登場させ、間髪を入れずにインディアナポリス500の公式ペースカー仕様(品番1-3710)の発売に踏み切った。

1978年に「アニュアルキット的に」登場したMPCのインディーペースカー版(品番1-3710)を見てみよう。この年、ペースカーを務めたコルベットには「ドライブトレインが市販車と同じ」という前例を覆す試みが盛り込まれた。特別仕様車ではなく、ふつうの車が晴れの場を先導するという非常にアメリカらしい夢を叶えたのはやはりコルベット、というのがこの年の事件だった。
1978年式シボレー・コルベット、ないしニュー・コルベットをストレートに名乗り、MPCが長らく便宜的に採用していたアニュアルキット品番のプレフィックス(たとえば1977年式アニュアルキットならば品番はすべて1-77xx)を付けたキットは登場しなかった。恒例だった模型による年次更新が、一度限りの記念ノベルティー販売に置き換わる——長年デトロイトが後ろ盾をつとめた制度を、コルベットが他のどの車にも先んじてやめてしまったことは、きわめて象徴的なできごとだった。
1979年以降、デトロイトの新車はほとんどすべて、1978年のコルベットに倣うかのように、ショールームでは見ることができないプラモデル独自の「付加価値」をまとって市場にあらわれるようになった。
カマロは「ストリートサベージ」、ノヴァは「ブレイクアウト」、ポンティアック・ファイアバードには「ウォーロード」、フォード・ピントなら「ポニーエクスプレス」といったふうに、聞いたこともない派手なニックネームがMPCによって与えられ、付属するデカールがそのふるまいを「正当化」した。デトロイトの最新年式が持つ差異を「正確に再現する」という価値は、アメリカンカープラモ全般にわたって一気に後景化した。
かつて1964年、堂々たる品番「1」を付けてあらわれたMPC最初の製品は、当時最新式のシボレー・コルベットだった。コルベットからはじまった会社は、やはりコルベットによって古いアニュアルキット制度に引導を渡したかに見えた。年式によるスケールモデル的な差異の更新と積み上げは、派手なニックネームによってきわめて読み取りにくくなり、キットはデトロイト・ショールームの小さな代理をやめてしまったかのようだった。

コルベットというテーマはMPCにとってまったく替えのきかないものだ。創業初の自社製品にのみ与えられる、替えのきかない品番「1」、プレフィックスもサフィックスも持たない純粋な番号を、MPCは当時最新のコルベットに与えている。筆者はこの純粋さを素朴に讃えたいわけではない。MPCはあらゆる時代のコルベットを、つねに自己像として引き受け、対峙せざるを得なかった、ということである。
継承されなかった狂騒
忠実再現から一転して過度の煽情に流れたかにみえたアメリカンカープラモは、その後やはりMPCのコルベットによって強い揺り戻しを演じることとなる。歴代コルベットに明るい読者ならご存知かもしれない1983年式——唯一存在しないコルベットがその契機となった。
C3からC4への移行は、コルベットにとって飛躍的な技術刷新であったがゆえに完成が遅れ、GMはまだ未熟だった新型の一般販売を断念した。1953年来続いたコルベットの連続性はここに途絶えることになるが、MPCはここで独特の諧謔を発揮する。
1978年以降、毎年コルベットを「ストリートフィーバーヴェット」(1979年)、「スポイラーヴェット」(1980年)、「ヴードゥーヴェット」(1981年)、「ドラゴンヴェット」(1982年)とさまざまに称しては発売してきたMPCだが、そこには後期C3がファクトリーストック状態では差異らしい差異もなく、そのまま商品化しても訴求力に欠けるという判断と、折からのカスタマイズド・コルベット——映画『コルベット・サマー』(1978年)にも顕著なC3ベースの大胆な改造——の流行が背景にあった。

