それは一種のカルチャーショックだった
ル・ボランWebの模型制作記事でもおなじみのプロモデラー、北澤志朗氏。本連載は、カーモデラー界の第一人者である氏が長年愛用する名車「メルセデス・ベンツ190E」との日常を綴るエッセイだ。今や稀少なヤングタイマーとなった190Eを相手にしつつ、第9回となる今回は、いよいよ候補をメルセデスに絞ってからの、27年前のクルマ選びを振り返る。
【画像11枚】190D 2.5や190E 2.5-16まで含めて、あの頃のW201を振り返る
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当時は「190クラス」
みなさん、こんにちは。北澤志朗です。前回はイタリア車・フランス車を中心としたクルマ選びに奔走した挙句、どれもピンと来なかったり危うさを感じたりで結局決められず、ありきたりではあるけれどやっぱりドイツ車なのか、と気持ちが変わり始めた1998年ごろのことをお話ししました。
1999年の春ごろから、ふたたびクルマ選び行脚を再開した私は、いよいよドイツ車のラスボスたるメルセデス・ベンツに照準を合わせて、中古車雑誌のページをめくっていました。
当時のメルセデス・ベンツ乗用車のラインナップには、まだAクラスもBクラスもなく、下から190クラス、ミディアムクラス、Sクラス、SLクラス、そしてゲレンデワーゲンと、たったの5種類。駐車スペースにも予算にも限りがある私にとって、選択肢は最初から190クラスだけでした。
190クラスは4ドアセダンのみで、エンジンの違いによって190E/190E 2.3/190E 2.6/190D 2.5/190D 2.5ターボ/190E 2.5-16の7種類がありました。190Eと190E 2.3は4気筒SOHC、2.6は6気筒SOHC、190Dは5気筒ディーゼル、2.5-16はコスワース設計の4気筒DOHC搭載でした。また2.6にはローダウンサスペンションを備えたスポーツラインもありました。本国にはマニュアルもありましたが、正規輸入車のトランスミッションはすべてオートマティックでした。

1992年のカタログに掲載された190Eの全バリエーション。この頃はまだ「Cクラス」という名称はなく、ひとつ上のEクラスも、まだミディアム・クラスと呼ばれていました。
2.6とディーゼル、2.5-16はタマ数が少なくて高価だったので最初から除外して、190E/190E 2.3に絞って何台か見に行きましたが、車検切れで試乗できない個体が多く、なかなか実際に乗ることができません。週末ごとにショップを巡り、4軒目に訪ねたのが東名高速・横浜町田インターチェンジ近くの外車専門店。事務所の前に置かれていたダークブルーの190E 2.3を見ていたら、店員さんが「これはナンバーついてないですけど、裏にもう1台、すぐ乗れるのがありますよ」と言って、裏庭に案内してくれました。
その操作感にはすでに身に馴染んだ感覚も……
そこにいたのが、のちに私の愛車となる1992年式のシルバーの190Eでした。なんでも店員さん自身が通勤用にひと月ほど乗っていたそうで、ノートラブルで絶好調とのこと。どうやら買う気満々な気持ちを見抜かれていたようで、初対面の私に「30分くらい乗ってきてください」とキーを渡してくれました。
初めて190Eを運転した印象は、まさに衝撃的、のひとことでした。なんだこれ、他のクルマと全然違う!