幕末の志士たちが見つめる大海原を眺めながら走る
坂本龍馬像の立つ桂浜。ダイナミックな海岸線が続く土佐の浜にあって、この一角だけが箱庭のよう。
「土佐の人って、どうしてこんなに銅像が好きなんですか?」
今回、行く先々で尋ねてみたのだが、相手はたいてい怪訝な表情をする。
桂浜の坂本龍馬を中心に、室戸岬には盟友の中岡慎太郎、横浪半島には土佐勤王党の武市半平太、足摺岬には龍馬にも多大な影響を与えたジョン(中濱)万次郎といった具合。中岡慎太郎像の目と鼻の先には巨大な弘法大師の立像があるし、桂浜の東、琴ヶ浜には龍馬に向かって手を振るお龍さんの銅像まである。
土佐の夏の風物詩“アイスクリン”。道路脇にはビーチパラソルの店も出る。
土佐の観光地を訪ねると、行く先々で立派な銅像と出会うので、『土佐人は銅像好き』と思い込んだわけだが、よくよく考えてみるとこれはちょっと違うのかも知れない。
土佐にある銅像は、権力や業績を誇示するものではなく、人柄や志を偲ぶために建てられたものがほとんどである。時代や体制が変わっても、ソ連崩壊時のレーニン像のように引き倒される心配のない人物ばかりなのだ。
明治維新前のわずかな期間に、誰もが銅像にしたくなるような人物をこれほどたくさん輩出した土地はほかにはないだろう。
そして、龍馬も、慎太郎も、半平太も……、街中で人々を見おろしたりせず、大海原の向こうをただ見つめ続けているのが何よりもいい。