1978年、年式+ブランド+モデル名を欠くかたちでペースカーと25周年記念モデルが登場したあと、このストリートフィーバーヴェット(品番1-3709)なるモデルがあらわれたことを「なんだか雲行きが怪しくなった」とする回顧は多い。
あまりにも長く、少々退屈なものになりはじめていたC3時代がシボレーによってようやく終わるという「市販コルベット不在」の1983年、彼らはヴェットというサフィックスをあえて抜いた「ゴーストライダー」というモデルを最後に生み出して新製品の位置にそっと置いた。その扱いは奇妙なほど控えめで、1983年版MPCカタログでは、まだ市販されていないC4コルベットのイラストレーションがむしろいちばん大きく、販促キャンペーン解説のページに挿絵として掲載されていた。
こうした暗黙の「予告」どおり、翌1984年式のC4コルベットは、MPCから年式+ブランド+モデルネームの三つ揃いを商品名としてキット化された。C3コルベット後期のキットがみせた騒々しさなどどこにもなかったかのように。
アメリカの自画像
ティム・ボイドの沈黙は、MPCのC3後期型キットが巻き起こした混乱の型をうまく捉えて説明する言葉がみあたらないこととおそらく無縁ではない。
1979年に全モデルイヤーを通じて最高の販売台数を記録した「ある意味で最高の」コルベットと、そこから能力的な下降線をたどるコルベットたちに与えられたプラモデル独自の奇妙な命名群は、実車にたいへん詳しい正統派のカーヒストリアンには、やはりどことなく苛立たしいものだ。
「われわれにはコルベットがある」——この言葉を支える感情は、時代を超えて「アメリカらしさ」を人々に確認させる、アメリカーナと呼ばれる感情だ。ダイナーのグリージー・スプーン、かつてルート66と呼ばれた場所、亡くなったカントリー歌手、スマイルでいっぱいの色褪せた広告、工場から届けられるアップルパイ、ビニールになってしまった白いピケットフェンス、アメリカーナが対象とする多くはすっかり過去のものだが、コルベットだけは姿や性能が大きく変わり、意味の重心が移ってもなおコルベットと呼ばれ続けている。
アメリカーナという概念は「まるで絵葉書のようなアメリカ」と短く表現することもできる。絵葉書のようなアメリカとは、他でもないアメリカ自身が「そのようにありたい」「そのように見せたい」アメリカ像だ。
絵葉書のような理想像から、それぞれ違った方向にはみ出してしまった後期C3コルベットの実車とキットを、アメリカンカープラモ愛好家は素直に認められない——実車に与すればキットの過剰さを否定したくなり、キットに肩入れすれば実車の凡庸さを無視したくなる。ここには嫌うだけでも愛するだけでも済まない、言葉を詰まらせる感情があるのだろう。
※今回、mpc 1/25「1968コルベット427コンバーチブル」、「1970 1/2コルベット・スティングレイ」、「’71コルベット・オープン・ロードスター」、MPC 1/25「75コルベット・コンバーチブル」、「コルベット1978インディアナポリス500オフィシャル・ペースカー」、「オープン・コルベット・ロードスター」(ラウンド2版)、AMTアーテル1/25「エックラー・コルベット」、モノグラム1/24「コルベット・ペースカー」の画像は、アメリカ車模型専門店FLEETWOOD(Tel.0774-32-1953)のご協力をいただき撮影しました。
※MPC 1/25「ヴードゥーヴェット」の画像は、読者の兎追い師香之山さんにご協力いただき撮影しました。
※また、MPC 1/25「ストリートフィーバーヴェット」、「ヴェットバン」、「マコシャーク」、「ストリートシャーク」、同1/20「レーザーヴェット」、amt 1/25「ファラズ・フォクシーヴェット」、モノグラム1/24「オーエンズ・コーニング427コルベット」、レベル・モノグラム1/25「エアロヴェット」の画像は、読者の涼月*さんからご提供いただきました。
ありがとうございました。
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